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いかまほしきは命なりけり: 光る君へ(39)とだえぬ絆

 わずか40分そこそこの時間の中にいろんなエピソードが盛り込まれていることに気がつきますね。

 今回も書きたいことは山ほどありますが、例によって個人的に気になったことをいくつか。



◾️産養のサイコロ


 彰子さんが無事に皇子(敦良あつなが親王)を出産し、それをお祝いするとのことで、道長さんがサイコロを振る場面がありました。

 双六などのゲームのためではなく、儀式っぽい雰囲気だったので、あれは何? とちょっと検索してみたんですが、詳細不明です。

 サイコロをふたつ振って、二つとも、最大値の6の目を出すことを「重六ちょうろく」といい、縁起がいい、ということのほか、重六が出ると男児が生まれるという、占いなんだかおまじないなんだか、そんな話も聞いたことがあります。

 道長さんも「お祝いの意味としてよい目を出したい」と言っていましたし。
 何か儀礼としての意味はあったようです。

 産養うぶやしないのときに、管弦や廻粥めぐりがゆなどの儀式のほか、このが行われていた記録があるんですね。

 庚申待こうしんまちのときにもサイコロを振ると言う記録があるそうなので、何かしらの儀礼的な、あるいは呪術的な?意味はあったと思われます。



 その手順が書かれている記録もあるのですが、今のところ、儀礼的な行為らしいとはわかるものの、具体的な意味がわかりません。
 時代考証の先生の本を読めば載っているかな?

 後に帝になるかたの誕生祝いだし、道長さんだし、「重六」が出るのか? と思ってみていたけど、振ったさいはひとつ。出た目も5でした。

 さりげなくドラマの冒頭部分でさらーっと流していたけれど、ちょっと気になる場面でした。

 


◾️賢子ちゃんの出生


「はっ。そういえば、為時パパには言ってなかったっけ?!」
 と、わたしも見ていて(なぜか)ちょっと慌てました笑

 賢子かたこちゃんの裳着の祝いにと、道長さんが贈ってくれた布を、みんなで見ている場面。

 惟規のぶのりさんが何気なく、左大臣様も「自分の子は可愛いんだな」と口走り、為時さん思わずフリーズ。

 人間、あまりにも思いがけない言葉を聞いたときって、フリーズしますよね。

 言葉の意味はわかる。
 でも、状況を飲み込むのに時間がかかる。

 は? と思ったものがゆっくり脳内で構成され、胸にか腹にか落ちてゆき、やっと
「え?」
 と言う声になる。

 賢子ちゃんの出生については「公然の秘密」みたいなものがあったので、そういえば為時さんには言ってませんでしたか。と、わたしもこの時点で慌てたんでした。

 それにしても、道長さんが、賢子ちゃんのことに気づいているかどうかは依然、不明ですね。

 まひろちゃんが、源氏物語・藤壺の宮の体験は自分の体験だと話したとき、道長さんが気づいたという説もあるのですが、どうでしょうか。

 気づいていない可能性の方が高いかな、と個人的には思っておりますけども。
 皆様はどうご覧になっているでしょうか。

 惟規さんは
「自分の子は可愛いんだな」
 と言ってましたが、道長さんのある意味義理堅い性格を考えると、甘いのは賢子ちゃんにではなくあくまでもまひろちゃんに対して甘い、というようにも、今のところは見えます。

 考えてみると、頭はいいはずなんだけど、変なところが「にぶちん」だというの、道長さんとまひろちゃんはよく似てますね。



◾️若い盛りの死


 最初に源氏物語を読んだときに、びっくりしたことは数知れず。そもそも「女房」という言葉が現代とは全然意味が違いますもんね。

 ありとあらゆることに驚きながら読んでいって、これも本当に驚きだったなーと思い出すのが

「四十の御賀」

 御賀、というのは「お祝い」ということですが、40歳を迎えると、健康と長寿を祝うんですね。
 現代人にとっての還暦祝いの感覚に近いです。

 四十で健康長寿のお祝いって? とびっくりしたんですけども。

 しかし「光る君へ」を見ていると、貴族といえどもそんな感じだったんだろうなと頷けます。


 病気になってもまともに医学的な手当はなくて、祈祷することが唯一できることだった。
 平均寿命は50歳にも満たないというのが、実際だったんじゃないでしょうか。

 庶民よりはよほど生活環境も食事も恵まれているはずの貴族ですら、病気をしたときの危険度は、現代人とは比すべくもない。


 今回、伊周さんと惟規さんが同じような年齢(37~38歳くらい)でお亡くなりに。
 一条帝もご体調に異変が。


 伊周さんと惟規さんについては、予告編を見ていたので覚悟はしていましたが、やはり、ことに惟規さんの突然の死は、貴族としての運がひらけてきた矢先のことですから、こたえました。

