【連載小説】#15「あっとほーむ ~幸せに続く道~」大人の男の、長い長い夜
前回のお話(#14)はこちら
十五
1
翌朝目覚めてみると、隣にはまだ悠斗がいた。どうりで熟睡できたはずだ、と思いながらも、本当に一晩一緒の布団で寝たのかと思うと気恥ずかしくもあった。
爆睡していても、悠斗の寝顔はやっぱり整っている。
「……ありがと、悠斗」
かすかに記憶に残る、夕べのキスのお返しをしようと唇を寄せる。と、ものすごい速さで手が伸びてきて顔を押しのけられた。
「今、キスしようとしただろ! 口はめぐ専用なんだからやめてくれ!」
「……なんだ、起きてたのかよ。寝てる間ならキスできるかと思ったのに」
「ふんっ、お前が起きるまでそばにいてやったんだよ。起きたときにいなかったら寂しがると思って」
「俺は赤ちゃんか?!」
「そうだよ。寝てるときに何度もおれの服を掴んできてたぜ?」
「え、うそ!?」
「嘘に決まってんだろ」
「こいつー!」
腕を首に回して締め上げる。なのに悠斗は笑った。
「……よかった。いつもの翼に戻ったな。やっぱりお前はこうでなくっちゃ」
「…………」
「さあて、そろそろ起きないと。今日は月曜日。お前は朝から仕事だろ?」
悠斗が時計を指さす。いつも起きている時刻より20分ほど遅い。
「やべっ、遅刻しちゃう!」
俺は慌てて布団から飛び出し、朝食を摂りにダイニングへ向かう。野上家の面々はすでに食事を始めている。
「みんな、なんで起こしてくんないんだよぉ」
「……翼くん、もう大丈夫なの? 心の調子が悪いときは休んでもいいって、パパが言ってたよ?」
慌てて席につきパンをかじる俺を見て、めぐちゃんが声を掛けてきた。
「へーき、へーき。悠斗が添い……」
夕べの出来事を話そうとしたとき、背後から悠斗がやってきて大げさに咳払いをした。そして俺の代わりに答える。
「翼なら大丈夫。朝から俺の首を絞めようとしたくらいだ。心配ないよ。なぁ?」
「ああ、もちろん。俺はいつも通りさ」
そう言って、さっきし損ねたキスをもう一度しようと悠斗に近寄るが、またしても拒まれてしまった。
「……それは、やりすぎ」
俺たちのやりとりを見た三人は、ほっとしたように笑う。
「じゃあ、めぐちゃんに」
何度も拒まれるのも面白くないので、気持ちを切り替えて本命にすり寄る。こっちは悠斗みたいによけることなく、さっと近寄ってきて唇へのキスを受け容れてくれた。しかしながら、一つ注意を受ける。
「翼くん。朝一番のキスはわたしにしてよね? 悠くんが好きなのは分かるんだけどさ」
「気分を悪くしたのなら謝るよ。今日は、俺がいつも通りってところを見てほしかっただけ。明日からは、起きてすぐと出かける直前の二回、キスしてあげるから許して」
「うん。約束だよ?」
「ほらほら、翼くん。早く食事を終えて支度しないと間に合わないよ?」
のんびりしてたらエリ姉に急かされてしまった。ちょっと寝坊しただけで朝が忙しい。だけど今日の目覚めは、これまでのどんな朝よりもすがすがしかった。それもこれも、悠斗がそばで見守っていてくれたおかげ。
今日帰ったら、悠斗になにかお礼をしよう。そう胸に誓い、朝の支度を始めた。
◇◇◇
一日の仕事を終えた俺は、その足で街にバイクを走らせた。悠斗へのお礼の品を探すためだ。
人混みをかき分けながら、昨日のデートで歩いた道をなぞる。夜の街は昼とは違う顔をしていて、きらびやかなネオンの下に集う仕事上がりの人、カップルたち、客引きをする人などがひしめいている。
その、賑やかな人々に目を奪われているせいか、肝心の品探しはなかなかはかどらない。そもそも俺は悠斗の好みを知らない。思いつきで街へ繰り出したことを後悔する。あらかじめ下調べくらいしてくればよかった。
時間ばかりが過ぎていく。心配させるといけないと思い、めぐちゃんとエリ姉には帰りが遅くなること、夕食は外で食べる旨をメールで伝えたものの、このままぶらぶら歩き回っていて目的が達成されるとも思えなかった。
一緒に暮らし始めて約一ヶ月。俺はあいつの何を見てきたのかと思い知らされる。ただ同じ家にいて飯をともにし、おしゃべりをし、めぐちゃんを二人で愛でているだけ。何よりもショックなのは、悠斗に興味を示しながらもその実、何も知ろうとしていなかったってことだ。
