「エッチな言葉は広辞苑、推しの自宅は電話帳」で調べた時代の人へ
大阪市阿倍野区「美章園」。
天王寺からJR阪和線で一つ目の駅。
先日、縁あってこの地にやってきた。
その時、美章園にまつわる記憶の引き出しがパカと開いたので記しておく。
昭和の終わり頃
私は四国徳島の女子高生だった。
死にたいくらいに大阪に憧れていた。
死にたいくらいに憧れたといえば
長渕剛アニキは東京に憧れてはったね。
♪死にたいくらいに憧れた〜花の都
大東京〜
て歌ぉてはったね。
そやから私の場合は
♪死にたいくらいに憧れた〜花の都
大大阪〜
やね。
ん?
♪大東京〜(だぁいとうきょう〜)のとこ
♪大大阪〜(だぁいおおさか〜)
に差し替えたら
すんごぃ気持ち悪いな!!
でも
♪大東京〜(だぁいとうきょう〜)のとこ
♪大国町〜(だぁいこくちょう〜)
に差し替えたら
ピッタシやんか!!
ウソやと思たら歌ぉてみてみてみ。
♪死にたいくらいに憧れた〜花の都
大国町〜(だぁいこくちょう〜)
……
そんなピンポイントで憧れへんねん。
地方の女子高生が
ピンポイントで大国町に憧れへんねん。
長渕アニキも大国町、知らんやろ。
ていうか
美章園の話しするのに大国町の話しすな。
情報が散らかるではないか。
話しを戻そう。
あの頃の私にとって大阪はただ
巨大な都会・大阪で。
大阪には
「中島らもと憂歌団がおるらしい」
という情報だけを握りしめ
おら大阪さ行ぐだ!!
と決意したのだ。
中島らもさんのことに関しては
あちこちで書いたりしているが
憂歌団に関してはあまり触れていないかもなので
以下(初)放流。
私が女子高生だった昭和の頃。
まだテレビ番組をガチャコンのビデオテープ(📼VHS)に録画していた頃の話しです。
あの頃ってさ……
深夜番組をタイマー録画していたら
↓
夜9時頃で終わるはずの野球のナイターが延長になって
↓
その後の番組の放送時間が順繰りにズレて
↓
タイマーにしていたお目当ての番組が録画できてなくて
↓
次の日、再生してみたら
まったく知らん番組が録画されとるやないか。
ってことなかったですか。
これ、昭和の三大悲劇のひとつちゃいますか。
(あとの二大は各々に任せる)
そう、あの日もそうだった。
お気に入りの深夜番組を録画した翌日
その録画を見るのを楽しみに大急ぎで学校から帰り、いそいそと再生してみたら
まったく知らん番組が録画されとるやないか。
……
またアイツかい!!
野球かい!!
そやから野球嫌いやねん!!
なんかも〜ダラダラダラダラしとるわ終わりそうで終わらへんオジイのションベンか!!ほんまにもうあいつのせいで見たかったやつ録れてへんやないかなんやこれこんなもん録画されてるけどなんや知らんオッサンの四人組が……
なんや知らんオッサンの四人組が……
なんや知らんオッサンの四人組が……
めっちゃええ歌うとぉとてるんやけど!!
なんじゃいこのオッサンら!!
やたらと口が悪いのは
思春期特有のホルモンバランスのせいかしら。
思春期のヤワこい感性に
四人の演奏がズドンと刺さりまして。
さらにその四人組の名前が
憂歌団ということを知りまして。
さらにさらに
この人らが奏でる気持ちええ音が
ジャンルでいうならば
ブルースということを知るのです。
大ショック。
徳島の女子高生にとって
それまで「ブルースを歌う人」といえば
淡谷のり子一択だったかんね!!
↑淡谷のり子先生
あ、ブルースといえば青江美奈さんの伊勢崎町ブルースもあったね。
イントロの「あ〜ん♡あ〜ん♡」の吐息がすごくセクシーで、親とテレビ見てて流れてくると、どうにも気まずかった思い出の曲。
それまでブルースいうたら内山田洋とクールファイブの中之島ブルースもあったし山本コータローさんの受験生ブルースもあったし子どもの頃からいろんなブルースに触れてはいたが
憂歌団のんは
知ってたブルースとちごたんです。
あとからブルースは元々黒人音楽ってことも知っていくわけなんだけど、
青江美奈さんの「あ〜ん♡あ〜ん♡」がどうしても
黒人音楽と結びつかなかったしそれは今もそう。(調べてみたら?)
のちに、あるミュージシャンが、
ブルー「ス」ではなくブルー「ズ」といってるのを聞いて、「ズ」の方がかっこええな!!って思ったけど、どっちがどう違うかわからなかったしそれは今もそう。(調べろ)
つまりその時
野球が延びてくれたおかげで
私は憂歌団に出会えたのです。
野球、ありがとう。
さっきはゴメンネ(小声)
そして、このバンドを生で見たい、聴きたいという衝動が溢れ出しまして。
ネットなどない時代の地方の女子高生が
何をどうやって調べたのか忘れたがとにかく
「憂歌団は大阪におるらしい」
という情報を掴んだのです。
大阪には憂歌団がおるだ!!
