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エッセイ

僕は文章を書くことが好きだ。
だけど、論文を書くとなると、途端に頭を抱えていた。
起承転結を踏まえて書けばいいのは分かる。テーマに沿って起承転結を立てることもできる。そこから先が、頭を抱えるポイントになるのだ。

「いさをさんは、読ませる文章を書けますが、論文は無骨でも構いません」
珍しく、渾身の出来だと胸を張って提出した論文。先生が添削したものに書いてあった一文だ。
ニュアンスで書いてあって、何が言いたいのか分からない部分があると一刀両断された。泣く泣く修正しながら、「あぁ、楽しく文章を書きたい……」と思った。

僕は文章を書くことが好きだ。
だけど、小説を書くとなると、途端に飽きがくる。
こんな設定どうだろう? 面白いかな? と思い、キャンパスノートに大まかな概要を書いていく。それを元にパソコンで小説を書いていくのだが、序盤で飽きてしまい続かない。

短編小説を書いて、みんなで見せ合う授業を今年の秋学期に受けていた。noteでも文章を書いているし、小説も書けるだろうと少し自信があった。秋学期の中盤に差し掛かる頃、一つ目の短編小説を提出した。その次の週、受講者約20人、全員の小説を読む機会があった。明らかにレベルが違う小説を書いている人が3、4人いた。
ストーリーが思いもよらない状況の中で繰り広げられていたり、表現方法が秀逸で引き込まれたりと、すごいな……と驚きながら読んでいた。

大学では論文、レポート、短編小説と、軽くしか触れてこなかったが一応書いてきた。
だけど結局、エッセイに戻ってくる。
なぜなら、良くも悪くも自分の中でしか物事を考えられないからだ。

論文では調べた結果や事実に基づいた情報を取り入れなければいけない。僕の場合、作家がどのような育ち方をしてその考えを得て、この作品に取り入れたのかというのは予備知識で入れておきたいだけで、本当はこの作品を読んで僕はこう思った、という読書感想文を書きたい。
小説では、自分とは違う第三者が登場人物として物語の中心を担っている。自分が味わったことのない世界を広げて想像して書いていくと、どうしても登場人物に感情が乗らない。自分が体験したことを基に書いていくとしても、それが面白くなるとは思えない。そして自分をモデルにしてしまうと、恥ずかしさが勝り、書いていてつまらなくなる。

自分のこと、思ったこと・考えたこと、内面で起きたことは好きなように、楽しく書ける。エッセイを書いている自分が一番イキイキしている。何か書きたいことが思い浮かんだら、とても嬉しくなる。風呂場でネタが思い浮かんだら、びしょびしょのまま風呂場から飛び出しパソコンを開きたくなる。

ひとりよがりでわがまま、自分の枠の外で起きることに興味がないのかもしれない。
社会で過ごすためにはこの性格は早急に直さねばならないだろうが、ここでは書きたいことを楽しく書くことができる。
noteに、そしてエッセイに憑りつかれた僕は、書ける限り、書き続けていくのだろう。



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