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人生最大の推しに突然最強形態が実装されたり別の推しの出番が倍になったりするアニメ

人生最推しの最強形態実装(原作完結から9年越し)

人生の3分の2以上をオタクとして生きてきた。

対象は少年漫画だったりホビアニだったり女性向けアニメだったり二次元アイドルだったり児童向け特撮だったりするが、とにかく何かしらのオタクとして生きてきた時間が人生の多くを占めている。

そんな人生の中で最も好きなキャラは誰かと聞かれると、

『BLEACH』の石田雨竜である。

私は学生時代に膝にBLEACHを受けて久保帯人先生の描く世界にすっかり引き込まれたのだが、その中で一番好きになったキャラが石田雨竜であった。

好きな理由は色々ある。
だが結局どこが一番好きかと言うと「神経質かつ繊細そうなビジュアルから繰り出される驚異的なガッツ(そして友達が大好き)」である。
雨竜が神経質なのも繊細なのも全然事実なのだが、その全てを有り余るガッツとあと友情とか義とかそういうものでカバーして爆走しているパワータイプのクールキャラである。

そして話は変わるが私は「最強形態」という概念が好きである。

これは私が某児童向け特撮シリーズが好きであるがゆえの話になるのだが、最強形態という概念はロマンだ。
その形態が出れば勝てるという安心感、逆に最強形態で追い詰められたときの絶望感、複数人の最強形態が並び立った時の興奮、いずれも筆舌に尽くしがたいものがある。

そんなわけで、私はちらっと思うことがあったりなかったりしたわけである。
「雨竜の最強形態を見たい人生だったなあ」と。

「滅却師最終形態」という名前そのままかつ戦闘力も非常に高い形態があるにはあるが、登場は尸魂界篇という原作全体で見れば比較的初期の頃。しかも一回発動したら滅却師としての能力を失うという重すぎる代償付き。

その後最終章である千年血戦篇に入ると、滅却師完聖体という、死神の卍解や破面の刀剣解放にあたる形態が滅却師にも存在することが判明した。
しかし雨竜は最後まで完聖体にはならず。聖文字と合わせたらもう確実にえげつないことになると予想出来るだけに少し残念な気もしていた。

そんなわけで私は何年も思い続けていたわけである。
「雨竜の完聖体ってどんななんだろうなあ」と。

そんな事を思っているうちに2022年、千年血戦篇のアニメが始まる。

久保先生が総監修として携わっている上に原作理解度が高すぎるクオリティの高い映像で物語が映像化される中、第1クール、第2クール訣別譚と雨竜の出番は原作にないシーンを交えてなんか着々と増えていた。

そして訣別譚の放送中盤には私はうっすら思い始めていた。
「これもしかしたら雨竜の完聖体ワンチャンあるんじゃないか」と。

ただ、いくら訣別譚の最終話で「修多羅千手丸の卍解」みたいな知らん卍解を急に出されたからって、原作でほとんど使ってなかった血装を雨竜が喧嘩殺法的な使い方してたからってそんな……そんな、ねえ?とも思っていた。

だが第3クール相剋譚の先行上映会、雨竜がほとんど独力しかも原作読者も知らん能力も使って零番隊千手丸を単独で撃破したのを見た時、私は悟る羽目になった。

「雨竜の完聖体ワンチャンどころじゃない」

そして相剋譚30話にて、実現した。

原作完結から9年後に放送されたアニメ版で、「石田雨竜の滅却師完聖体」という相剋譚最大のサプライズが

その能力も「大量の小さな矢を操ってのオールレンジ攻撃+自在な飛行能力による機動力上昇」というあまりにも雨竜らしいもの。
力押しにはどうしても弱いが真世界城の環境バフもあって火力は高く、後の放送話で見られるように技はバリエーション豊富。
しかし30話の内容自体は「織姫たちの目の前での一護対雨竜(しかも最終的に一護敗北)」という非常に辛い展開だったので私は合間のユニアリ学マス弾CMの花海咲季さんに助けを求めていた。女子高校生に助けを求めるな。

あとなんか放送時間の真っ最中に魂ネイションからフィギュアの発売が発表された
イベント等での参考出展や原型展示すらすっ飛ばしていきなり彩色済サンプル画像付きでの発表というあまりにも破格すぎる待遇で。

