しぬなよーと、抱きしめてばかり
語弊があるけれど、10年も経って、こんなに、3.11を辛く感じる日がくるなんて思っていなかった。
テレビをつけても、ネットを見ても、3.11の特集や記事が溢れている。
それをいちいち読み入っては涙が止まらない。胸が塞ぐ。
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不謹慎の極みだけど。
昔、親と関係がうまくいっていなかった頃、親が死んだり、離婚する漫画を読んでは、羨ましいに似た気持ちさえ抱いていた。
大人になり、母がなくなり、父がしょんぼりして、さすがにそこまでの嫌悪感はなくなったけれど、
いわゆる「家族」というものがなんだか遠く、やっぱり人ほど思い入れがなく、「家族」を失う痛みというものが、差し迫ったものとして感じられていなかった。
そんな私に子どもが生まれて、早4か月、日に日に可愛くなっている。
寝起きに私の顔を見ては安心したように笑い、
こしょこしょすると声を出して笑い、
姿が見えないとわんわん泣いて、
でもいるのがわかった途端に、やっぱり満面に笑う。
もう、こんなにかわいい子が死ぬなんて耐えられない。耐えられないだろうどう考えても。
子どもを可愛いと思えば思うほど、子どもが死ぬニュースが胸に響いて堪らない。
津波の中で、親に助けを求めただろう子ども、
虐待されても、最期までお母さんを好きな子ども、
そういう姿が目にありありと浮かんでくる。なんなら、うちの愛しい息子バージョンで。もう堪らない。嫌悪感で身の毛がよだつ。恐怖に背筋が冷たくなる。考えるだけで耐えがたいような別れが、あの日、何千何万と急襲したのだと思うと気が遠くなる。
子どもだけじゃない。子どもを鎹にして、夫も、親も、親戚も、人との関係がなんだか全体に近くなった。
息子を溺愛し、私を今まで以上に大事にしてくれる夫、孫の成長を目を細めて見守ってくれる双方の両親、良かったねぇと声をかけてくれる親戚たち。
みんな長生きしてほしい、そんなことをしみじみと願うようになった。
産後、自分は意外と変わらないなぁ、と思っていたけれど、全然そうじゃないのかもしれない。
根本的に変わりつつあることに、特にこの一週間ほどで気づかされた。
3.11で家族をなくした人の特集を読んでは、ご飯を与えられずに餓死した子のニュースを見ては、
そばに寝転がって、オーボールやら歯固めやらおくるみのタグやらをガシガシかじっている息子を抱き上げてつよく抱きしめる。
しぬなよー。お母さんより先にしぬなよー。
息子はきょとんとしながらも、おとなしく抱きしめさせてくれる。
ぎゅうぎゅうぎゅうと抱きしめて、テレビを消して、お腹の上でまた抱きしめて、左右に転がってこしょこしょして息子が笑って、やっと日常を取り戻す。
もう、こんな日常が誰からも失われませんように。