いのちって、ナンですか?
「メイは、末っ子。」
長男のドコは、2000年の12月に天野家の子どもになりました。
次男のミノは、2001年の5月。長女の桃は、2003年の5月。
メイは、2005年の3月に保護されて、
天野家の子どもになってくれました。
メイは保護した子なので、いろんなトラウマがあり、
みんなとちょっと違うんですね。
そう書きました。
メイを保護したのは、実は私たちじゃないんです。
ブリーダーのなかには、犬の命のことなど考えず、とにかく産ませてお金になればいいという悪いブリーダーもいます。
メイは、その中にいたんですね。
狭いケージの中で、寝るスペースもなく、立ったままか座ったままの姿勢で過ごし、うんちやオシッコでケージが汚れると、ホースから水をまいて洗い流す、何日かに一度のご飯、うるさいと棒でケージを叩いたり、つつかれたりして暴力も受けていたんです。
メイだけじゃなく、レスキューするワンちゃんを捕まえるのは大変だったそうです。
人間=怖い
バサッとタオルを上からかぶせて、捕まえたそうです。
ある日、「天野ちゃんちで、保護した子を里親が見つかるまで、心のケアしてくれないかな?」と、ワンちゃんを家に連れてきました。
チワワ2匹も!
白い子は、身体は大きかったけど生後2ヶ月〜3ヶ月くらい。
このワンちゃんは、身体が大きいから繁殖犬にされたと思います。
メイは、たぶん6ヶ月〜8ヶ月くらいだろうと。
メイが放置されてたのは、繁殖犬になれないという理由です。
身体が大きくないと、何匹も産まない=お金にならない。
この写真が撮れたのも、かなりの日にちが必要でした。
抱っこしようとしても、メイは必死で逃げる。
壁にバンバン身体をぶつけながらも、必死で逃げる。
叩かれると思うから、逃げるのはあたりまえなんだけど、なんとか捕まえたときは、抱っこして「怖くないんだよ。誰も意地悪しないよ。もう大丈夫だよ」と、言うしかなかったです。
ドコ、ミノ、桃は、主人がケアをしてくれました。
のほほ〜んと暮らしてたのに、いきなり変な子が2匹もきて、ママ取られた!!あの子たち、なにーっ!と、避難しまくり。
何日かに一度のご飯ということは、おやつをあげようとしても、食べれることを知らないから、おやつ攻撃で私のほうに来てもらおうとしてもダメ。
メイの前脚が茶色なのは、うんちとオシッコで汚れたまんま過ごしてきたから、染み込んでしまってたんです。
目がまだどんよりしてるなあ。
白い子は、赤ちゃんだったので、すぐに心を開いてくれたのですが、メイは手強かった。
絶対、信用するもんか!、そんな目をして、この場所で座ったままの姿勢で寝てました。
半月以上経ったくらいでしょうか。
いつものように、メイに「怖くないよ。大丈夫だよ」と声をかけてたら、目つきが変わったんです。
あっ、心が開いた、通じたと、メイも私も感じた瞬間でした。
キラキラ瞳が輝きだしたんです。
私、涙がボロボロ。
でも、メイが心を開いたのは私だけ。
それからは……
ママ〜
ママ〜
ママ〜
もうメイには、私しか見えないんですよ。
こちらから抱っこしようとすると逃げるけど、メイから甘えてくれるようになりました。
メイは、今でも、こちらから抱っこはできません。
やっと洋服も着せれるようになり、ガムが食べれるんだと認識したときのメイ。顔、崩壊。
ヘソ天になってくれたとき、やっとここまで漕ぎつけた〜と安心しました。
この頃くらいから、ドコ、ミノ、桃は、メイのことが怖くなくなった感じでした。
白い子は、すぐに里親さんが見つかりました。
この人たちなら、安心だという確信が持てないと、引き渡すわけにもいかないので、そこはレスキューしてる方たちも慎重に話し合って決めていました。
メイは、これまた、一悶着あったんです。
詳しくは書きませんが、引き渡したものの、なんかひっかるものがあり、かなりの騒動となって、メイが2ヶ月後に自力で我が家に戻ってきた感じです。
3月に保護されて、正式に我が家の子どもになったのが5月。
だからメイ。
天野家の子どもになっても、私以外は信用できないので、主人のことも噛むし、私の母も他のみんな全員噛まれてました。
メイが最初に覚えたのは、玄関に置いてある私の靴を隠すことでした。
靴がなかったら、ママはお出かけできない!
