新しい年を、愛せるモノと共に。
もう20年くらい前になるだろうか。ある本にこんな事が書いてあった。
一流の男が持つモノ。それは人にひけらかす為ではない。常に緊張感がある日常の中で、自分が好きなモノに触れる瞬間を大切にしているのだ。
それが時計なら数百万円もするだろうが、手帳なら数万円で上質なモノが手に入る。手触りのいい自分の好きな手帳であれば、それを開き、ページに書き入れる行為自体が好きになれる。
タイムマネージメントに関する内容だったのだが、この部分がストンと腑に落ちた僕はすぐに本革の手帳を通販で買った。
だが、届いてみると今ひとつで、好きと言えるほどにはなれなかった。その後もいくつか注文はしてみたのだが、革が堅すぎたり、あるいはビニールみたいに安っぽかったりで中々「コレ!」というモノに巡り合わない。
見た目以上に問題だったのが”肌触り”だ。見た目や耐久性など革製品にはいろいろな魅力があるが、肌触りもそれを好きになれるかどうかの重要な要素だと僕は思っている。視覚と触覚の両方で満足と癒しを与えてくれるのが革の良さなのだが、肌触りだけは通販では絶対にわからない。
できれば実際に見て触って、自分が気に入ったモノを買った方がいいのだろうと思っていたのだが、今では手帳を使わなくなってしまった。(googleカレンダーに駆逐されてしまった)
だが、良いモノ、肌触りがよく自分の好きなモノを使いたい気持ちは今も残っていて、そうした根底にある想いが、僕の足を原宿に向けたのだと思う。
ここに行きつくまでにはいくつかのアンビリーバボーな偶然もあった。
1・ちょうど財布を変えようと思っていたタイミングだった。
2・田中泰延さんの動画を見て(酒姿三人衆)、前田将多さんという人物を知った。彼は【 スナワチ 】というレザーショップを経営しているらしい。
3・スナワチのサイトを見てみると、僕の好きな緑の財布があった。しかもそれほど高価ではなく手の届く範囲の価格だ。
4・そのスナワチが原宿で期間限定でストアを開くらしい。見て触れるチャンスだ。
5・ストアの開催日に、ちょうど渋谷で飲む予定が入っていた。
もはや啓示である。ここまで揃えば行かざるを得まい。
12月12日。いざ原宿。
ご挨拶もかねて八街のピーナッツでも持って行こうと思ったのだが、土産自粛要請があったので手ブラで出かけることにする。
元々ブランドにこだわりを持つタイプではない。この日は、コート(GU)、パーカー(GU)、インナー(UNIQLO)、ボトムス(GU)、シューズ(VANS)、メガネ(DAISO)というコーディネートで原宿へ向かった。
もうおわかりだろう。
僕にはセンスがない。
買い物運がないだけではなく、絶望的にセンスがないのだ。
そんな僕がこれまでどうしてたかといえば『自分で買わない。人に選んでもらう』を貫いてきた。特に財布については、全部人からプレゼントしてもらっていた。
目をつけた知人に1年かけて食事をおごり、自分の誕生日前になると全力でおねだりするのだ。「財布買って!安いのでいいから!お願い!」と。一切の羞恥心を捨てて。
この20年、この方法で財布を獲得してきた。おごった食事代ともらう財布の収支は完全にマイナスなのだが、買ってくれた人の想いを感じることもでき、僕は満足していた。
だが。
何事にも潮時がある。
僕ももういい歳だ。そろそろ人にたかる人生はやめにしよう。
いつまでも人の好意に甘え、お母さんに髪を切ってもらうようなことをしてたらアカン。
ちゃんと自分の目で見て、自分の手で触り、自分の好きなモノを、自分で買おう。
スナワチを知ったのは、そう思っていた時だった。
原宿に着くと、何年かぶりに竹下通りを歩いた。若者でいっぱいだ。このご時世でも活気がある。竹の子族は今はいないらしい。
地図を見ながら歩くと、ストアの前に出た。
入りにくい雰囲気と言っているのだから入りにくい雰囲気なのだろうと思っていたが、間口は広く中には人も何人かいる。これならイザという時には走って逃げだせると確信できた僕は躊躇なくストアに入って行った。
棚とテーブルがあり、そこに革製品がズラリと並んでいる。
