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28歳、弱かった僕。クビにしたんだ。親子ほど年の離れた、65歳の従業員を。
「ゴルフはいいですよ、自分の成長が感じられる」
Yさんは本当にゴルフが大好きだった。長年営業マンとして務めた商社時代に、死ぬほどゴルフをしたのだという。
65歳とは思えないくらい背筋がピーンとはり、スタイルもバッチリ。
だるんだるんの僕よりよっぽど体力もある。
「インパクトの時にボールを見すぎない、前を見て抜くようにーーー」
ゴルフに限らず運動が苦手な僕は、Yさんの指示にしたがって、30cmくらいの練習用ゴルフクラブを不格好にブンブン振る。
ボールはそこにない、ただ素振りだけ。しかし、これが難しい。
「いいですね、その感じですよ〜」
Yさんは本当に褒めるのが上手だ。長年培った社会人経験と持ち前の明るさで、いつだって楽しく話しかけてくれる。
Y「ゴルフ、やってみるといいですよ」
僕「いやあ...機会があれば...」
Y「社長なんだから、いずれ、誘われますよ〜」
そんな会話をよくした。
40歳ちがいの、社長と社員
Yさんが僕の会社に応募してきたのは、ハローワークの求人経由だ。事業の拡大と安定を考えていた僕は、Yさんの履歴書を見て驚いた。
「元"営業所長"経験あり」
Yさんは1事業所のトップを勤め上げた優秀な方だった。
年齢は私よりも40歳近く離れているが、なんだか心が通じた。シンパシーも感じた。おそらく、僕自身も、営業からキャリアを始めたからだと思う。
Yさんには、営業アシスタントとしてサポートをしてもらうことにした。
その裏で、仕事はガンガン増えていた。
僕はカレンダーを埋め尽くすように予定を入れていった。
カレンダーに空白ができると、罪悪感のようなものを感じた。もっと成長しなくてはいけない、もっと伸びなければならない。
このあたりから、僕のエンジンにギギギ...と異音がなり始めていた。しかし、毎日フルスロットルの僕は、異常に気がつけなかった。
上記は当時のGoogleカレンダーの予定。ランチタイム以外は、朝7時から仕事をして、徹夜も多かった。
終わりは突然やってくる
ある日僕は、僕の会社にいけなくなった。
朝、驚くほど体が重く、ベッドから出られない。
なんとかベッドから降りて床で這いずり回ったことを覚えている。それでも、会社にいけない、行きたくない。
僕は、僕の会社に行くことを、僕の意思でボイコットした。
僕の頭の中の、戦争
コンサルタントという職務上、僕の生活を埋めていたのは、クライアントとのミーティングだった。
ひどいときは、一日に10ミーティングも入っていた。10プロジェクトを同時に頭で処理をする。これは、人生で一番キツかった。
そして一つ一つのプロジェクトが、重い。
・事業承継支援
・民事再生企業支援
・家族間で揉めている企業のDX支援
・会計士/税理士とのバトル(無論、望んでないのだが...敵対視された)
また、トラブルの可能性とは常に隣合わせだ。コンサルという無形商材の一生の悩みだと思う。期待値のズレが1mmでもあると、大事故につながる。
僕の頭の中は常に疑心暗鬼だった。何か一つ単語を間違えるだけで、物事が転覆するのではないか。
僕の周りからすべての人がいなくなるのでは。
実はクライアントは、僕に価値を感じていないのでは。
僕は僕の頭の中だけで、意味のない銃撃戦を繰り返した。
"コミュニケーション"の換金という地獄
しかし、これほどまでに苦しく、絶望的なクライアントワークを、僕はやめられなかった。
なぜなら、僕の会社は僕が顧客と会話することでのみ、お金を得ていた。
僕が止まること=会社の死だ。
会社の成長とは、僕が、人生を顧客との会話に捧げることでもあった。
"コミュニケーション"を換金していた。
考える時間を与えられて
僕の頭の中で何かがはじけ、限界を迎え、しばらく会社を休んだ。
段々と落ち着いてきて会社のことを考えられる時間が増えた。
僕は、僕自身で、僕を追い込んだということがよくわかった。
成長しなくては、従業員に給与を払わないといけないから。
だから、頑張るんだ。
これはなんともおこがましいと思った。僕は苦しくなるために従業員を雇ったわけではないはずだ。
それは従業員も同じ。社長がメンヘラになるために入社したわけではない。
ましてや、社長がぶっ壊れる原因にされるのは、従業員から考えたら「おかしい」話だ。
この小さな世界は、誰の幸福にもならないし、まとめ上げるスキルと自信が、僕にはなかった。
僕は、僕の意思で人を雇ったが、
僕の都合で、
従業員を解雇することに決めた。
「大丈夫ですよ」
Yさんに解雇のこと、給与の支払いのこと、最終出社のことを伝えた。もっと反対や驚きがあるかと覚悟していたが、
「わかりました」
とあっけなく理解してもらえた。
頭の中を、汚れたヘドロみたいなものがぐるぐるしていた私は、正しい思考がなかなかできなかった。
当日何を伝えたのかもよく覚えていない。
ただひたすらに申し訳なかった。
もっとああすればよかったのか、もっとこうしたらいいのか。
かっこいい経営者は、退職金でも支払うのかな。Yさんの次の職場を探してあげるべきなのかな。
素晴らしい言葉をかけるべきなのか。
ウダウダ考えている僕をよそに、Yさんは僕にこういった。
「大丈夫ですよ、私は私で、また、やることを見つけますから」
そういうと、Yさんはいつものピッと伸びた背筋のまま、ニヤリと笑ってみせた。
さり際、Yさんは僕に
「そうそう、あの練習用ゴルフクラブ、社長にあげますよ」
と言った。
"経営者"という立場にあぐらをかいていたのかもしれない
最後まで失礼だったのは僕の方だ。40歳も年上で人生経験の豊富なYさんを守ってあげなきゃとかサポートしてあげなきゃとかグチグチ悩んでた僕が馬鹿だった。
社長と従業員、だからといって、守る側と守られる側と分けるのがおかしい。対等な人間なのだから。
Yさんのほうがよっぽど、状況をよくわかってくれていた。そして、自分の人生は自分で決める。その意味も込めて「大丈夫」と言ってくれた。
僕は、経営者であるという立場を利用して、思考停止していた。
もっと人と人として、向き合うべきだったのだ。
僕はモヤが晴れたような、スッキリしたような感情が滲み出してきたことに気がついた。しかし、もっと、はやくからYさんを頼ればよかったという、悲しい気持ちも、流れ込んできた。
感謝と後悔のシャワーの水が、僕の頭の中のヘドロを、ゆっくり洗い流していった。
あの失敗があったから
僕は、人を雇い、前に進み、転び、病院に通い、出会い、別れ、そして、成長したり、後退したりした。
しかし、これでいいのだと思った。
悩みがないという人のほうが少ないと思う。
自分の人生は自分で生きていくしか無い。
社長だろうと従業員だろうと、乗っている船は別の船なのだ。
僕が間違えたのは、人を雇ったことでも、解雇したことでもない。
僕の船に誰かが相乗りしていると勘違いし、他人の人生まで背負おうとしたことだ。これは、おこがましいことだった。
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春の嵐のあと、夏がやってくる。
スカッとした長野県にはたくさんのゴルフ場がある。
僕は、今年、人生初のゴルフに行ってみようと思う。
Yさんからもらった、30cmの小さな練習用ゴルフクラブ。
僕は大きくフルスイングしてみる。
不格好なスイング。
しかし、これはこれで、いいのだ。
Akihiro Iryo
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