そんな考えを思いついたメイに、「おりこうさんだね。でも、お出かけしても、必ず帰ってくるからね。大丈夫だよ」と、抱きしめました(笑)。
メイのおかげで、私たち夫婦はたくさんのことを学びました。
そして当時、雑誌『通販生活』の中で、主人が「大人の童話」という絵本を書いていたので、メイのことを絵本にしました。
「いのちって、ナンですか?」
作・天野祐吉 絵・ISAKO
私は捨て犬です。捨て犬だから、名前はありません。
捨てられる前は、ブリーダーのケージのなかにいました。
が、そのブリーダーがなにか悪いことをして商売ができなくなり、
私は夜中にこっそり公園に捨てられました。
目立たないように、一匹か二匹ずつ、
公園や駐車場の隅に捨てられて行ったのです。
朝、公園を掃除するおじさんに拾われて、
保健所に連れて行かれました。
そこには、私のような捨て犬がたくさんいました。
もらい手がなくて飼い主に捨てられた犬がいました。
ひどい病気になって捨てられた犬もいました。
ほえるのがうるさいと捨てられた犬がいました。
保健所の人が私の写真を撮りました。
次の日も、新しい捨て犬が、何匹も連れられてきました。
ブルブルふるえている犬がいました。
片方の目が潰れている子犬がいました。
「まだ大丈夫、もうひとつ、部屋があるからね。
でも、それは最後の部屋だ。
そこに行くまでに、里親が見つかるといいけどな」と、
保健所の人がいいました。
ガラス窓の外から部屋をのぞきにきた女の人に、
保健所の人が話していました。
「最後の部屋がいっぱいになると、次に行くのは殺処理機です。
密閉されたコンテナーのような部屋に、
何十匹もの犬をぎゅうぎゅうに詰め込んで、
二酸化炭素のガスを注入して殺します。
一酸化炭素のほうが早く死ねますが、経費がかかるんです。
保健所の人は私を指さしていいました。
「この女の子なんか、まだ六か月くらいですよ。
かわいそうだけどね、そうもいってられないんです」
だまって話を聞いていた女の人は、目にいっぱい涙を浮かべて、
私の方を見ていました。
それから、聞こえないような声でいいました。「……ごめんね。」
夜、私たちは暗い空の下を、一列になって歩いていました。
私たちだけじゃない、うしろをふりむくと、
数えきれないくらいたくさんの犬が、
私たちのうしろに続いています。
だれも何もいわずに、下を向いて歩いています。
だれも何もいいませんが、行く先がガス室であることは、
みんな知っているようでした。
気がつくと、まぶしいくらい明るい部屋にいました。
きのう、保健所で「ごめんね」といっていた女の人がそばにいて、
頭をなでてくれていました。
私はこわかったけれど、じっとしていました。
「なんて名前にしようかな。五月にうちの子になってくれたから、
メイちゃんにしようかな」と、女の人はいいました。
おいしいドッグフードをお腹いっぱい食べて、
私はまた寝てしまいました。
夢のなかでは、まだ行進がつづいてました。
そのなかに、私もいて、下を向いて歩いてました。
いつになったら、この夢を見ないですむようになるんだろう。
保健所のあの部屋にいっしょにいた犬たちは、
もうみんな殺されてしまったのかな。
こんな夢もみました。
山のように積まれたブリーダーのケージのなかに、
人間の子がいっぱい入れられているのです。
親にじゃまにされて捨てられた子がいました。
両親が戦争で死んでひとりぼっちになってしまった子がいました。
こういう子たちは、どこへ行くんでしょうか。
いのちって、ナンですか?
ワウ〜ン!
メイは、いまでもトラウマを背負っていますが、お兄ちゃん、お姉ちゃんからいろんなことを教えられ、ママはどこにも行かないと安心しています。
こんな私をサポートしてくださってる皆さま。
心より感謝しております。
ほろよい買わせていただきます(泣)