紫式部の本名は: 光る君へ(48) 物語の先に 感想③完
なんとまるまる1週間ぶりの更新になってしまいました。
3が日終わったところでもはや限界を超えたように持病(扁桃炎、並びに化膿)が出てしまい、今日もまだ微々熱が続いております。
が! んなこと言っているうちに今年2025年の大河ドラマ「べらぼう」も始まってしまい、慌てて「光る君へ」感想の総まとめを書いているという次第です。
もはやこんなもん誰も目を通す人もいないのではと思いつつ、自分の備忘録として、記念すべき作品についての最後の感想を記したいと思います。
最終回において、道長さん、倫子さんについて書いてまいりましたが、今回は主人公、まひろちゃんについて。
◾️紫式部の本名
物事にはやはり互いに、なんらかの「引力」——「場」が生じるとそこへ物体が動くということはあるんじゃないかと思うのは、大河ドラマで取り上げられると、意外なところから新史料が見つかる、ということが多いから。
三英傑というメジャー中のメジャーな人物さえ、新たに手紙が発見されたりします。
建物の遺構が見つかったり、思わぬ場所から史料が出てきたり。
あるいは研究者によって検証されて新事実が見つかったり。
「意識すれば現れる」の原則が、歴史においてもあることなんだなと感心するんですけど、その中の一つですね。
「これ、紫式部の本名なのでは?」
という発見は。
まだ正式に学術的に確定とはいかないようですが、片渕須直さんのタイッツー投稿から。
清少納言もそうであったように、後々紫式部も出世して、中宮付きの女房の中でも「偉い人」になり、男性役人との折衝、連絡係を担っていたというのは確かなようです。
女房にも、朝廷が公式に雇用している女官と、中宮彰子であれば彼女が「個人的に」雇用する女房とがあるようですが、朝廷の役人と正式に文書を含めてやり取りする役となれば、これは「公式の女官」でなければ都合が悪い。(全部公式記録に残りますので)
てことで、女官たちにも叙位があるのですが、こういう場合は男性同様、本名が記録されるのですね。
で、紫式部が朝廷の役人と折衝するような役割を担っていたとすれば、掌侍(しょうじ・ないしのじょう)と考えられるそうです。従五位下相当。
そうなると女官の記録をあたって、紫式部が該当するお名前を探すと、ちゃんと出てくるんですね。
「藤原香子」
これが紫式部の本名かもしれない、と思うと、なんとなくじーんとしますね。
読み方は例によってわかりませんが。
(かおるこ、か、きょうこ、とでも読むのか)
(しかし中宮を務めた人たちですら名前の読みまではわからないんだものなあ……女官の名前の読み方などはなおさらわからない)
史実の紫式部の本名が「藤原香子」だと確定できたらまたすごいこと。またイメージが鮮明になっていく気がしますね。
ともあれ「光る君へ」の主人公の名は「まひろ」ちゃん。
最初に聞いたときも思ったけれど、よいお名前でしたね。
◾️崩れ落ちた鳥籠
個人的に一番印象に残っているのは、「朽ちた鳥籠」でした。
道長さん亡きあと、片付けようとしたのでしょうか、軒先に吊るされていたあの鳥籠に触れた途端、駕籠が崩れてバサリと落ちる。
素材の劣化なのでしょうね、籠だけど、真ん中あたりから折れるように割れて崩れ落ちた。
わたしも迂闊な人間でして、あの鳥籠が、ずーっとあの場所に吊る下げていたとは気がついていませんでした。
崩れ落ちたのを見て、
「あ、ずっとあの場所にあったんだ」
と思いました。
まひろちゃんはあの時点で40代後半くらいでしょうか?
