「良い審判」と「良い文章」は目立たない?
「良い審判は目立たない。」
そんな表現が、サッカーでよく使われる。
「たしかに!いい言葉!」
サッカーにおいて、あくまで主役は選手たち。レフェリーが目立つことは良くないこと。
不満が溜まるジャッジがあったら、審判に注目が集まってしまう。審判には、その場の全員が納得できるジャッジが求められる。
試合が荒れたときもそう。
試合が荒れる。それ自体は審判の責任ではないかもしれない。ただ、テンションが必要以上に上がった選手たちを落ち着かせることができる。それも、優秀な審判の要件かもしれない。
優秀であればあるほど目立たない。
これは不思議な感覚。
「優秀な人ほど目立つもの」という認識が、頭のどこかにあったので。
「良い文章」とは、目立たない文章?
「良い審判」は分かった。じゃあ「良い文章」って何か。
全員にとって1つの正解はないかもしれない。人それぞれに「良い文章」の正解がある。
仮に「良い文章」=「目立たない文章」として考えてみる。
すると、こんな感じか。
つっかからずスラスラと読める。
「自分の言いたかったことが書かれている!」と思われる文章。
①すらすら読める。
目立つということは、個性があること。
クセがある文章。
思ったことをそのまま書きなぐった文章。
話があっちこっちに飛んだり。
常用漢字でない漢字が使われている。
そのような文章は読みにくい。
反対に、目立たないのは個性が消えた文章。
「言い回し」や「言葉の難易度」。そういったもののクセがないと、読みやすさにつながる。そういうものは推敲を重ねるとそぎ落としていくことができる。よく考えられて推敲されている文章ほど、すらすら読める。
②「自分の言いたかったことが書かれている!」と思われる文章。
目立たない。二つ目の意味は「書き手の意見=読者の意見」のパターン。
他人の文章を読んでいる。そのはずが「自分が思っていたことがそこに書かれている!」と思わせるような文章。
この場合は、書き手が目立ってない。読み手を主役にできている。
それはまるで裏で良い仕事をしながら、選手たちを輝かせる審判のよう。
おわり
まあ、なかなか無理があった仮説かなあ、と思いました。
でもまあ、「良い文章とは何か?」を追求している。そんないち個人としてのちょっとした思いつきとして、少しは面白みはあったと思いたい。
ただ、確実に気づきはあった。
優秀な人ほど、どんどん目立っていきそうなイメージを持っていた。ただ、優秀な人ほど個性を消して周りを輝かせる。
そんなパターンもあるのだな。ということに、少なくとも気付くことができてよかった。