JK売り子に取材をした話#3
この記事は、シリーズものの第3回になります。今回で終わりますので、以前の記事をご覧になっていない方は、ぜひ読んでみてください。
本題を始める。
衝撃の告白の真相
私は、話そうとしている彼女の口元を見て、とにかく黙って聞いていようと心がけた。
「初めは、酒に酔った勢いででした。小学校6年生の時です。もうそういう知識は周りから吹き込まれていたので、嫌悪感と恐怖でいっぱいでした」
と語り始めた。ひとたび話し始めると、潤んだ瞳からどんどん涙が引いていき、平常時に戻っていった。以降は、私が聞いた話を伝える。
小学校6年生の初めての性的虐待以降は、当分何もなかった。高学年に入ってから父親による暴力は週に数回あって、普通の家庭とは違うけれども、普段は普通のお父さんで、近所でも優しそうだと評判だった。例の一件も、泥酔状態でのことだったから、子供ながらにお父さんがしたことを忘れようと必死だった。当人も、性的虐待に及んだことを忘れている様子だったし、もちろん母も知らなかったので、彼女は一人孤独にその秘密を抱えた。
中学校のシズクさんと父
中学校に入って、父の虐待がひどくなったと話す。それは母の仕事の忙しさに反比例して、リストラされた父が家にいる時間が長くなったからだ。普段は、基本的に殴る蹴るの二択で、顔は殴られなかった。けれど、とある日、父の機嫌がすこぶる悪く、勢い任せに蹴った足が、彼女の顔面に当たったらしい。火を吹くような痛みに悶えていると、父は「うるさい」「黙れ」と叫び、カウントダウンを始めたらしい。
そのカウントが終わるや否や、痛みに耐えかね泣き止めなかった彼女の口にガムテープが施された。外そうとする彼女の手を馬乗りになった父が、思い切り掴み、近くにあったタオルでぐるぐる巻きにされたらしい。いわゆる拘束だ。そこまでのことをされるのは初めてのことだったから、恐ろしかった。けれど、さらに父は追い打ちをかける行為に及ぶ。彼女の口元に淫部を押し付け、「お前も俺を馬鹿にしてるんだろ」と叫びながら、彼女の股間を弄った。2回目の性的虐待だ。そのまま、行為に及び、父は彼女の中に出し、疲れたのか、そのままどこかへ行ったらしい。
解放された彼女は、客観的に自分の姿を想像してしまい、死にたくなったと話した。それから、きつく結ばれたタオルを取り、すぐにシャワーに向かった。湯を浴び、急速に冷静さを取り戻した彼女は、とあることを思い出す。それは行為中の父の顔。殴ったり、蹴られたりするときの父の憎しみを込めたような顔から一転、その時の父の顔は幸福そのものだった。その顔を思い出すと、自分が小さい頃の優しかった父と重なって、涙が出たと話した。
父との最後の日
それ以降、日常的に性的虐待を受けた彼女だったが、父の行為中の顔を見ることに安堵を覚え、抵抗なく受け入れていた。そんな関係性が3年続いた、中学校の卒業式の日、卒業祝いに、と、初めてラブホテルに連れて行ってくれた。その時には、もうレイプまがいの行為ではなく、ほとんど和姦に近い状況だったから、父も穏やかだった。その日は、夜にホテルについて、朝まで交わった。それがこれまでで一番優しい父で、本当に幸せだった。
けれど、翌朝二人で家に帰った時、いつもはいないはずの母がいたらしい。母は帰ってこない娘と、仕事終わりに帰ってこない父、両方を心配しながら、朝まで待っていた。そうとは知らずに、家に帰っても彼女の乳房を弄る父の姿を、母は見てしまった。そこから一気に夫婦関係の問題に発展し、暴力は良くても娘への性的虐待を良しとはしなかった母は、即日家を出たそうだ。暴行の酷かった時期とは打って変わって、ここ数年で平時の父親に様変わりしていた父は、鬼の形相の母に何も言えず、結局離婚へと発展した。
ハタから見れば、彼女の生育環境にとってはこれが正解だったはずだ。どう考えても、父と娘が日常的に行為を交わしていることも、それで平静を保ち始めた父親も、父の快楽の顔に幸福を見出す娘も、おかしい。間違っている。けれど、私は彼女の一言一句を聞いて、彼女の喪失感を理解できた。彼女は、歪んでいても父を愛していた。愛する父との関係性が途絶えた彼女には、何かで埋め合わせる他なかった。そんな彼女が、援助交際に光を見出し、そして、その援助交際の相手までもに拒絶された、その時の彼女の悲しみは、どんなだっただろうか。
決して「分かる」という言葉は吐かなかったけれど、この言葉で寄り添おうとしてしまう様々な人たちの感情がわかった。
JK売り子を始めた話
ため息を吐いて、続け様に彼女はJK売り子を始めた話をしてくれた。もう性的関係の後に、喪失感を味わうのは怖かったから、代わりに下着を売り始めたらしい。金銭的な問題は一切なかったけれど、始めてみると、下着を買うおじさんの顔は、遠からず父の表情に似ていて、手頃に、小さなリスクで、満足感があったから続けているそうだ。
正直なところ、もはやJK売り子の取材どうこうは頭の中から消えていて、むしろ今彼女の話を真剣に聞いて、彼女の力になりたいと、肩入れしていた。