そんなことある……⁉(偶然にも某特撮シリーズから魂ネイションというブランドにめちゃめちゃ信を置いている石田雨竜のオタク)

完聖体(とてもつよい)に限らず、雨竜の戦闘シーンが盛り盛りされているのは本当に嬉しい。
第1クール1話でのスケート滑走による機動力上昇という解釈で心底感動したが、それがまさかここまで来るとは。随分遠いところに来たもんだ。

勿論追加シーンだけでなく、原作をなぞる箇所の映像化も非常に丁寧である。「最期の言葉じゃあるまいし」を聞けた時の感動たるや。
相剋譚の最終話が「MY LAST WORDS」なの、その直前が「FRIEND」「THE VISIBLE ANSWER」なのも含め構成として美しすぎる。

千年血戦篇がそもそも雨竜にスポットがあたる章ではあるのだが、アニメ版は映像もシナリオも密度が凄まじい。
久保先生が総監修としてあらゆる部分に携わるだけでなく、クラシックシリーズを担当したスタジオぴえろと一部主要スタッフが千年血戦篇アニメにも関わり主要キャストも続投という時点で、やっぱりクラシックシリーズも好きな人間からすれば本当に嬉しい。
そこに原作連載あるいはアニメ放送当時に子供〜学生でBLEACHが好きだったという人達がスタッフ・キャスト・主題歌アーティストとして千年血戦篇に参加していることもまた千年血戦篇アニメの非常に大きな強みであろう。
BLEACHに対する愛情だけでなく深い理解を持った人があらゆる方面から集結している状態ゆえのこのクオリティなのだ。
千年血戦篇のアニメ化が為されたのが今この時代であることが最大の幸運と言っていい。

原作を最大限尊重してアニメ化してくれてるの本当に嬉しい〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(割と悪い意味で原作と違いすぎるアニメ版が普通だった時代を知っているオタクによる歓喜の舞)

そしてその千年血戦篇アニメが雨竜の更なる魅力の発見に繋がっていることも本当に嬉しい。
雨竜を好きでいて良かったという報われフィーバータイムに突入しているという実感がある。

アニメ化で出番が倍になりがちな推し

千年血戦篇のアニメは雨竜に限らず、戦闘シーンが増えたり展開の構成に変化があったりでかなり多くのキャラに原作にない見せ場が用意されている。
相剋譚最終話での仮面の軍勢並び立ちとか原作のオタクのツボを押さえまくってて本当に感動した。すげえアニメだ。

そんな中、「元々の出番が少ないゆえに少し描写が増えただけで出番が倍以上になってるキャラ」もいる。

その中の1人がこちら。

石田雨竜の父親、石田竜弦である。

私は竜弦のことも推している。BLEACHで好きなキャラを3人答えろと言われたら雨竜と竜弦で2枠まず埋まる。石田親子の話をしたくてこの記事を書いていると言っても過言ではない。
というかさっき貼った公式のポストの添付画像を見てほしい。
26話のカットなのだが、原作にないだろこんなシーン。

更に言うと最近の放送情報告知ポスト、

39話のこのシーンも原作にないんだわ。

「千年血戦篇のアニメは久保先生監修の下でオリジナルシーンもしっかり入れる」旨は第1クールの頃から匂わされていたのだが、それを最初に公に示したのが第1クールPVの「原作に存在しない石田親子の会話」だったりするので、石田親子の出番が増えること自体は戦々恐々としながらも予想できていた。

そして蓋を開けてみると息子は完聖体で大暴れしてるし、父親はあの手この手で出番が増えている。
この親子だけ千年血戦篇RTAのカテゴリ変わってたりする?

元々千年血戦篇における竜弦は一心の過去回想にも学生時代の姿が登場しているが、現在の時間軸での出番は終盤に絞られている。
これは竜弦側の事情によるところが非常に大きいと思われるのだが、とにかく竜弦はかなりギリギリまで前線に来ない。

それがアニメ版だとPVにあった通り第1クール序盤から登場し、雨竜が滅却師についての真相を探るためにずかずか竜弦の私室に突入したことで私室・デスクの中身公開まで発生した。アニメ化で好きなキャラがデスクの中身(原作者監修済)まで晒されるのは初めて見たな。
第1クールでは他にも細かい追加シーン等で彼が亡き妻と雨竜のことを大事にしていることも提示され「父親」としての顔が原作以上に強調されている。

