【インタビュー企画vol.2】安東久雄さん
紆余曲折しながらも、「健康格差を無くしたい」という学生時代から抱いていた強い思いを胸に行動されてきた東京事務所事務局長安東さん。今までの軌跡をお伺いしました。
自己紹介をお願いします。
ISAPHの事務局次長をしている安東久雄です。国際協力を志したのは、中学のときに社会の授業で難民キャンプでハゲタカに狙われてる1人の少女の写真を見たことがきっかけです。その写真を見たときに、生まれた場所や時代が違うだけで命の格差があることに衝撃を受けました。
自分が住んでいる日本といわゆる開発途上国で暮らしている人たちが、これほどまでに健康の格差があるんだということに問題意識を持ち始めました。それから保健医療分野で国際協力がしたいと思うようになり、将来は医師として国際協力に携わりたいなと考え、受験勉強を始めました。ただ、模試試験を受けてもE判定しか返ってこなかったんです。友達に相談をしたり、浪人をしたときにロールモデルを探している中で、国境なき医師団、かつ写真活動として活躍されている山本敏晴さんに出会いました。講演会に足を運んだり、お話しさせていただいている中で保健医療の専門職ではなかったとしても、国際協力に携わる道は色々あるということに気付かされたんです。専門性があれば、どのような形であれ国際協力に関われるというアドバイスをいただいたんですね。ただ、自分の中で「健康」が一つのキーワードでした。健康に寄与する専門職になりたいから、医師を目指してたんだけれども、残念ながら医学部は受験しなかったんです。ただ、専門性を身につけてから医師になる道もあるというアドバイスを受けて、欧米だと4年の大学を卒業したあと学士を持って医学部に編入できるといったような仕組みがあって、日本でも同じように学士編入で医学部に入れるから、最初はそういったことは考えながら勉強していました。
慶應義塾大学総合政策学部に入学された後、キャリアはどのように歩まれたのでしょうか?
大学では、タイ農村部のHIV/AIDSについての研究をしていました。HIVに感染するのは貧困が影響しているんですね。家が貧しいがゆえに出稼ぎ労働に行かなければいけず、首都に出ると中には性産業に従事せざるを得なくて、不特定多数の人と性交渉をしていて自覚のないうちに、HIVに感染していて自分の村に持って返ってきたり、、という悪循環が生まれてしまいます。その際に、自分は保健医療従事者として問題に関わりたいと思ったと同時に、専門家としてプロジェクト単位で関わるのではなくて、NGOの立場でその土地に根付いた活動家としてその問題に取り組みたいなっていう気持ちをいだくきっかけになりました。当時、現地で活動しているNGOの活動を見させてもらったのもありますが、現場に張りついて自分たちが支援している地域住民が、どのような問題に陥っていて、それを解決するために支援を考えて、彼らがどのように変わっていくのかっていうのを自分の目で見たいと思うようになりました。そういう気持ちを抱いて大学で過ごしていて、それをするのは必ずしも医師である必要はないと思い始めたんです。
現地に根差した保健医療活動をしたいという志から、その後はどのような学びを深めてきたのでしょうか?
現地で活動する際に、保健医療の専門性は必要だけれども、それを担うのは医師である必要はないことがわかったので、看護師という選択肢が思い浮かびました。そして、22歳の時に看護学部に入り直し、「看護教育」を自分の専門性にして、将来国際協力をすることを目指しました。卒業研究は、ラオスの看護師養成機関で活動するJICA海外協力隊の活動に着目し、隊員が直面している課題であったりとか、その課題に対してどういう取り組みをしてきたかという報告書を質的に研究するテーマで論文を書きました。人材育成を通して国際貢献したいといったことを思い描いたのが看護学生時代です。
その後、どのような経緯でISAPHに入職するに至ったのでしょうか?