お目当ての財布はすぐに見つかった。
僕がサイトで見た緑の財布。ストア中央のテーブルに置いてある。
最初に僕に財布をプレゼントしてくれた人が「緑の財布を持つとお金に困らないのよ」と言ってくれた。それからずっとお金に困っているが、これ以上困らないように、緑という色にだけはこだわりを持っているのだ。
綺麗なツヤがあり、色の感じもいい。
手に取って触ってみる。(むろん手は消毒して)
少し大きいかな。
でも。うん、いい。
堅過ぎず、薄過ぎず。
そして、
肌触りが良い。しっくりくる。手に馴染む。
ファスナーを開けて中を見てみる。カードは縦に入れるのか。枚数は大丈夫だろうか。
小銭入れはボタンでとめるタイプか。
気になるところはいくつかあるが、おおむねOK。合格ラインは余裕でクリアしている。
よしコイツに決めた、とその前に。
付き合いを始めるなら簡単に別れるわけにはいかない。後悔しないためにも、他の財布も確認してみることにした。小さいの、薄いの、軽いの、いろんな財布がある。それらを触って、そしてまた緑のヤツに戻る。
それを何度か繰り返していると声を掛けられた。
声の主は、スナワチの代表、前田将多さんだった。
前田さん「何かお探しですか」
砂男「あ、前田さん!あの、すいません、えっと、一方的に存じ上げております、わたし、あの手ブラの砂男です」
50を過ぎた男がする自己紹介ではない。ヒドいファーストコンタクトだ。伝わるはずもあるまい。とりつくろうように僕は続けた。
砂男「あの、前に、あのYoutubeの動画の感想をnoteに書かせていただいた、あの、ほら、あの・・・」
前田さん「あー、あの!サングラスかけたアイコンの!」
砂男「そうです、それです!初めまして!」
なんとか伝わった。続けて、あのアイコンはメタリカのヴォーカルで、メタリカの有名曲のエンターサンドマンから砂男というアカウント名にしまして、と口早に説明した。
そして恥ずかしい自己紹介から逃げるように、僕は本題に入った。
砂男「実は、決め打ちで来たんですけど。この緑の財布、買おうかなと思ってまして」
前田さん「これ、僕も使ってます。いいですよ」
なんと。前田さんがこの財布(色違い)を使っている。
6つ目のアンビリバボーな偶然だ。
砂男「そうなんですか?! カードとかって、どれくらい入りますか?」
前田さん「けっこう入りますよ。僕のお見せしますね」
そう言うと、前田さんはカバンから取り出した自分の財布を僕に開いて見せてくれた。
前田さん「今、領収書とかいっぱいになっちゃってますが。こんな感じでカードが入って、こっちにもポケットがあるので、20枚くらいは楽に入りますね」
砂男「あー、たしかに。これなら十分ですね。小銭入れって、どうですか?ボタンみたいですけど」
前田さん「こんな感じです」
砂男「あー、そこ、ガバっと開くんですね。これは小銭も取り出しやすそうですね」
前田さん「そうですね、使いやすいと思いますよ」
砂男「よさそうですね。じゃあ、お願いします。これ買います」
もう迷いはなかった。これで間違いない。6つのアンビリバボーな偶然に導かれてここまで来たが、今は自分のセンスに自信が持てている。
慣れた手つきで財布をブラッシングしながら前田さんが僕に説明してくれる。
前田さん「あと、このファスナーの金具ですが、プラプラするのが気になるようでしたら、こっちに倒すと留まるようになってます」
なるほど、細かいところまで気遣いが行き届いている。
うん。きれいだ。
良い買い物ができた。
その後、渋谷の飲み会で酔ったあげくにどこかに忘れてくるリスクを回避するために郵送の手続きをして、僕はストアを後にした。
そして12月18日。
そこには前田さんからのメッセージが。
この財布を買ってよかった。
この人から買ってよかった。
さあ、一生モノとの付き合いを始めよう。
僕はこの財布を新年におろすことにした。
2021年はいい年にしよう。その願いも込めて。
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