訣別譚や相剋譚序盤では「尸魂界は大変なことになっていますが一方その頃現世──」みたいなシーンが一心ともども挿入されて台詞はないが出番は増えるという事態も発生した。
「親父達のことを絶対に忘れるんじゃないぞ」というスタッフからの力強いメッセージを感じる。

そして相剋譚39話の真世界城へ発つ直前に雨に打たれながら妻の墓の前に立つ竜弦と彼を追い掛けて(あるいは迎えに)来た一心という追加シーンを経て40話ラスト、ついに父親2人が真世界城に降り立った。
39話の追加シーンやその他のシーンのインパクトが強すぎて放送後しばらく気付かなかったのだがこのタイミングでの真世界城入り、どう考えても原作から前倒しされている。
つまり竜弦の出番はまだ増える可能性が高いし、一心も第4クール禍進譚の構成によってはちょっと追加シーンがあればそろそろ出番が倍になる。凄い。

竜弦に関しては相剋譚40話で「何故聖別で一度死にかけた雨竜が無事で、叶絵さんは聖別に当たって最初何事もなかったのか」という妻子に関する物凄くでかい謎が生まれたので確実に出番は増えると思われる。宗弦って結局何者なんだよ問題も依然としてあるし。
最終的な出番が原作の5倍とかになってたらどうしよう。

BLEACHにおける一心・竜弦の父親2人は一護と雨竜それぞれの宿命の起点であるが、同時に大人になってから読むとその複雑な心境が痛いくらい刺さる
この2人は「父親であること」がアイデンティティとして非常に強い。
元十番隊隊長の死神だとか最後の滅却師だとかそう言った肩書き以上に、彼らは自分を父親として子供を護り見守りその背中を押す存在であると定義していることが様々な描写から見受けられる。
そして竜弦の場合今現在だけでなく明かされていたり仄めかされたりしている過去がなかなか悲惨なので、描写が増えれば増えるほど彼にとって雨竜の存在がほとんど唯一の生きる希望であることが伺える。
使用人がいるから辛うじて回っているだけの機能不全家庭で育った男が自分をずっと支えてくれた女性と結ばれて子供も生まれてようやく温かい家庭を手にしたと思ったら滅却師であるが故に妻に先立たれ、その上家庭を蔑ろにし続けていたクソ親父がユーハバッハを倒すため自分の息子を滅却師として育て始めた時の竜弦の心境、想像すると本当にきつい。

竜弦からしたら雨竜が一番の護るべき対象であり、その身体の安全だけを考えるなら破面篇で滅却師の能力を失わせたままにしたり徹底的に真相から遠ざけて現世に縛り付けでもしておくほうが余程安牌な筈である。(雨竜の性格でそれに耐えられるかはともかくとして)(無理そう)
それが結局雨竜が望むようにさせてやりたいという思いが勝ってしまうが故であろう、滅却師の能力を取り戻させたり妻(雨竜にとっては母)の死の真相への導線を引いてしまうという、不器用すぎる愛情ゆえのそのままならなさが私は好きで好きで堪らない。
それはそれとして、行動だけ見たら全部息子のためになってるとは言えあまりに口下手が過ぎるので「このおっさんはほんとによ……」という気持ちにならないでもない。息子とレスバするな。

ところで父親2人、「出番が増える」という現象自体はクラシックシリーズで既に発生していた。
皆さんお忘れかもしれないが「クインシー大全」という割とレアなおまけコーナーがクラシックシリーズにはあり、このコーナーの担当が竜弦(と茶化し役の一心)だったのである。
このクインシー大全、「竜弦に対して一心が何かしらの茶々を入れたりちょっかいを掛けたりして竜弦がキレて一心に八つ当たりする」という流れが基本フォーマットの、主人公の父親と主人公の友達の父親がずっといちゃついているようなコーナーである。ニッチすぎる。
滅却師についての解説をしていないこともないが、ちゃんとやってる回は少ない。そもそも死神図鑑もゴールデン以降あまり真面目に死神の解説してないしな。あの辺のおまけコーナーで真面目に解説やってたのアランカル大百科のギンぐらいだよ。
死神代行消失篇だと雨竜が一時期空座総合病院に入院しているので「一方その頃の竜弦」を見せてくれるコーナーでもあった。病院から脱走されても息子が元気にやっているの自体はちょっと嬉しそうなこの時の竜弦、めちゃめちゃ良い。