おら大阪さ行ぐだ!!
生のコンサートは徳島市立文化センターでしか見たことのないおらだけど
(↑見に行ったのはアリスと矢沢永吉と岡田由希子)
大阪のライブハウスで憂歌団のライブをみるだ!!
このモチベーションが我ながらえげつなかったのを今も覚えています。
そして高校卒業後、晴れて大阪へ出てきて
念願の憂歌団のライブを見に行ったのです!!
ついに生まれて初めてのライブハウス、
磔磔へ!!
京都やないか。
京都の老舗のライブハウスやないかいな。
はい。
訳あって
私のライブハウスバージンは京都の磔磔に捧げました。
なぜかというと……いや、寄り道すな。
この時の経緯はまた別の機会に申し上げるとして。
話しを戻そう。
それからはもう大変。
憂歌団にゾッコンLOVEが止まらない。
中でもボーカルの木村さん。
今なら、「推し」いうんスかね?
さあ、ライブを見るという目的を果たしたファンの次のステップは、
プライベートの推しに会いたい。
素の木村さんに会ってみたい。
もれなく私もそう思いまして。
さて、どうしたか??
電話帳で家の住所を調べた。
ほい。
出た。
同世代の合言葉
「エッチな言葉は広辞苑、推しの自宅は電話帳」
この合言葉にピンときたあなたに届けと書いてます。最後まで付いてきてね。
個人情報ダダ漏れだった時代、芸能人やミュージシャン、みんな本名で自宅の住所が電話帳に載ってたんすよ。
え〜〜〜〜マジで〜〜〜〜(令和の人の声)
マジなんす。
調べてみるとありました、
「木村秀勝」
※今は「充輝」に改名されているが当時は「秀勝」
そこに書いてあった住所が
「美章園」
だった
という
お話しでした。
終わり。
いや終わったらあかん!!
行ったことまで書かないと。
実際、行きましたんですわ、美章園。
持ってるのは「美章園」という情報と、大阪市内の地図。
この地図とて、勤めていた会社の資料として置いてあったもの。
同年代にはお分かりでしょう、
何個折りやねんという折りたたみ式で、広げたらめっちゃでかいやつ。
その地図の天王寺あたりの部分を拡大してコピーとらせてもらいました。
(会社のコピー機で勝手にとったけどもう時効でええだろ)
その頃住んでいた吹田市の豊津から美章園へというのは、都会へ出て来たばかりの田舎娘にとってなかなかの冒険だったように思います。
そらもう、コピーした地図が命綱。
(鉄道の位置関係もこれで確認)
そうしてなんやかんやで美章園へ辿り着く。
木村さんの家はすぐそこに!!
改札を出てウロウロキョロキョロ。
さあ!!結果はどうだったのか。
木村さんの家に辿り着けたのか。
辿り着けませんでした。
終わり。
終わるな!!
いやほんまにね。
捜査方法がロースペックすぎたよね。
電話帳で見た「美章園」だけの情報で(+コピーした地図)どうして木村さんの家に辿り着けると思ったのか。
田舎の村やないねんからね。
表札を探せば木村さんの家がわかると思っていたのだろうが
無知すぎて泣ける。
お鼻チーン。
時は流れて令和の5年になった今も
あの頃、細胞に刻まれた憂歌団の音は
私の成分の核になっている。
こちらの写真は
今年の8月1日に大阪心斎橋BIGCATで行われた
中島らも「あの世に生まれて20年」での1コマ。
憂歌団という形はなくなってしまったけど、
ゲストで登場した木村さん(写真右)は変わらず、いやそのクールさいよいよ凄まじく、最高のボーカル&ギターで魅了してくれた。
写真左は、中島らもさんの劇団「リリパットアーミー」で知った松尾貴史さん。(そして大ファンになる)
いやもうほんと、全部が全部繋がってるし、
導かれてきたんだなと思う。
約束の地(かもしれない)美章園。
愛しい。
今回のラストは
つい先日、ふらり歩いた美章園の町並みで締めたいと思います。
令和5年、老朽化で立ち退きが進む高架下。
立ち退きのさみしさも
シャレで包む美章園魂。
とはいえ
「じまい」の部分の滲む赤さに
血のりで描いたんちゃうやろな?
と二度見したのは事実。
ぱ
ぱ
ぱ
何屋さんだったんや。
何屋さんだったんや。
いかやきとカラオケの店だったんですね。
「ビールには枝豆」と同等の温度で
「いかやきにはカラオケ」
と定めている。
さぁちゃんは元気だろうか。
駅前のスーパーは
野菜と衣料の距離が近い。
スーパーの2階に上がると
遊園地だ。
デパートに屋上遊園地があるように
スーパーには
2階遊園地がある。
昨今の嫌煙ムードもなんのその
遊具の横には
喫煙スペースがある。
そういや昔はくわえ煙草で子ども抱っこしてるお父さん普通にいたなとか、うちの父親も昔はヘビースモーカーで確かハイライト吸ってたなとか思い出してノスタルジックが止まらない。
タバコを一服つけて歌いたい
約束の地(かもしれない)
美章園ブルース。
(了)