『生きていても、死んでいても。』 〜人生万景〜
お世話になっていた先輩が亡くなった噂を聞いた。本当かどうかはわからない。でもきっと本当だと思う。信じたくはないけど。本当だと思う。そんな気がする。
あそこに行って、そこで訊いてしまえばちゃんとしたことが判ると思うんだけど。行っていない。行けていない、じゃなくて、行っていない。これからも行かない。行っちゃうと本当が確定になっちゃうから。
時々、先輩が住んでいた家の近くを通ることがある。わざわさ通るわけではなく、帰り道になることがあるから通る。その度に思い出す。ここを曲がったら……通る度に毎回そう考えちゃう。けど、見ない。目も体もまっすぐにしてそこを通り抜ける。通り抜けても、心はいつも引っかかっちゃう。
お世話になっていたときの先輩はたぶん27歳くらいだったと思う。いまでは僕のほうがぜんぜん年上になっちゃった。それも信じられないこと。僕は当時22歳くらいだった。
先輩は阿部寛に似ていた。男前だった。先輩は髪が薄いことを気にしていつもニット帽をかぶっていた。
ある夜、呑み屋で女の子が先輩に「帽子とってとって」と余計なきゃんきゃんをしてくれた。嫌がる先輩。僕は心の中で叫んだ。やめろ。というか、やめてくれ、と。
女の子が無理やり先輩のニット帽をとったとき、映画館で上映が終わった瞬間のあの静けさと同じ静けさになった。
先輩は僕を見た。そのときの先輩の目がいまでも忘れられない。
死んでいたら会いたくないけど、生きているなら会ってみたい。
先輩、お元気ですか?
今日あなたも可愛がっていたスィラエーの結婚式があります。五次会あたりでいいので行ってやってください。
それから、今夜の東京は雪が降るかもです。ニット帽をお忘れなく。