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映画業界 ハラスメント体験記【奴隷日記#7】

美術予算問題

ハチ子たちが来て2日目のこと。私が愛知に来て、5日目のことだ。クランクイン前日であり、アパートの仕込みに監督チェックが入る日だった。前日に間に合う算段はついたとは書いたが、その算段は、あくまで7:00~22:00の労働を前提としている。やはり早朝から作業は始まり、ここまで5日連続15時間労働を繰り返した我々は、かなり疲弊していた。その日の昼飯で事件は起きる。もう何度目の事件かわからない。

この日も昼飯をとばして作業を進めた我々は、空腹と疲労感一杯の中、15:30頃トンカツ屋に入る。「金なんか気にせず食え」と言っていたアキさんの金言を守りつつ、それでも自由に食うわけにはいかない私とJ太郎は、ギリギリのラインとして750円のとんかつ定食を頼んだ。アキさんと八子たちは別の席で食べていたのだが、どうやら600円程のカツ丼を頼んでいたらしい。

アキさんは我々の注文を聞き、途端に不機嫌になる。食事中、何度もコチラを睨む姿を目撃したが、”食うものまでケチをつけられてたまるか”の根性でとんかつを食らった。食後、手洗いに向かった私を見て、アキさんはJ太郎の元へ近寄る。「なんでお前なんかが、そんなに高いの食うんや、ちっとは金のこと考えろ」と吐き捨て、煙草に向かう。理解不能だった。「お前らは金のことなんか気にせず腹一杯食え」と言い続けていた人間が、突然ブチギレ、殴るのだから、常人ならノイローゼになるだろう。J太郎はギリギリ耐えていたが。

アキさんは日々の飲み会を美術予算と一緒くたにしていたため、調子に乗って飲み過ぎた余り、肝心の美術にまでしわ寄せが来ていたらしい。だから食事に関しても途端に数十円の超過でさえ敏感になり始めたのだ。事実、この日あたりから美術買い出しの際の選択が、あからさまに金額主義になっていった。これは余談だが、そのせいで同じ家具を買うにも他店舗を数件見て回り百円単位でも、安値の品を探す羽目になる。こうして遅れていた作業が更に遅れることになり、それに比例するハイエースの走行距離は、確実に私の精神を蝕んでいった。一つ一つの店舗が往復およそ1時間かかるキンブルという中古家具屋を、私は一日に最高で18回見ることになる。

今まで唯一の聖域であった食事にまで影響が及んだのは、最後まで尾を引く問題になる。ホテル生活で寝食する他部署のスタッフたちは、特段この問題を経験していないだろうが、我々には大問題だった。宿坊住まいの我々に無料ビュッフェなど無い。ましてや弁当が支給されることもない。食事といえば、コンビニかファストフード店である。700円というのは簡単では無い。弁当と水を買えばその日はお終いだ。この後、私は何度か、自分で食費を出すことをアキさんに提案したが、その度「全員同じルールでやってる」と不機嫌になるばかりだった。

 

怒りの左遷!拒否するJ太郎!

食後の車内。不機嫌なアキさんの矛先は、”地球は丸い”と同じくらい当然のごとく、J太郎に向かうことになる。J太郎は、前回の記事でのダブルベッドを現在の刈谷市から名古屋市まで取りに行く予定があったが、それを別の人間に行かせようと話を進め始める。

アキさん「J太郎には任せられんから」

J太郎「ちょっと待ってください」

さらに不機嫌になるアキさん。

J太郎「あのベッドを見つけて取引したのは僕です。先方も知らない人が来たら驚きますし。責任は最後まで負わせてください

アキさん「そんなもん、体調不良でとか説明すれば許すやろ」

J太郎「いやでも」

アキさん「なんや、言うことが聞かれへんのか」

J太郎「あっちの段取りとかもありますし」

アキさん「俺がやれって言って、それでも聞かれへんってことやな?」

J太郎「そういうわけでは・・・なんで僕じゃダメなんですか」

アキさん「わかった。ええわ。勝手にしろ」

結局、予定通りJ太郎が取りに行くことになる。アキさんの言動には、論理の飛躍が多い上に目的がなさすぎた。J太郎への当て付けだと、誰もが手に取るように分かった。このあたりから、ただの意地悪としか思えない、J太郎を貶めたいが為の行動が増える。そのおかげで、多大なるストレスと共に、更なる遅れがもたらされるようになる。J太郎本人にも、その意図が垣間見えたようで、カケラながら存在していたアキさんへの尊敬が、急速に冷め始める。2日目にしてバチバチの光景を見てしまった女子高生の恋ちゃんは、

