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普通

「『普通』ってなんだろう?」
社会人になってから数えられないほど頭に浮かんだ言葉だ。

同期の女子が「あだ名」で呼ぶ人は親しい仲で、「○○さん」と呼ぶ人は距離を置きたい人と区別をしているという。
話を聞いていると彼女が親しい仲だと判断している人は、お酒が飲めてフットワークが軽く、自分と気軽に話をしてくれて、自分の話を気軽に楽しく聞いてくれる人のようだった。
確かに彼女はお酒も強く、明るく気さくだ。良く言えばエネルギーがたくさんある人で、ネガティブに言うと大学生ノリが抜けていない人だ。

僕は大学生ノリがある女の子が好きではない。
声が無駄に大きく、そしてキーが高い。少し遠くにいても、「あ、いるな……」と分かる特有のノリを持つ。また、その話のどこが面白いのだろう? と疑ってしまうほどの話を、信じられないテンションで話していたり、その話のどこに愚痴の原因があるのだろう? と疑問に思ってしまう話を、悲劇のヒロインになったテンションで話していたりする。さらには、発表のリーダーなど人前でなにかをすることは躊躇するのに、率先して飲み会を開いたり飲みの場を取り仕切りたがったりする。
近くにいると圧倒されてしまうため、このノリを持ち合わせている男女が苦手だ。しかし社会で好まれるのはこのタイプの人間なのだ。エネルギッシュで明るく、積極的に行動することが「若いっていいね」と持て囃される20代前半男女の「普通」なのだろう。

休日は録画した番組を見る、noteに文章を書く、家族の買い物についていく、1時間以上の散歩をする、で成り立っている。以前ある人にこのように休日を過ごしていると言うと「老後じゃん」と言われた。その言葉に受け身が取れず、そうですよねぇとへらへら笑うしかなかった。
20代前半がこのような休日を過ごすことは、年不相応に捉えられる。一般的な20代ならばもっと色々な場所に行って、様々な体験をし、日々を豊かにしていかなければならないのかもしれない。
僕が過ごす休日は「老後」と言われたことから、他人から見たら刺激が少なく体力がなくてもできそうなものばかりと思われている。しかし僕から言わせれば、これもこれで刺激があるのだ。
散歩をすれば季節の移り変わりを感じることができる。買い物についていけば美味しそうなもの、綺麗なものを見てワクワクする。テレビを見て笑って、日々起きる嫌なことと反省点を忘れることができる。そして、noteで自分と向き合い、言葉に落とし込む作業は没頭ができる。どこかへ行かなくとも日々は豊かになっている。

普段はそこまで気にならないけど、掘れば掘るほど変わっている人が僕は好きだ。
電車で片道1時間の海が見える場所へ、23時に家を出て3時間超かけて自転車で行き、真っ暗闇の海の向こうを眺め、また3時間超かけて家へ戻ってくる頃には辺りはすっかり明るくなっていた、という奇行に走る友人。
周りの環境が不遇で自分の良さが全く出ず高校時代は暗黒だった、と語りながらも、卒業式に今まで同じクラスになったことがなかった女子から「ファンです」と宣言されたまんざらでもない様子で話す、今まで会ってきた人の中で話術がダントツに面白い友人。
話してみるとピュアすぎるがゆえに言動が突拍子ない、だけどどこか憎めない、とても可愛らしい同期。
彼らは自分の変な部分を意識的になのか、無意識になのか分からないが、隠しながら生きている。人の個性は十人十色とよく言うけど、僕の好きな人たちはまったく被ることなく、ちゃんと変人で、普通ではない人なのだ。

ちょっと変わった人が好きで周りにいるからこそ、普通とは何なのか、と考えてしまう。
大学は友達をたくさん作って遊んで楽しむ、勉学はその次、という認識が普通で、友達が一人もおらず教室の一番前の席に座り真面目にノートを取る、という認識は普通ではないのか。
社会人は働き、終業後には同期や職場の人と愚痴を言い合いながら楽しく飲み、明日への働く活力にするという認識が普通で、働いた後も酒が飲めないからと繁華街に出没せず終業後は真っ先に家へ帰り、録画した番組を見たり、文章を書いて毎日同じ時間に布団に入る、規則正しい生活をすることは普通ではないのか。

僕の苦手な女子の同期に「○○(いさをの本名)さん」から「いさを」とあだ名で呼ばれたときには、僕は僕でなくなると思う。
なぜなら僕は普通でいることに、興味がないからだ。


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