クラシックシリーズ、つまり原作で言う死神代行篇~死神代行消失篇だと竜弦の出番は多いわけではないので、クインシー大全のおかげで竜弦の出番が倍以上になっていると言ってもいい。
単発でのアニメオリジナルエピソードや死神代行消失篇でのシーン追加による出番の増加もあるのだが、クラシックシリーズでの竜弦の出番は結構な割合でクインシー大全が占めている。

しかもこのクインシー大全、竜弦の口下手が凄まじすぎて分かりづらい「竜弦は息子のことが大好き」という真理をギャグ的に誇張する形ではあるが千年血戦篇より遥かに前から語っている。怖……。
石田竜弦というキャラ、語る上でクラシックシリーズを無視できなさすぎる。

それじゃあなんで40話の尺埋めでクインシー大全をやらずにナックルヴァールが滅却師資料(クインシーダーテン)をやっていたかって言うと、

本編でこの顔してる人がクインシー大全やれるメンタルなわけがない。

MONOCHROMEの話をさせて欲しい

千年血戦篇アニメは映像だけでなく音楽も全部強い。
クラシックシリーズに引き続いて劇判を担当するのは超大御所の鷺巣詩郎さん。私はBLEACHをはじめとした鷺巣さんの劇判音楽が大好きなので劇判続投が本当に嬉しかったし、サントラを聞いては劇判の凄まじさに圧倒されている。
主題歌・関連楽曲も音楽としてのクオリティが高いだけでなく、歌詞も全アーティストが本気でBLEACH解釈大会の土俵に立っている。
令和の世に若いアーティスト達が本気でBLEACH解釈大会やってるのをリアルタイムで見れるの最高過ぎるだろ……と邦楽・アニソン大好きオタクは思う。

そんな中で石田雨竜のオタクとしてどうしても語りたいのが、相剋譚EDテーマ「MONOCHROME」(水槽)である。

何につけても歌詞の火力よ……!
一護と雨竜、そしてハッシュヴァルトとバズビーという2組の「相剋」を軸に旧き日への寂寥と前進への意志が滲んでいる、BLEACHという物語に強く沿った歌詞の火力が凄まじい。
特にこの、

心に意味を与えてくれた君の言葉を抱いて

MONOCHROME - 水槽

千年血戦篇における石田雨竜というキャラクターを表現する上であまりにもキラーフレーズすぎる。

MONOCHROMEは放送前日の10月4日にフルサイズが先行配信されており、この時点で私はツボすぎる音楽と火力の高すぎる歌詞に震えていた。
実はフルサイズだけなら先行上映会で既に聞いていたのだが、改めてじっくり聞いて「やべえ曲が来てしまった」と実感した。

この曲についてちょっと思い出語りをしてもよろしいか。いいよ。ありがとう。

相剋譚27話(初回)が放送されたのは2024年10月5日の深夜11時であった。
私は基本的に日付が変わる前に寝てポケモンスリープがのスコアが85点を越えないと元気に動けない人間なのだが、BLEACHのある時だけリアタイのために夜更かしをする。
そして私はこの初回を、翌日の午後丸ごと音楽フェスに行くという体力勝負の予定があるにも関わらずリアタイして日付が変わるまで起きていた。

その音楽フェスというのが、「暴力的にカワイイ」、通称「暴カワ」である。

オタクだからクリアカードかアクスタと撮ってる写真しかない

この暴カワはアニメ・ボカロ・Vtuberといった「kawaii系」と呼ばれたり呼ばれなかったりするポップカルチャー系ジャンルの音楽を中心に掛けるDJ・トラックメーカーが多数出演するDJフェスである。少なくとも私はそう理解している。

そして相剋譚1話放送直後というタイミングで開催される暴カワの出演者に水槽さんが名を連ねていた。
しかも私がそのことに気付いたのは「そう言えばYunomi以外だとMoe shopと原口沙輔が出ることしか覚えてないな……他に誰が出るんだろう……(敬称略)」とふと思い立って出演者一覧を見た9月頃のことであった。ビビった。