「え?大丈夫なんですか?」

と困惑するばかりだった。

ベッドを受け取りに名古屋に向かう道中、何度も現状の報告を求めては電話してくるアキさんに嫌気が差し、彼の考えを予想しては盛り上がった。私は、この時初めて「アキさんが愛知に向かう前に、J太郎をクビにする話をしていた」と打ち明ける。「俺のこと気にする暇あったら美術考えたらええのに」と返してきたJ太郎。飲み会のせいで美術予算が圧迫する、この本末転倒な状況に、完全に美術としての尊敬が消え失せた何よりの証拠発言だった。

 

降りしきる雨、蘇る回し蹴り事件

無事ダブルベッドを譲り受け、ハイエースでロケ地に急いだ。みなさんダブルベッドの重さを知っているだろうか。その上、マットレスまでくっついていたら、それは何kgなのだろうか。ようやくのロケ地に辿り着き、運び込もうとした矢先、雨が降り始める。恵みの雨であろうはずがない。

到着しましたとアキさんに報告に行き、アパートの3階に位置するロケ地へ運び始めた折、マットレスが雨で少し濡れてしまう。どう考えても仕方ないのだが、アキさんは手伝うわけでもなく、ただJ太郎を叱責した。差別発言になるので詳細を控える。身体障害者を指す類の言葉で罵り、頭を普段同様、握り拳で殴りつける。人格を否定しては、「死ね」と続けざまに吐き捨てた。J太郎の納得いかない顔に、彼は続けて数発は殴ったことを覚えている。女子高生の恋ちゃんには、やや刺激的な光景だったようで、アパートを抜け出し、車の隅に隠れたJ太郎を見て、「本当に大丈夫なのか」と心配していた。

私もその姿を見て、泣いていると勘違いし、慰めに向かったが、ふり返った彼は煙草を咥えていた。「アキさんかと思ったわ!」と笑うJ太郎の顔が、泣き顔ではなかったのに安心した。「もう殴っても何してくれてもええから、ちゃんと美術やって欲しいわ。他の部署の迷惑になる」と私に語るJ太郎の方が、よっぽどプロフェッショナルだった。

そんなこんなで結局、監督チェックの時間には間に合わず、時間をずらしてもらうことになった。22:30頃、ようやく場が整った状況で監督が入ってくる。我々アキさんの兵隊には、その現場にいる権利はなかったようで、当然の如く車で待たされた。どんな状況での作業だったかを知る由もない他のスタッフたちが、ぞろぞろとアパートに入っては嬉しそうに「よくこの短時間で完成させた」と口々にアキさんを褒めていた。そのお褒めの言葉に、嬉しそうに車内に戻るアキさんは、鼻が高かったようだ。

半面、J太郎に喜びはなかった。当然私にも、ハチ子たちにもなかったと思う。クランクイン4日前にようやくロケ地を確認し、そこから間に合わせのように家具と装飾を加えただけの空間だった。そこにあるものは、私たちが日々使う大学のスタジオのものばかりだった。手癖でやっただけの空間、という認識だった。達成感などあるはずもなく、見覚えのある空間に、聞き覚えのある褒め言葉。登場人物や出来事に関係のない、ただモデルハウスっぽい綺麗な部屋に少しばかり荷物を入れた、という程度だ。コレが”映画”なのかと悔しかった。

褒める人間が皆、「この短期間で」と言う修飾語をつけるのに尚更腹が立った。そんなもの映画に、何一つ関係はない。その空間が映画にとってどうなのか、そんな話は誰一人しなかった。スタッフは皆口々に「間に合った」ことを褒める。もはや何を作っているのか、私とJ太郎はわからなくなった。アホらしくなった私は、こういう映画作りを揶揄して「毎日が文化祭」とインスタに作業写真を投稿するようになった。産学の時の楽しみ方と同じだ。全くの余談だが、「毎日が文化祭」とは、東映に入社が決まったスナフキンが、撮影所での未来を「毎日文化祭みたいなもんやろ」と言ったのが、その由来である。

クランクインの打ち合わせがあるからと車内から再度、アパートへ入っていくアキさん。飯を食って先に帰ってよし、と我々は仰せつかり、ようやくこの日の労働に終わりが訪れる。

 

怒りの一同、初めてのアキさん無しの食事

我々はこの日、ようやく待ちに待った初めてのアキさん無しでの食事にありつく。「絶対に700円を超えずに食おう」と話し、若者の救世主・サイゼリヤに向かう。車内でも店内に到着しても、結局議題に上がるのはアキさんのヤバすぎる実態であった。私とJ太郎は、議題にあげることさえ辟易していたので、「アキさんは忘れて700円で楽しく食おう」と注文を始めた。制限とは面白いもので、時に人を団結させるのだから、アキさんも正しかったのかもしれない。