よくよく考えてみれば、それはめぐちゃんにも言えることだと気づいてさらにショックを受ける。ただ、かわいいから一緒にいたい……。俺はそれだけの理由で一緒に暮らしているのか? 他にもっと明確な理由はないのか……。
急に心細くなる。強気の俺を演じるための仮面が外れてしまったせいに違いない。
(悠斗に会いたい……。)
二月の夜の冷え込みが、人恋しさを一層強くさせる。
俺は急いでバイクを停めている場所まで戻り、エンジンを掛けた。そして家ではなく、悠斗の仕事場であるスポーツクラブへ向かった。
◇◇◇
到着すると、ちょうど水泳教室が終わったのか、中から子どもたちが出てくるところだった。
楽しそうに話をしながら歩いてきた子どもたちは、迎えに来た親の顔を見てほっとしたように駆け寄ると、友だちに手を振って次々車に乗り込んでいく。
(ああ、あの子たちにはちゃんと居場所があるんだな……)
安心したのもつかの間、その場に一人きりになったことで急に怖くなり、身体が震え始める。強気の人格を手放したのは間違いだったのだろうか。やっぱり俺は、自分の身を守るためにも別人格を持っているべきなのでは……?
そんなことを考え始めたとき、悠斗が姿を現した。俺の姿を見つけると、彼はびっくりした様子で駆け寄ってきた。
「どうした? ……その顔を見る限り、迎えに来てくれたわけじゃなさそうだな。待っててくれりゃ、俺はちゃんと家に帰るよ」
「…………」
黙っていると、悠斗が顔をのぞき込んでくる。
「……本当に大丈夫か? 顔色悪いけど」
「……俺は悠斗のことを何も知らない。そんなことで本当に家族って言えるのかなって思ったら、急に会いたくなっちゃって」
俺は、昨日のお礼の品を探すつもりで街に出てきたこと、そのうちに、悠斗の好みを何一つ知らなかったと気づいて狼狽えたことをぽつぽつと語った。
話を聞いた悠斗は優しく俺の肩を抱いた。
「飯はまだなんだろ? いいところに連れて行ってやる」
◇◇◇
2
連れて行かれたのは、悠斗とアキ兄が若い頃から贔屓にしているという、地元の駅前にあるバーだった。
「腹の内を明かすならここって決めてるんだ」
悠斗はそう言って、慣れた様子で二人分のカクテルと軽食を頼んだ。
「えー、俺、明日も朝から仕事なんだけど」
「そんなに浮かない顔してるやつが何言ってんだ。仕事より大事なことだろ、これは」
「飲んで忘れろってこと?」
「そうじゃない。分かってないなぁ、お前は」
食事とカクテルが揃ったところで乾杯をする。悠斗が頼んだのは「ジン・トニック」。カクテルとしては度数が低めらしい。どうやらいきなり酔い潰す気はないようだ。
ピザやらサラダやらをつまみつつ、酒を口にする。一口ごとに頭がじーんと痺れてきていい気分になる。ホントに度数低め……? そんな疑いも、一杯飲みきる頃にはどうでもよくなっていた。
「グラスが空になってるじゃないか。今日はおれがおごってやる。遠慮しないで飲め」
悠斗がドリンクメニューを差し出す。一応受け取っては見たものの、名前を見ただけではさっぱり分からない。
「……悠斗と同じものでいいよ」
迷った挙げ句にそう言うことしか出来なかった。それを聞いた悠斗は「それじゃあ、ウィスキーをロックで飲もうかな」と言ってバーテンダーに注文した。
酒が提供されるまでの間に悠斗が言う。
「……お前はさっき言ったな? おれのことを何も知らないって。だけど、それを知って何になる?」
俺は少し考えてから、
「知っていれば安心できるし、繋がりを感じられる」
と答えた。しかし悠斗は反論する。
「友人知人ならそれでいいと思うよ。だけど、家族も同じでいいのか? 表面的な部分だけを見て知った気になってるようじゃ家族とは言えないと、おれは思う」
「じゃあ、悠斗にとっての家族って?」
「弱さをさらけ出し合える。認め合える。それが家族だとおれは思ってる。それが出来る相手なら別に、あえて好みを知っておく必要もない。っていうか、そういうのって弱さを知った時点でわかるものじゃないか?」
「なら、悠斗は俺のこと、家族と思ってくれてるんだな?」
