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孤独を好む遺伝子

孤独を好む遺伝子というのが存在するかも知れない。

僕は昔からわりと一人が好きだった。逆に集団で作業することは苦手だ。

さっきふと気になって「孤独を好む遺伝子」でググってみたら二つほどの研究が出てきた。要点をまとめると以下のようになる。

アメリカの心理学雑誌に掲載された、カリフォルニア大学の心理学者シャーリー・マクガイアの論文で、「孤独」を好む遺伝子の存在が示唆された。
イギリスで、45万人を対象に行われた研究では、15の遺伝子座の変異が、「孤独感」と強く関連することが示された。

記事によると、「孤独」を求める遺伝子は、人々が一つの場所にかたまることを防ぐ役割があるという。もし天変地異や重大な感染症があった際、集団で行動していると全滅してしまう。孤独を求める者が新天地に足を踏み入れることで、人類の生活圏の拡大を行ってきたとも考えられる。

孤独遺伝子の存在はまだ確定しているわけではないが、一人を好む傾向にある人は僕を含めたくさんいると思う。と、同時にどうしても集団に馴染めない人も存在する。

そんな中、学校では「集団活動」が強く求められている。

とあるYouTuberが、小学生時代に給食をグループで食べることできず、保健室で食べていたと発言していた。学校では給食の時間になると、班で机をつけて一緒に食べることが多い。彼女にとってはそれが精神的苦痛以外の何者でもなかった。

最近では、アクティブラーニングが学校教育で推し進められ、グループでの対話的な活動が授業に取り入れられている。私の実習先の国語の授業では、すべての時間でグループ活動が行われている。

たしかにアクティブラーニングで求められているような対話的な学びは学習において大切な要素である。しかし、集団活動が苦手な児童・生徒にとってみればそれは地獄そのものである。そもそも学びとは「個人」の活動であり、そこに他者との「協働」がうまく絡んでいくことでよりよい学びが生まれる。決して「グループ活動」が学びの目的ではない。

かつて授業中は一人の時間だった。そこでは休み時間の集団遊びや、集団給食から解放されて、孤独に思考することが許されていた。

しかし、最近では授業中にまで「集団でいることの強制力」が入り込んできた。孤独を求める児童・生徒はどこで一人になればいいのか。

「学校で社会性を学ばなくてどうする!グループが嫌なのは単なる甘えだ!」

という精神論者は未だに多い。しかしそのような精神論には感情論でぶつかるしかない。

「嫌なもんは嫌なんだ!できないもんはできないんだ!」

社交性がある子もいれば、一人が好きな子もいる。学校はさまざまな価値観を認める懐の深い場所であるべきだ。孤独を求める児童・生徒を学校教育によって「全滅」させてはならない。











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