看護学部を卒業して、日本の病院で4年間、臨床看護師として働きました。ただ、働いてるときはほとんど国際保健に関する活動ができなかったんです。その時は、自分の業務をマネジメントする能力がなく、自分のキャパシティを超えたところまで引き受けてしまい、メンタル的にやられながら、病院にいるときは鬱のような症状がでてしまったこともありました。嫌なことを先延ばしをする生活がそこで身についたのですが、悪い循環に陥りがちでその先延ばしをするだけでは解決しませんよね。なので、今では嫌なことであったとしても、自分が一番気持ちが向いてる時にそういうようなことに取り組むことを意識してやることにしてます。
また、看護師として働いていた時も、国際協力の接点を多く持ちたいということ、また、ロールモデルを身近に起きたいなって思っていたので、国際保健に関わる学生団体に所属していました。日本国際保健医療学会学生部会に所属し、その中の有志のメンバーと、国際保健と地域医療の両分野で活動したい人たちに対して研修や病院との仲介をするGLOWというNPO法人を立ち上げました。そこでの活動は、志を持っている人の教育環境や働く環境を整えることですが、自分自身が本当にやりたいと思っている「海外のフィールドでの活動経験を積む」ということができていないことにもどかしさを感じていました。
様々な活動をされていたんですね、なかなか途上国に行けていなかったのですね。
この業界は最初の一歩を踏み出すのがすごく難しいですし、ハードルが高いんです。一つ踏み出すとすればJICA海外協力隊に応募をするか、大学院に進学して自分の専門性を高め、自分を採用してくれる職場にリクルートしてもらえるようにするかの二つの選択肢がありました。キャリアの選択を悩む時は、必ず妻に相談しながら話をしてきました。妻は大学時代に出会い、お互い同じ国際保健を志して精力的に活動していました。そこで、妻と相談しながら、家族を持ったとしても、継続できる仕事として国際協力がしたいということになり、専門性を高めることを優先し、世界で最も古い熱帯医学校と言われているイギリスのリバプール熱帯医学校(修士課程)に進学をして、国際公衆衛生に関する修士号を取得しました。大学院を卒業した後、妻がラオスでの母子保健の仕事が決まり、2人の娘を連れてラオスに赴任したんです。私も子育て担当の専業主夫としてついていったんだけれども半年ぐらいして、子育てだけをしていても自分の専門性・キャリアが積めないので、現地で就職活動して良いお返事をもらえたのがISAPHでした。
ラオスでの経験が現場で初めてだったんですね!
最初の現場の経験をどこでするのかがすごく大事だとは思っていて、自分の中で、何となくラオスがいいなって思っていたのでとても嬉しかったです。仕事としてその土地に赴くっていうのがなかなかきっかけがなかったので、初めての赴任がラオス、そして、組織がISAPHで本当によかったと思います。
現場での経験を通しての新たな気づきや、現場に行かなかったら得られなかったことはありますか?
現場に行く前っていうのは誰かからの話やデータや理論とかに基づいて、勉強することが多かったんですね。なので、こういう理論に基づいてこういうやり方をすれば、地域の人たちの健康は良くなるんだろうなという仮説が自分の中でありました。ただ、理論では勉強してきたけれども実際に手を動かしてやってみると、理論通りにはいかないということを感じました。
例えば、ラオスでは母子保健サービスの利用率を促進させようという時に、正しい情報や健康知識を伝えても行動が変わるわけではないんです。半分くらい人たちは確かに変わるけれども、3割の人たちはそういった情報だけでは変わらないですし、住民中心の自助組織を作ることも試みましたが、地域の人たちが、その村の中にある課題っていうのを「自分たちの問題だ」と捉えていない限り、外部の人たちが優先順位の高い取り組むべき課題だと思っていても、村で暮らしている人たちにとっては、他にも優先すべき取り組むべき課題があるんです。なので、現地の人たちが見ているその村の中で優先して取り組むべき課題は何なのか、理解をしていない限り単なる押し付けになってしまうことを痛感しました。
仕事をされている中で、やりがいを感じる瞬間はいつですか?