昨日のことを思い出しながら言った。
「おうよ。お前のいけ好かない態度やふざけた行動、弱さを持っているところや、めぐを本気で愛するあまりおれにつっかかかってくるところ……。そういう、人間くさいお前と家族でいたいと思ってる」
「人間くさい俺、か……」
ここでカクテルが運ばれてくる。オールド・ファッションド・グラスに注がれた琥珀色の酒。一口飲んでみると、フルーティーな香りが鼻から抜けた。カウンターに置かれたボトルを見て、これが希少な国産のウィスキーだと分かる。
「……悠斗の好み、一つ見つけた」
「……本当に嬉しそうに言うなぁ。そんなに好みが知りたかったんだ? お前、冗談抜きでおれのこと好きだろ?」
からかうように顔をのぞき込まれる。ああ、この人はなんでこの年でもこんなに男前なんだろう。悠斗に口説かれて落ちない女はいないんじゃないかと思う。だけど俺は男だし、例の人格はもう表に出てこないので、そんなに見つめられても困るばかりだ。
「……好きだけど、あくまでも人として、だよ」
かろうじて返事をすると、悠斗は「そう、それ」と言う。
「おれが言いたいのも同じことだよ」
「あ、そうか!」
さっきの悠斗の話と繋がる。
「わかった?」
「うん」
うなずくと、悠斗は嬉しそうに話し出す。
「野上一家と家族でいたい理由はたった一つ。それは――お前も同じだろうけど――彼らが泣くことを許してくれる人たちだからだ。もちろん、心から笑い合える人たちでもあるんだけど、それ以上に自分の、一番見せたくない部分をさらけ出しても大丈夫なんだって思わせてくれる野上家の人たちの、それこそ人としての素晴らしさに惹かれているからなんだよ」
「うん、うん」
「そういう人間味って、感覚的なもんだとおれは思ってる。だから翼がさっき言った、好みを知ってるかどうかってあまり重要じゃなくて、それを満たし合えば幸せってわけでもなくて、お互いの気持ちが伝わることの方が大事なんじゃないかっておれは思うんだ」
「なんか、格好いいな、今日の悠斗は」
「何を今更」
「いや、見た目はもちろんそうなんだけど、今日は言うことが神がかってるっていうか」
褒めちぎると、悠斗はちょっと照れくさそうにグラスを見つめ、揺らした。
「これでも散々悩んできてるからな。……寂しくなったお前がおれを頼ってくれたこと、素直に嬉しかったよ。こんなおれでも、お前の心の支えになれるんだと思ったらさ」
「……みんなそう思ってるよ。野上家は全員」
「そうか……。それは有り難いな」
悠斗は微笑んだ。
今の話を聞いて、俺は弱くても大丈夫なんだと知る。強がっていた自分を失って少し気弱になっていたけれど、今の俺には悠斗が、めぐちゃんが、そしてアキ兄とエリ姉がいる。
「あー、やっぱりウィスキーって言ったらこれだよなぁ!」
悠斗は照れを隠すように一気にあおった。その姿があまりにも絵になるので、俺も真似して一口で飲む。喉が焼けるように熱い。酔いが一気に回る。ふぅーっと息を吐き出すと、悠斗が水の入ったグラスを差し出してくれた。
「ここの店は水もうまいんだ。酔ったなと思ったら、胃の中で希釈すりゃあいい」
「ありがとう。でも今日は……もうちょっと酔いたいな」
「お? さっきは明日も朝から仕事だって言ってなかったか?」
「仕事より大事なことが何か分かったから。明日のことは、今日はもう考えない。今日はお互いのことを……、情けなかった過去を語り合いたい気分なんだ」
「そうかそうか……。そういうことなら、とことん付き合うよ。いっとくけど、おれは酒癖悪いから」
「えっ!! それ、自分でいうの?!」
「あー、今のうちに彰博に連絡入れといた方がいいな……」
悠斗のつぶやきを聞き逃さなかったバーテンダーがくすりと笑った。
「で、お前は何杯いけるの?」
「知らない。普段、カクテルなんて飲まないし」
「そうだよなぁ。じゃあこれを機に限界知っとくか」
「うっわ、怖いんだけど!」
「大丈夫、酔い潰れたってちゃんと家に連れて帰ってくれる家族がいるから」
「……それ、なんか違う気がする」
「ま、とにかく、飲もう」
そう言った顔はメチャクチャ楽しそうだった。
◇◇◇
3
