「にいに」になった3歳に、無条件の愛を信じてもらうこと。
不安になるほど暖かい12月の初旬。
我が家では重い重い腰を上げて、3歳になった息子のトイレトレーニングを開始した。
「○○くんもお兄さんパンツになったの」
「△△ちゃんもお姉さんパンツなの」
という言葉をぽつぽつ言い始めたのが1か月前。
ついに時がきたか、と思った。
息子はしっかりと外面があるタイプで、みんながパンツになったら頑張れるだろう。
いままで家のトイレに断固入ってくれなかったけれど、この小さな萌芽を利用しない手はない。
ちょうど予定のなかった日曜に、一年ほど前からタンスに眠っていたお兄さんパンツを履かせてみた。
ものの、3連続でおしっこ漏れ。
まだまだかなーと思いながら洗濯をした月曜日、息子は発熱で保育園を早退した。
洗濯物を見上げながら、「お兄さんパンツはく…」と言う。
よくある家に帰ると熱がないやつ(本当に不思議!)で、息子は元気。
発熱翌日は登園できないルールなので明日も家にいることになる。
まあ、せっかくならばと、もう一度パンツを履かせてみた。
今度は30分ごとにトイレに誘う。
「でた」
「えっ??」
なんと息子、今度はちゃんとトイレでできた。
トイレの飾りと化していた「トイトレシール表」にシールを貼って、ハチャメチャに褒めた。
「すごいじゃん!」「上手にできたね!」「でも失敗しても大丈夫だからね」
また30分後にトイレに誘う。
「でた」
「ええーーーー??」
大好きなトイレットペーパーを出してちぎって自分で拭いている。
男の子は拭かなくても…という言葉を飲み込む。息子の場合、やる気になっているときに細かいことを言って水を差すのは絶対に悪手だ。
傍らの息子は自分でシールを選んで貼って、にんまりしている。
あれよあれよと、一声かければトイレに行き、子供用便器を自分でセットし、用を足して拭いて流してシールも貼って出てくるようになってきた。
「そろそろトイレ行く?」
「あ、そうだそうだトイレ行かなきゃねーー」
なんて素直なんだ。…これは素直すぎる。
その翌日には、得意満面でお兄さんパンツを穿いて登園した。
園の先生たちにも報告しまくっていた。
みんながお兄さんパンツになっていく…という焦りを感じていたのだとしたら、それを払拭できて良かったとも思った。
*
一方でその怒涛の二日間、息子の夜泣きが激しくなった。寝ながら泣くようなもので、泣き出すと抱きしめても声をかけても届かない。
三日目の夜。
ベッドに入って、息子をぎゅーっと抱きしめた。
「息子くんが大好きだよ」
「今日もお兄さんパンツできてすごかったね」
「でも、もしお兄さんパンツできなくても、息子くんのこと大好きだよ」
「……そうなの?」
黙って抱きしめられていた息子が、きょとんとした声で返してきた。
ああ、やっぱり。
息子は、私に褒められたくて、注目されたくて、好かれていたくて頑張るのだ。
それが悪いことだとは言わないけれど、それは息子の中で知らず知らずのうちに、「褒められないといけない」に変換され、プレッシャーになることがある。
そんな必要はもちろんまったくないのだけれど、それは親が思っているだけでは伝わらない。
ちっちゃいちっちゃい新生児の娘が家に来てから、息子は自ら「にいに」になった。
「あまりお兄ちゃんと呼ぶのはよくない」という説もある中で、どう対応していこうか逡巡していた私たちをよそに、娘が泣けば駆け寄って抱きしめ、うんちをしたらオムツを持ってきてくれた。
相変わらず激務の夫。平日はほぼワンオペで現実的に手が足りない中で、私もついつい息子が手伝ってくれたことを喜んでしまう。
「ありがとうー!」
「すっごい助かったよ!」
元来、褒められると張り切るタイプの息子のこと。どんどん積極的に助けてくれるようになっていった。
そのうち、「大人じゃーん」なんておどけていうと、「大人じゃないよ!お兄さんだよ!」と言うまでになった。
「えー、自分でご飯ピカリンできるの!?おとなじゃーん!」
「大人じゃないよ!おにいさんだよ!!」
なんていうふうに。
実際、この半年で息子は一気に成長した。2歳半から3歳というタイミングもあっただろう。
娘に手が離せないときなんかに、少し難しいかな?と思うことも「やってみて!」と言っておくと、思いのほかできることが沢山あった。
着替え。オムツを履き替え、古いのを自分でトイレのごみ箱に捨ててきてくれる。
服を自分で用意して、着る。前後が逆なことも多かったけれど、気づけばだいぶ正しくなってきた。
ご飯もほとんど自分で食べて、食後は食器を洗い場に持ってきてくれる。
自分で頭も洗えるし、洗面器に妹用のお湯を用意してくれる。
会話もかなりの内容を理解していて、息子に聞かれたくないことは目の前で話せなくなってきた。
こうして言葉を並べると順調に見える。
でもどこか、このままでは行かないだろうな、頑張りすぎているだろうな、と思っていた。
思えば保育園に入った時は、家に帰れば30分でも1時間でもハグの時間が必要だった。
下の子を妊娠した時は、保育園でハグ魔になっていると聞かされた。
トイトレやお兄さんを頑張る一方で、何か溜まったものが夜泣きになっているんだろうなぁと思った。
細くて骨ばった息子の体。
小さいとはいえだいぶ細長くなり、相変わらず温かい体を、布団の中で私に押し付けるようにくっつけながら、「そうなの?」と聞き返す息子の声に、とても素直で切実な問いかけを感じる。
きゅーっと切なさを覚えつつ、力を込めて返事をした。
「当ったり前だよ。おしっこできるから好きなんじゃないんだよ。
息子くんは、お兄さんパンツじゃなくても、お手伝いしてくれなくても、もし妹ちゃんに意地悪しちゃうことがあっても、かかと、ととの、特別大事な息子くんだよ」
ぎゅーっとぎゅーっとして、だいすきだいすきと言って、「おやすみ」というと息子はいつもより心なし早く眠りについた。
そしてその日の夜泣きは、その前の二日よりもだいぶ浅いものだった。
*
「かか、テレビが聞こえないの」
その数日後、娘がぐずって泣いている時、息子が初めて私に不満げに訴えた。
怒っているわけでも、文句をいうわけでもなく、ほとんど困ったような、少し甘えるような表情で。
娘が生まれてあっという間に半年。娘の泣き声に対して息子が何かを言ったのは初めてだった。
お、と思った。そしてなんだかほっとした。
両親のあふれる祝福や喜びとともに家に登場したちいさな妹に、きっと息子は戸惑っただろう。
盛大に赤ちゃん返りをする一方で、家庭でのポジティブなポジション取りとして「頼りになるにいに」を編み出した一面があったろうし、私もそういうふうに仕向けた部分もあった。
息子に役割を与えて、褒めて認めて成長を見守ってきたそれが、丸ごと悪いとは思えないけれど。
その中で、今まで我慢してきたのであろう、娘ちゃんの泣き声に対して、不満を言ってもいいと判断したこと。
「お兄ちゃん」を頑張るだけのところから、少し自由なふるまいをしたことに、ちょっとした前進を感じた。
これから先も、無数の、このくらいささやかな前進を繰り返していくんだろう。
そのたびに忘れないようにしたい。
何度でも、何が起きても起きなくても、存在すべてが無条件で「大好きだ」と伝えることを。
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