この暴カワ、私はkawaii系の音楽が元々好きで、好きなトラックメーカーだったり電音部や学マスのような音楽系コンテンツに楽曲提供しているトラックメーカーのDJが楽しみで足を運んでいるところがある。
そこに「BLEACHのEDを担当する人」も今回いたわけである。

クラシックシリーズからそうなのだが、BLEACHの主題歌を担当するアーティストはロックを背景に持っているアーティストの割合が高い。
千年血戦篇になると時代もあってインターネットでの活動出身の方も多いが、やはりロックアーティストが中心。
そこに歌もDJもトラックメーカーもやっている水槽さんが加わるのだ。
凄い時代になった。

そして相剋譚初回放送を経て私は微妙に睡眠不足のまま暴カワに向かい、DJを楽しんで眠気を彼方に追いやり、そして水槽さんのステージで無事にMONOCHROME生歌唱を回収した。

暴カワにアクリルを複数持ち込むオタク

「人生で一番好きなキャラクターの超絶火力のイメソン(※ED)を偶然チケットを確保していたフェスで放送翌日に浴びる」というのは初めての経験であった。
BLEACHそして石田雨竜が好きなのもkawaii系音楽が好きなのも、好きになったきっかけ自体はまるで別なところを、偶然その二つの好きが合体した先にMONOCHROMEがいたのだ。

出番の後で水槽さんが物販に立たれていたので、グッズを購入してサインを頂いた。

その際に直接MONOCHROMEをありがとうございましたと伝えることが出来た。
人生最推しの超高火力イメソン書いた人と放送翌日に直接お話し出来たのも凄い。こんな機会間違いなく二度とない。

MONOCHROMEに関するインタビューでも度々水槽さんがBLEACHのキャラで雨竜が一番好きと仰っており、雨竜を本当に好きで雨竜と心から真剣に向き合ってくれる人がMONOCHROMEを作っているのが本当に嬉しい。

アニメ公式サイトの水槽さんインタビュー記事↓

こうして素晴らしい楽曲やアーティストと出会えたことを思うと千年血戦篇はつくづくいい時代にアニメ化してくれたと思う。

最終回の特殊EDも最高だった……いくらでも観れる……

スエルテと喚きたい

相剋譚最終回の1時間SP放送終了後、相剋譚キービジュアルの完全版がお披露目され、あの原作イラストと全く同じ構図が完成した。

今ならアニメ公式サイトにアクセスすると、トップページで「相剋譚初期ビジュアルに雨竜が加わって完全版ビジュアルが完成」という演出を見ることが出来る。
雨竜の扱い方が丁寧すぎる……嬉しい……。

第4クール禍進譚は放送時期の告知が現時点ではされていないので2026年放送となる可能性も全然あると思っているが、気長に楽しみに待とうと思っている。
そろそろ1話から一気に見返したい頃だし。雨竜が帰ってきた今こそ比較的心穏やかに1話を見れる。

メディアミックス作品で映像化を信用できないことは、悲しいかな少なからずある。
しかし今のBLEACHの場合、久保先生を作品の絶対的な指針として据えるという制作体制を構築しているだけでなく、BLEACHが好きでBLEACHを大事にしてくれるスタッフが確実に面白いアニメをBLEACHらしくBLEACHとして作ってくれるという信頼が第1クールで生まれ、それが第3クールまできちんと積み重なっているのだ。
だから安心して最終クールを待てるのだ。
そのなんと幸運なことか。

ちなみに相剋譚までの原作消化ペースを考えると(複数シーンの順序が入れ替わったりはしているが)原作で残っているのは72巻~最終74巻までの凡そ2.5巻分である。
なので禍進譚は追加シーンが全体の半数以上を占めてくる可能性が高い
私は石田親子に脳を焼かれ続けているオタクなので確実に情緒のジェットコースターに乗せられる。億が一竜弦の書き下ろし巻頭歌予告でも来られたら流石に横転する。
あとこの記事では触れていないがハッシュヴァルトに浦原・夜一もかなり好きなので映像化を心から楽しみにしている。楽しみだなあ、めくったら変身するやつの映像化……。

禍進譚で何をしてくれるのか、どのような形でアニメ版完走のゴールテープを切ってくれるのか。
私はそれを今から楽しみに待っている。

本当に、ありがとうございました

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