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自分を好きになれた?【エッセイ】

改正版。


Retreat

私の母校で年2回行われる伝統行事、リトリート。
その行事で得られるものの豊かさと言ったらこの上ない。

英単語のretreatの直訳は、「静修・避難」。

近頃、様々な場面で使われるリトリートという言葉には、

数日間住み慣れた土地を離れて、仕事や人間関係で疲れた心や体を癒す過ごし方

リトリートが意味する“向き合う時間” 今すぐ実践できる4つのアイデア | ELEMINIST(エレミニスト)

という意味がある。

母校のリトリートは、様々な学生や、教職員が、学科や学年、立場の壁をはらって、1泊2日を共に過ごすことにより、普段得られない特別な出会いに巡り合える。
私も、心から通じ合える親友ふたりと、リトリートで出会うことが出来た。とても早い人生の恩恵である。

私は、1年次から縁あって実行委員として、参加し、2年生の時には、実行委員長を務めた。

実行委員は、事前準備、広報活動、当日の段取り、参加者の学生や、教職員の誘導など、多岐にわたっ役割が任されている。

2日間の主なイベントは、こちらのラインナップ。

①様々な方面で活躍されているゲスト講師による講義

②講義を振り返り、各自考えを話し合う、グループトーキング

③和気あいあいと楽しむ、夕食

④夕暮れの中行う、キャンドルナイトサービス、瞑想の時

⑤自由時間・茶話会

⑥センターの周りの自然を満喫する朝散歩

このハードスケジュールともとれる2日間を共にし、出会った新しい友と、一期一会ではない深い仲を築くことが出来る。


自分と向き合い、見つめなおす

大学1年生の時、初めてのリトリートで、講師とお話した私は、自分の心の中に深く残る悩みや、過去のトラウマ的な経験について、これまでの人生で最も深く、みつめ直した。

若い女性の講師は、私の話に耳を傾けどんな思いにも寄り添ってくれ、泣きじゃくる私の手に自身の両手をかぶせ、無秩序に語られる話を全てくみ取ってくれた。

私の想いをまとめ復唱し、悩みや後悔に関係する全ての人の幸せのために祈りを捧げてくれた。
今思い返すと、茶話会に集まった団らんのひと時に、ひとり泣いている私をその場にいるすべての人が優しく見守ってくれていたのかと思う。

初対面の相手にこんなにもすべてを打ち明けられ、これまでこらえていた気持ちが溢れ出て、晴れ晴れするほどに涙を流せたことに驚く。

このリトリートの時間が持つ静かな優しさと、人々の温かさに感激したと同時に、この時を共にした全ての出会いに感謝が芽生えた。


それから数年、私の大学生活には、数多の試練が襲うこととなるが、リトリート、さらにはリトリート実行委員を経験した私は、自身の心について、少し客観的に観察するようになった。

今の自分は、こう感じているんだなあとか、今日の気分の調子はどうかなとか、これまであったように自分を責めることが、少なくなった。
人と比べることなく、自分の生活や気持ちの変化に寄り添い、ペース配分を
把握できるようになったと思っていた。らしい。


大学3年の冬以降、自分と向き合うことについて何度も再認識させられることとなる。

それからというもの、このリトリートでの体験をたくさんの学生に味わってほしいと、継続的に実行委員としての広報活動や、開催にあたっての準備に熱心に取り組んだ。

リトリート実行委員会に集まる学生は、本当に仲が良く、お互いにひとつひとつの出会いに価値が見いだせる関係性で、いまどき稀有で貴重な存在だ。


いつもとは違う形で

そんなリトリートも、コロナ感染対策の関係で、日帰りのプログラムで開催される年もあった。

私は、少しでも学生が楽しめる行事に出来るように華を添えたいと、職員の方々と相談し、キャンドルサービスの時間に、フルートの演奏をさせて頂いた。

竹内まりや「いのちの歌」をフルート独奏で演奏。伴奏を用意できず不安が残ったが、学生、教職員から好評を頂けて、安堵するとともに、少しでもリトリート定見に貢献できた気がして嬉しかった。


人間であること

リトリートで得たことは、「望みを捨てない」こと。

近年、様々な感染症や現代病、気候の急激な変動に、地震や水害をはじめとした自然災害など、当たり前に出来ていたことが当たり前に出来なくなっている。
これまでの当たり前は、ずいぶんと失われた。

グループトーキングで語り合った学生もそれぞれ困難を抱えていた。

人は自分の計算で成り立たなくなった時に絶望するらしい。

前にも後ろにも、右にも左にも進めなくなった、絶体絶命の時、そんな時でも望みを捨てないこと、それが生きるということなんだと、話し合った。

「望みを捨てないことが、生きるということ」

すなわち、人間が人間らしくあることである。


困難の中でも、望みを捨てずに生きること。

まだまだ若い私に出来ることは、様々な学問や哲学に触れ、色々な体験をし、将来を長い目で見出だすこと。

改めて、人間らしくあることの大切さを感じさせてくれたリトリートの場に感謝する。

母校の、目玉行事のひとつ、リトリートが細く長く続くこと、そして多くの学生、教職員の救いの時となることを願っている。


リトリートで出会った友人2人との、信州旅の記事もあわせて読んで頂けると、嬉しいナ。


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