地域の人たちと一緒に課題を解決することが国際協力をしたいと思ったきっかけなので、最終的な裨益者の人たちの行動の変化が目に見える時が一番達成感を感じていたところだと思います。現地にいた時は、お母さんたちの表情や考え方、コミュニケーションの中で達成感や、やりがいを感じていました。今は東京の事務局に着任して1年が経って国際協力事業に関して、健康指標がどう変化したのか分かった時や、活動のための資金を獲得できた時と言ったところが一番達成感があります。これで現地の職員はお金のことを気にせず活動できるなと実感する時は嬉しいですね。
今まで国際協力の分野で感じてきた必要なスキルや能力はどのようなものでしょうか?
色々な分野があるので、どれか一つというのは難しいとは思うのですが、自分が働きたい職場が求めている要件を見ながら、それに適したものを能力を伸ばしていくのが良いのかと思います。あとは、自分が既に持っている強みや弱みを、分析して、長所を伸ばして、それがマッチする職場を選んだら良いのではないでしょうか。自分が大切にしている能力を一つ挙げるとしたら、「コミュニケーション能力」です。単に、語学ができるとか、英語や現地語が喋れるっていうだけではなくって言語に関係なく、自分が思っていることを相手に伝えたり、もしくは相手が考えていることを理解する。その上で、お互いが納得する方向にまとめる能力というのは、どの分野であったとしても、生かされると思いますし、一番大事であると感じます。
近年、国際協力がとても敷居の高いものになっているような潮流があり、若者も関心はあるけど一歩が踏み出せないという人が多くいると感じています。
その通りだと思います。誰しもが、2年とか3年とか駐在をして国際協力に携われるわけではなくて、関心の寄せ方に合わせて、国際協力へのコミットメントって変わってくると思います。関心はあるけど、様々な事情で現地には行くことができないっていうのであれば、現地で活動しているNGOとかJICAを応援するといった立場で関わることができますよね。例えばISAPHの活動をSNSで応援することやイベントに来てもらうなど、自分の時間をそれほど割くことなく応援することはできるし関心を寄せることができるなと思っていています。
一番大切なことは、現地やその問題を抱えている人たちに関心を寄せることだと私は思っています。社会課題があることを知っていて、そういった社会課題に取り組んでいる団体とか組織があることも知っている、だから応援するということは誰しもができると思うんです。
今、安東さんが大学生に戻られたらどのようなことをされますか?
当時と今はだいぶ社会も発展していますし、デジタルに強くないとリソースを最大限に活用できないということは痛感しています。人の健康行動を促したいって考えた時に、昔ながらのやり方で健康教育をすることに限界があると思っていて、健康情報をどう伝えるのか、どういう見せ方をすれば、人々の行動がより促進されるのかなっていったところが最大の関心事なので、人々の健康を良い方向に導くための情報の見せ方や作り方を深く勉強したいと思います。
国際協力を目指す学生や社会課題に対して貢献したいと思っている方々に
メッセージやアドバイスをお願いします!
自分が学生のときを振り返ると、情報やロールモデルの人って必ず存在します。ただ、その探し方がわからなかったり、繋がり方がわからないがために、次の一歩に踏み出せていないかもしれないない人も多くいるんですね。だからこそ、常にアンテナを高く張って、自分の興味のある活動をしている団体に連絡してインターンさせてもらうなど積極的に行動することが重要だと思います。自分の行動や立ち振る舞いによって、自分が獲得できる情報や経験値が変わってくると思います。なので、自分が快適だと思うゾーンから一歩足を踏み出して、学生だからこそ苦手なこととか間違いをすることはたくさんあると思いますが、それが許されるの学生だと思うので間違いを恐れずにいろんなところに足を運ぶ、人と繋がる、もしくは人を紹介してもらうということが大切です。「この人」というロールモデルがいたら、ご飯を食べながら将来設計についていろいろ教えてもらったり、同じような志を持った人と 繋がっていくことが困ったとき相談する相手でもあるので、作った方がいいと思いますね。