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まだやらせている?水泳後の洗眼 恐るべし学校の「神話」

 教育界の常識は疑ってみるべきだ。
 なぜなら、学校には「神話」と呼ぶべき、「常識」的な指導がいくつもあるからだ。

 その指導は、理由や目的、さらに効果には目を向けずに、ただ実行することが求められる。
 そして、きっと子供のためになっていると誰もが信じて疑わない。

 前回は、そんな「神話」の中から、「座高測定」を取り上げた(「ヒント帳43」)。

 今回は、水泳指導後の「洗眼」を取り上げる。

洗眼は目の健康によいのか?

 あなたは、水泳の後、目を洗っているだろうか。
 あなたが教師なら、水泳指導後に、洗眼をさせているだろうか。

 かつては、それは「常識」だった。
 だから、学校のプール施設には、水道の蛇口の先が二つに分かれて上を向いたようなものが、いくつも並んでいる。
 強く出し過ぎて噴水のように水が吹き上げた経験のある人もいるだろう。

 結論を先に述べる。

 水泳後、目を洗う必要は、ない。
 むしろ、洗わせない方が良いとも言える。

 このことは、ネットで検索すればすぐに分かる。
 様々な眼科のHPにも記載されている。

 ここでは、その情報を、「Medical Tribune ウェブ」(https://medical-tribune.co.jp/kenko100/articles/130806527578/)から引用する。(記事の執筆は、中野里美氏)

 2008年に慶応大学の眼科グループが「プールと同じ濃度の塩素を加えた生理食塩水で洗眼すると塩素によって角結膜の上皮が傷つく。水道水による洗眼でも、目の表面を保護しているムチン(粘膜を保護する成分)が減少し、角膜上皮のバリア機能が障害された」という論文を発表しました。
 今までの常識を覆す内容のため、マスコミにも取り上げられ、学校保健法ではプール後の洗眼を指導するように記載されていることから、学校は混乱して大変でした。
 そこで、2008年8月に日本眼科医会が「プールにはゴーグル使用が望ましい。またプール後の水道水による簡単な洗眼は行ってよいが、積極的に推奨するものではない。なお、児童生徒の体質によっては、学校医の指導のもと、プール後に防腐剤無添加の人工涙液の点眼や、簡単に水道水で目の周りを洗うなどの対応も必要」との見解を出しています。

 水泳後、目を洗わせる必要のない理由が、お分かりいただけただろうか。

 私はこの事実を知ってから、赴任先の学校で水泳後の洗眼が不要であることを訴え、「プールのきまり」から、その項目を削除してもらってきた。
 私が説明をした時に、「そんなこと今まで知らなかった」と言う人がほぼ全てであった。

 もちろん、絶対に洗眼を禁止するわけではなく、気になる場合には、手に水をすくって数秒間、目をすすぐことは認めてきた。

 先の「Medical Tribune ウェブ」でも、中野里美氏は、日本眼科医会の見解を続けて次のように紹介している。

 慶応の論文では、目の表面の細胞に対する影響を確認するため50秒もの長い時間洗眼をしていますが、通常の洗眼時間は長くても10秒くらいです。洗眼による目の表面に付いた細菌やウイルスなどを洗い流す効果を否定する資料はなく、5~10秒程度の洗眼は有用と考えられています。そのため、水道水での洗眼は積極的に勧めないものの簡単な洗眼は行ってよいとの見解です。

 「洗眼による目の表面に付いた細菌やウイルスなどを洗い流す効果を否定する資料」がない以上は、洗眼の禁止はできない。
 しかし、積極的に勧めるものではないのである。
 学校現場では、水道水が目に及ぼす「害」を認識しておく必要がある。

「神話」は崩れない ゴーグルへの対応

 医学が進歩すれば、常識が覆ることは、珍しくない。
 学校は、子供の目に「害」を与えるリスクを避け、積極的にゴーグル使用を認める判断をすればよい。
 子供たちが洗眼をする必要がないように、少なくとも希望者にはゴーグル使用を認めればいいのである。そうすれば、あえてゴーグル使用を推奨しなくとも、子供同士の関わりの中で、使用する子供の割合は増加する。

 これで、学校から「神話」が一つ消えるはずだった。

 ところが、そうはならないでいる。

 ゴーグル使用を禁止する学校が、まだあるという。
 禁止はしていないが、保護者がゴーグルの使用許可を求める届け出を提出することを求める学校もあるという。学校によっては、その許可願いを毎回提出させるらしい。

 つまり、ゴーグル使用に渋い顔をする教師が、まだまだいるのである。
 その根底にあるのは、「水の中で目を開けられることが大切だ」「ゴーグルを使うなんて甘えている。子供は甘やかすと、いい子にならない」という、いかにも「教師らしい」考え方なのである。

 まさに、この教育観こそ、「神話」なのだ。