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050 型と想像力

同じものを見ても人によって感じ方は違う。

先日、能楽のワークショップに参加してきた。ゲストハウスを回っている中で、たまたま出逢った人から紹介され、急遽参加することになった。いつもなら無難な選択肢を選ぶところだが、外に出ていることもあって躊躇なく「行きたい!」となった。結果、かなり響くものがありよかった。

能楽とは、「能」と「狂言」を含む古典芸能で、 古くは「猿楽(さるがく)」と呼ばれた。テレビのない時代なので、能楽が一般的な娯楽だったらしい。ちなみにテレビ番組などの「番組」は、能楽に語源があるそうだ。演目を書いたプログラムのようなものが番組と呼ばれていた。

喩えとしておもしろかったのが、能はオペラで、狂言は吉本新喜劇というもの。能はどちらかというと真面目な演目が多く、狂言は笑いを誘うものが多い。また、能は演者が言葉を発しない(歌い手がいる)が、狂言は言葉での表現もある。

ワークショップでは下記のようなことが行われた。

  • 能と狂言のそれぞれ一部を実演

  • ある表現を参加者が体験

  • 現代的な物語を能楽で表現するとどうなるか

  • 参加者からの無茶ぶりに、能や狂言で応える(スノボのハーフパイプを能や狂言で表現するなど)

  • 質問コーナー

その中で感じたことがある。

  • 型の大切さ

  • 歴史、伝統をつなぐことの意味

  • それでも多くの人に親しんでもらいたいという想い

型はとても重要だ。間違った動作は、伝わる意味が変わってしまう。その型を正確に表現することがとても大切になる。それが伝統をつなぐことの大切さに直結するのだが、歴史にない動作はできないのだ。能にはあって狂言にはない表現もある(食べる動作など)。

それでも、現代劇風にアレンジをしてみたり、オペラや新喜劇のような喩えを交えたり、少しでもたくさんの人に身近に感じてもらいたいという想い、熱量を感じた。伝統を守りながらも、独りよがりにならない柔軟な考えが、このようなワークショップを実現したのだと感じた。

無茶ぶりのコーナーで、演者の先生方がどう表現するか悩んでいたときに発せられた言葉が印象に残る。

「想像力を働かせて見てくださいねw」

決まった型でしか表現できないということは、表現に限界があるということ。その動作が何を表現しているのかと、想像力を働かせて見ることで楽しみも増すことになる。また、観覧者によって、同じ動作でも違った捉え方をする可能性もある。すべては受け手次第。それなら楽しく想像しながら見た方がいいに決まっている。

映画でも、舞台でも、テレビでも、誰かとの会話でもそうですね。ちょっと今までと違った捉え方ができるようになると、より一層楽しめる気がする。

想像することは楽しい!

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