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伊勢の今と昔を繋ぐ『勢田川』
伊勢市には地元民に親しまれている川が3つほどあります。
一つは宮川。川幅が広く夏には花火があがる祭りも行われており、中高生がズボンのすそを挙げて水遊びをしていることもしばしば。
二つ目は五十鈴川。伊勢を代表する神宮「内宮」のそばを流れる澄んだ川です。県外からやってきた観光客も、参拝の行き帰りで五十鈴川の土手沿いを歩いた人は多いと思います。
そして三つめは勢田川。河崎という街の傍を縫うように流れている川です。
澄んだ川、ではないものの地元民にとても親しまれている川ですね。
伊勢高校や皇学館大学、伊勢学園に通う学生たちはほとんどこの川を渡って登校しています。一時、この川に大量のボラが発生して、学生たちがこぞって土手の傍で眺めていたことも…。
このボラの量というのが凄まじくて、あまりの多さに魚たちが移動するたびに川に小さな波ができるんです。
しかも背びれが水面から出るたびに太陽の光が反射して、小さな波が銀色の輝きを放ちだすものだから、通行人も「何だあれは」と立ち止まってしまう。
今でも「あれは何だったんだ」と思いますね。
この勢田川という川は江戸時代より船を用いた運送業が盛んで、荷物を下ろす船着き場として発展していった、いわゆる問屋街を形成した川なのです。問屋街ができた後も水運は続けられ、街の活気は第二次世界大戦前まで続いていました。
しかし第二次世界大戦後、物流のおもな輸送方法が船からトラックに変わったことで水運は衰退し、街の道路が狭かったことも相まって長らく続いていた水運は幕を閉じてしまいます。
加えて河川改修により昔の面影は消え、付き合いの消えた川には生活用水が流されていました。そのため水は汚染され、いたるところにヘドロのついた川に成り果ててしまったのです。
今でも川崎の街には問屋街だったころの建物を使ったカフェや街並みが並んでいます。その中の一つに「河崎川の駅」という蔵が川沿いに静かに立っています。
この川の駅というのは河崎町が川を生かしたまちづくりをするうえで、勢田川を再生するシンボルとして建てられたものです。
誰でも立ち入ることができて、中はかつての蔵を再現しており、階段を上るとこれまでの勢田川の軌跡が描かれた年表や写真などが展示されています。 川沿いの道に出ると滑らかな堤防の合間に船着き場があり、それらを一望できるようにちょこんとベンチが置いてあるのです。
ヘドロの除去作業や市民の協力により、勢田川はかつての姿を取り戻しつつあります。 川の濁りは少なくなりひどい匂いもしなくなりました。 休みの日には川べりを走る人や散歩する親子を見かけられて、コロナが明けたことで勢田川で開催される祭りも再開し始めました!
もし伊勢に訪れる機会があるのなら、是非河崎の街もとい勢田川の傍を歩いてみるのも良いかもしれませんね。
五十鈴川のような澄んだ景色や伊勢神宮のような太古からの伝承はなくとも、 そこには確かに伊勢という土地そのものの歴史が眠っているのですから。
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