句具ネプリ-2024冬至-を読んで
こんにちは、こんばんは。蒼井憧憬(あおいどうけい)です。俳句を始めて、最近2ヶ月半が経とうとしています。「句具ネプリ-2024冬至-」vol.17という俳句アンソロジーに、私も僭越ながら投句させていただき、掲載されています。
私は、俳句を始めて1ヶ月くらいの頃、そろそろ吟行などに出ていく際にメモ帳が欲しいと思い、調べていると辿り着いたのが句具さんの作句ノートでした。どこにいくにも、持ち歩かせていただいてます。
今日は、私の掲載句のご紹介と、他の投句されている俳句の中でのお気に入りを上げていこうと思います。ちなみに、この後また発刊される新年の方にも投句しておりますので、その際も同様に記事にしていこうと思います。
蒼井憧憬 掲載句
なぜ人体模型が思いついたのか自分でも思い出せないのですが、おそらく自分の双極性障害の起源を探る記事を書いているときに、小中学生時代を思い返していたので、それが要因でしょう。
冬休みといえば、クリスマスや新年を迎える楽しくも慌ただしい時期の、比較的短い長期休暇。私の持っている歳時期には、「一種の年用意と考えて良い。夏やすみとは違った楽しさがある」と書いてありました。
そんな時期、学生の姿なく、ひっそりと冬休みを迎える人体模型を思い浮かべると、なんだか愛しささへ感じてくるような気がしました。人体模型には人体模型なりの、学生や教職員を見ない、寒々としながらも少し落ち着きがあるような、冬の陽の光のなか、佇む冬休みがあるんだろうなと作った句です。
お気に入りの句
色んな方々と色んな句があって、中には句友の名前も見つけて嬉しくなったりしました。
中でも、二つ目の保健室の句が、個人的には好きでした。1時限目に保健室にいるということは、保健室登校なのでしょうか、それとも生理痛やら何やらのトラブルで、保健室に滑り込んだのでしょうか。私はよく1時限目から呼び出しをくらって生徒指導室にいくことがありました。先生がいない隙を見計らって、隣の保健室登校の女の子とと喋る時間が好きでした。そんなことを思い出した句でした。
七つ目の寒晴の句は、へぇそんな見方があるのか、と思わず頷いてしまいました。この人は、命が濁ったときの色を知っているのでしょう。どんな色なんでしょうか。私も絶賛、命が濁っている最中ですが。確かに冬の厳しい寒さの中での晴天の空は、澄み渡っていて、そんな色をしているような気がしてきました。