鳥を逃がしてしまった、というまひろちゃんが三郎と出会ったときに9歳だったそうですから、かれこれ40年、そこに置きっぱなし。
素材が竹か木製かは存じませんが、しかしその年月を過ごしたのなら、そりゃ劣化して崩れ落ちるよな、と思いました。
あの鳥籠の崩壊は。
まひろちゃんが真に自由になれたこと——今度こそ、道長さんという「絆」から離れたことを象徴している、と思いました。
「鳥を籠で飼う方が間違っている。
鳥は自由に空を飛んでこそ鳥だ」
と三郎は言っていたけれど。
鳥=まひろちゃんを捉えようとして捉えきれない自分をどう思っていたでしょうね。
鳥は自由であってほしい。
けれども、自分と共にあって欲しい。
二律背反となる願いは、それでも、どちらも彼の真実でした。
まひろちゃんにはどうだったのか。
どれほどそばにいても、道長さんとは結ばれ得ないことを悲しみ、自ら自由になろうとしたけれども。
結局、道長さんがこの世にいる限りは、まひろちゃんもまた、自由になろうにもなれなかった。
死が間近に迫った道長さんの枕元で、まひろちゃんが語って聞かせた物語では、
「逃げた(逃がした?)鳥が、戻ってきた」
となっていたようです。
あれは。
まひろちゃんの、道長さんへの、最後の愛の告白であり、自由にされた鳥はそれでも、自らの意志で、あなたのもとに戻るのだと告げていたのかもしれませんね。
鳥籠の崩壊は道長さんの死の象徴だとすれば。
経年劣化でボロボロになり、人の手で打ち壊す必要もなく崩れ落ちた鳥籠は、この世にはもはやまひろちゃんを結びとめるものさえなくなった、「自由」を意味した。
そのように思います。
◾️千年も生きる命
道長さんの死は描かれましたが、まひろちゃんの死は描かれませんでした。
それどころか、現世、この世のくびきを離れて「自由」を得て、まひろちゃんは旅に出ます。
良くも悪くも湿っぽい、主人公の死をもって幕をとじる大河ドラマの類型にはまらないラストシーンでした。
旅装の主人公が、多少老けたとはいえ容貌にほとんどの変化もなく、駆けて行く馬上の武士を見送る。
そして呟く。
「道長さま。
——嵐が来るわ」
同行二人、と思いました。
自由になったまひろちゃんは、けれども一人ではないのですね。
というよりむしろ今度こそ、道長さんと一緒なのかもしれない。
そして、嵐が来る、と呟いた方向へ——、駆け出していく武者と「同じ方向へ」歩き出していく。
すごいラストシーンだなと思いました。
まひろちゃんは、滅びることがない。
こうしてみると、まひろちゃんは物語の生命力そのものだったかもしれません。
このドラマではまるで、まひろちゃんだけが「人間以外」のように思えてきました。
であれば、さほど老けて見えないのも納得。
人である道長さんは死を迎えても。
物語の生命力を持つまひろちゃんはこのあと、なおも、嵐の時代を生き延びていく。
千年先まで。
それ以上先まで。
そんなふうに感じたラストシーンでした。
ある意味、人間を超越した主人公だったのかもしれません。
◾️視聴後、雑感
1年間、本当に楽しゅうございました。
正直言って、開始前にはどうなることかと思われた「平安大河」でした。
平安時代だし、紫式部と道長だし。どうなるんだろう? と思いました。
わたしは、この二人でラブストーリーは無理だろ、と思っていました。
まあ確かに、ある意味、ラブストーリーの範囲は超えていたけど(笑)
制作側には、さまざまなご苦労も試みも多かったと思いますが、楽しかったです。
いろんなセットや道具類、衣装、カツラも、多くの「資産」を得た作品でもあっただろうと思います。
このせっかくの資産を活かす意味でも、今後も「平安大河」にチャレンジしていただけたら嬉しいです。
今度はそれこそ、清少納言が主人公でもいいんじゃないかなあ。
わたしは特に思い入れはないのでなんとも思わなかったけれど、清少納言さんの元々のファンの方々には、今回のドラマはやはり飽き足らぬところがあったようです。
なので、よろしければ。ぜひ。
1年間、ありがとうございました。
大河ドラマはほぼ毎年見ていますが、2024年の大河ドラマはわたしにとっては確かにひとつの金字塔となりました。