それから俺たちは、深夜まで飲みながら互いのことを教え合った。幼少時代のこと、親子関係のこと、かつての恋人や悠斗の別れた奥さんのこと、そして、めぐちゃんへの想い……。酒が進むにつれ、どんどん口が軽くなっていく。
「おれたち、どんだけめぐのこと好きなんだ、って話だよなぁ」
大いに酔っ払った悠斗が、俺に絡みながら言う。
「一言じゃ、めぐの良さは表せないけど、しいて言うなら『かわいい』。もう、これしかないよなぁ」
そう。話せば話すほど、俺たちの口からはめぐちゃんへの愛があふれて出てくる。彼女の仕草、言葉、優しさ、笑顔……。とにかく、そのすべてに惚れている……。
「めぐちゃんのすごさって、こんな俺たちをまるっと受け容れてくれるところにあると思う。だからって媚びてるわけでもない。俺には真似できないよ」
「確かに、めぐは包容力があるよなぁ。でなきゃ今ごろ、おれたちのどちらかは切り捨てられてるところだ」
「うん」
めぐちゃんは俺たちに優劣をつけなかった。単純に、甲乙つけがたかっただけだとしても、殊更家族になってからは差をつけることなく接してくれる。その懐の深さに二人とも救われているのは間違いない。
「俺たちが陰気な月だとしたら、めぐちゃんは陽気な太陽って感じ? 世に言われてる陰陽とは逆だけど、我が家はこうだよね」
「そうだな。めぐにも悩みはあるんだろうけど、めぐ自身の輝きでおれたちには見えないって言うか。でも、おかげで野上家は居心地がいい。陽だまりにいるみたいに」
「それがめぐちゃんの魅力だよね」
「ああ……」
「……めぐちゃんが中心にいれば、俺たちいつか三人で暮らせるかな」
「暮らせるさ。おれたちは三人揃ってようやく一人前って感じだけど、逆に言えば三人揃ってりゃいいわけだ」
「三人で一人前、か……」
妙に納得する。それを言ったら家族っていうのは、全員揃って初めて一人前になれるのかもしれない。そう考えると俺たち三人は、未だ一人ひとりが力不足。今に至ってはアキ兄とエリ姉の助けを借りてようやっと一人前なのだから。
(まだまだ人生、修行が必要ってことなのかな。でも、このまま野上家で暮らしていれば心もタフになっていくのかな……。)
色々考えていたら、急に頭がくらっとした。最後に飲んだ酒が効いてきたようだ。
もう悠斗には何も感じないと思っていたのに、頭が朦朧とした状態で隣にいるとそれだけで妙な気持ちになってくる。彼が言ったように、俺はやっぱり悠斗のことが好きなのかもしれない。
ふいに、イヤらしい映像が脳内で再生される。たぶん顔に出ていたんだろう、悠斗にツッコまれる。
「お前いま、イヤらしいこと考えてるだろ」
「うん。俺と悠斗とめぐちゃんの三人がベッドで絡み合う場面を想像してた」
酔った勢いのまま口走ると、悠斗は飲んでいた水を思い切り吹きだした。
「ば、馬鹿っ! おれまで想像しちゃったじゃねえか!」
狼狽える悠斗もまた見ていて面白い。いつもの調子でからかう。
「悠斗が三人で一人前だなんていうからー」
「そういう意味じゃねえよ!」
「でもさ、出来る気がするんだ。ほら、俺たちは昨日すでに一夜をともにしてるわけだし」
「あれは添い寝だ! 子守りだ!」
「だとしても、けっこう嬉しかったんだよ。だから、今夜も一緒に寝て欲しいな♡」
冗談のつもりで言ったのに、悠斗はさっと真顔になった。
「酔ってるおれに冗談は通用しねえぞ。そんなに一緒に寝たいなら、このあとマジで連れ込むからな」
「え……、え……? どこに……?」
すごまれて怯える。が、悠斗はすぐに破顔した。
「馬鹿。家に決まってんだろ。いくらおれがいい男でお前に惚れられてると知ってても、肉体関係を持つのだけは無理。裸を見せ合うのは風呂だけにしてくれ」
「じゃ、このあと風呂に行こう!」
「泥酔状態で入ったら死ぬぞ……。おれはお前と心中する気もない」
「じゃ、今度混浴できる温泉に行くのは? それなら三人で風呂に浸かれる」
「おう。それが一番だな」
話が一段落したところで、追加の酒を頼もうと悠斗が手を挙げる。が、バーテンダーは注文を断った。時計を見ると深夜一時。いつの間にか閉店の時刻になっていた。