299円のドリアと399円のハンバーグ。幸せはこんなに近くにあった。食ってる最中、ようやく一段落した美術仕込み(まだ別のロケ地が残っていたが)と、明日でクランクインだという現実をそこで実感した。そんな折、J太郎に1本の電話が鳴る。

「打ち合わせが終わった。買い忘れがあるから、今すぐ迎えに来い」

こうして我々は束の間の幸福を5分で掻き込み、さっきまで愚痴り倒した男の元へ行き勇む。雨の中、サイゼリヤから駐車場へ走り、アキさんの元へ向かう我々の姿は、またしても回し蹴り事件のあの日を思い出させた。苛立ちのあまりか、私は以降の記憶がすっぽり抜け落ちている。とにかく我々は先に帰れと言われたはずなのに、結局深夜にアキさんと共に、宿坊へと帰った。

 

傷心?のアキさん

アキさんを迎えに上がり、クタクタの我々が宿坊に到着したのは24:00前のことだった。ハイエースを降りようとした矢先、アキさんが、か細い声で私に話しかける。

アキさん「明日クランクインやから、ちょっと考え事してくるわ」

私「わかりました、明日は何時ですか」

アキさん「ドウ、付き合ってくれんか?

酒を誘われる。どこか傷心の雰囲気を感じ、クランクイン前だからナーバスなんだな、と私は付き合うことにした。自分の映画の時もクランクイン前はナーバスになるし、同情した。結局この判断は、私の人としての甘さを露呈することになる。

アキさん「J太郎も来るか?」

J太郎「・・・はい」

アキさん「八子たちはどうする?」

ハチ子「・・・行きます」

こうして行きたくないだろうに、早く寝たいだろうに、私が行くと言ったばかりに、全員参加することになる。それでも上が言うなら、行くしかない。奴隷根性が染みついた自分たちに、書いていて悲しくなるばかりだ。

もう夜も遅かったこともあり、いつもの山ちゃんではなく宿坊から、ほど近いお好み焼き屋に向かう。奥の個室に案内され、我々は傷心のアキさんの後ろで「どうしたんやろ?」と顔を見合わせながら入ったことを覚えている。

 

次回予告

この傷心の飲み会の顛末、そして翌日に訪れるクランクイン、帰る予定だった私が結局帰れなくなる話、そこを中心に描こうと思う。

常態化した暴力を書き忘れてしまうことがあるが、挨拶の如く行われていたことは、本当に忘れないでほしい。改めて言うが、ここまで、5日連続15時間労働に加え、うち4日間は3時間以上に及ぶ飲み会があった。

忘れがちだろうが、この2020年3月というのは、コロナウイルスが蔓延し始めた時期だ。緊急事態宣言が出るかもしれない。映画界では東映の撮影所が閉鎖した。そういう、時期のお話だ。そういう対外的な問題もあるが、24時間プライベート無しの環境に加え、唯一の休憩時間である食事さえままならない羽目に陥り始めていることも改めて明記しておく。

長くなるので書かなかったが、ナガサワさんとの確執(コレはノーギャラ問題も関連している)や、他スタッフの振る舞い(こちらは前回の記事の芸大出身者の暴力の連鎖のお話)など、至る所で我々は板挟みの中、耐えていた。唯一の心の安息地である「夜中の喫煙所」の話も次回、もしくは、その次に詳しく書く。結果的には、この安息地さえ、ぶっ壊される。完膚なきまでに。


次におすすめの記事や動画

こちらの動画では、現在のJ太郎の姿がわかります。ぜひ、この動画を見て、J太郎は元気なんだと安心してください(笑)奴隷日記を少し振り返りながら、「これから映画を目指す学生」に向けてのメッセージを添えたりしています。また、この撮影を機に、会話形式でのインタビュー記事を書いています。
スタジオカナリヤのnoteもぜひお読みください!こちらの記事では、編集担当の桂くんが編集の変化を語っています。また、そのほかにもサイコくんのアニメ制作日記、私の映画制作日記シリーズもあります!!


最後に


ぜひ読んでくださった方は、スキを押してもらえるとモチベーションにつながります。また、この記事は被害者本人の許可のもと書いております。

定期的に有料記事にはなりますが、今現在のJ太郎とともに、この奴隷日記を振り返る会話形式のインタビューを掲載しています。こちらは、全額現在の映画製作に当てさせていただきますので、ぜひご検討ください。

(最新のインタビューが掲載されている記事はこちら!)


また、応援したい!と思ってくださった方は、サポートもお待ちしております。私が代表を務めるスタジオカナリヤでは、J太郎も美術部として属しており、そちらの活動に全て充てますので、よろしくお願いします。

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堂ノ本 敬太
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