「もう一度、お父さんに会いたいですか?」
と聞くと、
「こわい」
と一言漏らした。離婚してから、一切の連絡を寄越してこない父と今会って、どう思われるのかが怖い。何より、性的関係に走ることでしか、関係を繋ぎ止める方法が分からないから、父とは会わない方がいいんだろう、と話した。けれど、少し間を置いて、
「でも、いつか会いたいな」
と言って、また泣き始めた。
「なんだかセラピーみたいですね」
と、こちらに気を遣って笑いかけた。
強くなくてはならない、なんてもの
聞けば、この話をしたのは、今回が初めてだそうだ。母は離婚以来、父の話を聞きたがらないし、友人に話せる話でもない。援助交際の相手も、身の上話には興味がなかった。彼女は、この時初めて、他者に自分の過去を話したのだ。私がこんな聞き方をしたから話してくれた、だとか、そう言う自慢ではない。大事なのは、父による虐待、レイプ、日常的な性的虐待、援助交際、その数々の問題のある過去を、8年間も誰にも話せず、一人で抱えていたことだ。誰でもいいから、誰かが自分のことを知ってくれている、その感覚を人は必ず欲する。そういう「あの人だけは本当の自分を知ってくれている」と思える存在が、思春期の中、本当に一人もいなかったのだ。彼女は、必死に戦っていた。人知れず、孤独に。
彼女の精神が分裂しなくてよかった。彼女は強い人だ。強かったから、たとえ許されざる行為であろうと、それに縋って、自分自身を保っていたのだ。けれど、誰かが、どこかの大人が、「強くなくていい」と言ってあげられなかったのか。まだ18になったばかりの女の子に、強さなどいらない。誰かのその一言で、彼女はどれだけ救われたんだろうか。
私はとにかく、抱えなくていい、一人じゃない、と言う旨の言葉を発した。彼女は、本当に安堵の顔を見せて、それまでで1番の泣き顔を見せた。私は圧倒的に他者だ。彼女にとっては、下着を買う変態のふりをした映画監督とかいう胡散臭い肩書きを披露する、ただの他人だ。けれど、そんな他人の言葉でも彼女は救われたのだ。
どうにか落ち着いた彼女をみて、ではこの辺で、と取材を切り上げた。カフェを出る際、近くのお客さんが、じっとこちらをみていた。聞き耳を立ててたのかな、と彼女は笑った。すごく愛らしい顔で笑った。
去り際、それでは、と離れようとする私の手を掴み、
「ほんまにこれからも連絡していいんですか?」
と恐る恐る聞いてきた。初めて彼女のきちんとした関西弁を聞いた気がした。
「こういうJKビジネスみたいなものを辞めるんなら、その代わりに、いくらでも連絡してきていい」
と返した。彼女は、「はい!」と元気に応えた。その表情はトトロのメイちゃんみたいだった。
カフェ以降のシズクさんとの交流
それからと言うもの、私は彼女とメールでやり取りした。週に3回くらいだろうか。他愛もない会話から進路相談まで。「明日受験です」って連絡が来た時は、切にその合格を願った。そうして、無事に春が来て、彼女は高校生というブランドを爽やかに捨て去り、東京の某大学へ進学した。勉強に励んだのか、随分といい大学で、大阪芸術大学という殆ど学力を擁さない大学を卒業した私は、やや居心地が悪かったが、それでも彼女は、「ありがとうございました」と丁寧な文面を返した。
大学へ進学を機に、これまでの人間関係を整理しようとしたのか、母にも例の件を詳細に打ち明けたらしい。それから、父にも会ったと報告があった。久しぶりに父に会うとなって、恐ろしかったけれど、父は記憶よりずいぶん見窄らしくて、全然憧れの人間なんかじゃなかった、拍子抜けした、と話した。「本当に大丈夫だったか?」と尋ねた私に、「あんな人と絶対もうできません!」と返してきた。本当によかった。それから、「私の話を映画にしようとしてたのはどうなったんですか?」と聞かれた。ぎくっとはなったが、「うまく思いつかず流れています」と返した。「もう社会人なんですから、ちゃんとしてください」と返ってきた。
彼女は、私のブログを読んでいたらしく、映画にしないなら、せめて、この話を文章にしてくださいと言ってきた。私は、仮名や例の件の描写を曖昧にすることを提案したが、彼女は「ちゃんとねじ曲げずにありのままを書くのがジャーナリズムの良心です」と返した。記者を目指して、そういう学部に入った彼女らしい返答だった。だから、私はこれをnoteに書いた。
性に溺れた女が、光を見出した。
幼い少女が、大人になった。
冬を乗り越えた。
18歳の彼女に春がきた。ようやく訪れた春だ。
終わりに
この世界に存在する「強くなければいけない」人々へ、どうか忘れないでほしい。人は弱くて、脆くて、壊れやすくていいのだということを。胸の内に、何かを抱え続けるのは、苦しい。だから、誰か一人に打ち明けてほしい。その相手は、女子高生の下着を買おうとする変態でもいいし、胡散臭い自称・映画監督でもいい。
私でよければいつでも聞きます。
以上、JK売り子に取材をした話、完。
明日は、体調不良で、ついこないだまで入院していた話を書こうかね。アディオス!!