 伊周さんに関しては、まああれだけ呪詛をしまくっていたら、その重く暗い想念だけでも、そりゃ体も壊しますよ(ストレスで)、ってことで意外とも思いませんでしたが。

 史実としては、当時の記録から推測するに糖尿病ではなかったかと言われているそうです。


 惟規さんは手痛い失恋のあと、気分転換の意味もあって、為時さんの任地まで同行することにしたのでしょうか。

 こちらは記録上、以前から体が弱いとか病気がちだったということはなかったそうなので、本当に突然のことだったようです。
 死因は不明。


 現代人の気楽な旅行でさえ、旅先で体調を崩したりすると本当に心細くなります。いろいろ残念だけど体調には代えがたい、ってことでなりふり構わず帰宅したくなります。(経験者は語る)

 まして、死がひたひたと迫ってくるとは――どんな心持ちがしたか。

 また、こんなに急に我が子を目の前で失う為時さんのご心情も、察するにあまりあります。

 いとさんの悲痛な嘆きも。
 まひろちゃんの気持ちも。

 自分より若い人の死というのは、本当に堪えます。

 当時はこんなことが珍しくもなかったのだと思いますと。

 なるほど40歳を迎えたときに、「よくぞここまで無事に生きてきた」との思いがするのも、当然だっただろうなとあらためて思いました。



◾️道長さんは……


 皇位継承の順序をめぐり、公任君が述べた正論に対し(次の東宮は敦康様、ついで敦明様)、

「できれば俺の目が黒いうちに、敦成様が帝とおなり遊ばす姿を見たいものだ」

 何気ないふうで願望を述べる道長さんでした。
 が。
 並ぶものなき最高権力者となった今、彼が述べる「願望」は、ただの願望では終わらない。
 そこが問題。


 敦明あつあきら親王は、ドラマ中で現役の東宮(皇太子)、居貞いやさだ親王のご子息ですね。

 居貞親王が一条帝の次の帝になったとき、皇太子になるのは敦康親王。
 敦康親王が帝になったとき、東宮に立つのが居貞親王の御子である敦明親王。

 彰子さんが産んだ敦成あつひら親王はその次、という順序になるのが、まあ本来の筋道。

 しかしそんなの待ってはおれん、と言ったのが、道長さんのあのセリフというわけです。
 不穏ですね。

 道長さんは、やはりブラック化してきているのでしょうか。

 この国を良きものへと志した道長さんは、やはり、もはや変心しているのか。

 それともその志のためにはブラック化するしかない、とでも考えているのか。


 まひろちゃんとのやりとりを聞いていると、(少なくとも今はまだ)ブラック化も本格的なものではないように思えます。


 小説の構想を練って考え込むまひろちゃんに、声をかけていいものやらと迷い、まひろちゃんの局のまえで、まひろちゃんに気がついてもらいたくてウロウロしている姿にはまだ、昔のままの面影がありました。

 それだけに、この人が本当にブラック道長になったら、見ている方もつらいなあ……と今から考えてしまったり。


 ところでそうやって「自分の目の黒いうちに」と考えてしまうのも、人の寿命の儚さを痛感するから、なんでしょうね。

 自分だって、いつ病を得て、世をさることになるかわからない。

 そう思うと、結果を急ぎたくなるし、結果を急ぐためには強引な手段にも出るしか無くなる――というのも、「まあそうだろうな」と思います。

 思いますが、しかし。


 史実厨の皆さんにブーブー文句言われつつも、せっかくここまで「ホワイト道長」を組み立ててきたんですから、なんとか頑張ってもらいたい(何を)。

 そんなふうに思った39回でした。

 

  

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