「野上様が手配なさったタクシーが迎えに来ているようです。またのご来店をお待ちしています」
◇◇◇
4
案の定、翌朝は出勤時刻に起きられなかった。それどころか、頭痛と吐き気がひどくて動くことすら出来ない。今日は仕事を休みたいと言ったらエリ姉にひどく呆れられたが、酒飲みの気持ちは分かっているらしく「懲りないんだから!」と言われただけだった。
「翼くん、鈴宮と差しで飲んじゃダメだよ。飲む前に一声掛けてくれたら止めたのに」
開け放したドアの向こうから説教してきたのはアキ兄だ。
「酒癖が悪いって聞いたときには手遅れだったんだよ。……まぁ、楽しかったけどね」
「やれやれ……。今夜はその件で家族会議をしなきゃいけないな。……さて、僕もそろそろ仕事に行かないと」
そう言うと、二日酔いに効くドリンク剤を枕元に置いていってくれた。さりげないアキ兄の優しさにほっと心があったまる。
「やっと起きたの? もう! 朝一番でキスしてくれるって約束したのにぃ!」
最後にやってきたのはめぐちゃん。ほっぺたを膨らましている。ひどくご立腹のようだ。俺が寝ている布団のそばまでやってきた彼女は、部屋の空気を入れ換えると言って窓を全開にした。
「こんなにお酒くさい部屋には居られないよ!」
「ごめん……」
心が弱っているとはいえ、飲んだくれて大切な人との約束を守れなかったのは自分でも情けないと反省する。恥ずかしくて目を見ることも出来ない。なのにめぐちゃんはこんな俺に近寄ってきた。
「しかたないなぁ。今日はわたしの方から『いってきます』のキスをするね」
「えっ?」
ぽかんと口を半分開けている間にキスされる。
「……悠くんと仲良くなれた? 癒やしてもらえた?」
「え……、う、うん。かなり」
「大人はいいよねぇ、お酒の力を借りれるんだもの。それじゃ、いってくるね。悠くんに送ってもらえないんじゃ、いつもより早くでないと間に合わないから」
そう言ってめぐちゃんは足早に部屋を出て行った。
静まりかえった部屋。隣の布団で眠りこけている悠斗を見る。起きる気配すらない。たぶん、俺より飲んでる。
一瞬、こういう時こそキスのチャンスじゃないかと思ったけれど、頭が痛すぎてとても実行できそうにない。アキ兄が持ってきてくれたドリンク剤を飲み、再び布団に横たわる。
幸か不幸か、夕べ話したことはすべて頭に残っている。後半はぐだぐだで、今思い返してみるとメチャクチャ恥ずかしいことを言い合ったなぁと赤面する。
「うー……。気分わるぅー……」
そのとき、悠斗が声を発した。
「やっと目が覚めた? 起きれる?」
「……無理ぃー。……って、お前だけドリンク剤もらってるのかよぉ。おれの分は?」
「さぁ。俺はアキ兄がくれたのを飲んだだけだから」
「差別だぁ……。彰博にはあとで文句を言ってやるー」
悠斗がこんなふうに悪態をつくのは、まだ体内にアルコールが残っているせいだろう。その、なんとも子供じみた態度がかわいらしくてつい笑ってしまう。
「何笑ってんだよぉ」
「いや……。俺たち、馬鹿やったなぁと思って」
「…………」
「また連れてってよ。めっちゃ楽しかったから」
「懲りないやつだなぁ……」
そう言いながらも顔は笑っていた。
「……いつか、めぐも連れて行きたいよなぁ」
「うん。……っていっても、早くて四年後か。長いなぁ」
「なに、あっという間さ」
「えー? 四十六歳と二十七歳の時間感覚を一緒にしないで欲しいんだけど!」
「そんなの、同じじゃね? って言うか四年後っておれ、五十歳なの? 信じらんねぇ!」
きっと悠斗は今と変わらず若々しいのだろう。それでも、五十歳の悠斗の隣にめぐちゃんがいるイメージはどうしても湧かなかった。ましてや子どもなんて……。
「めぐちゃんが二十歳、か。……俺たち、その時には三人暮らししてるといいなぁ。どっちかの子どもが居たりして」
想像したついでに呟いてみる。悠斗はしばらく黙り込んだ。
「……子ども、欲しいの?」
「そりゃあね。子どもはかわいいよ」
「……そうか」
「悠斗はどうなの?」
問い返すと、彼は再び沈黙した。しばらくしてようやく、
「……今の頭じゃ、まともに考えられない。そういう大事なことは、しらふの時にしよう」
と言って身震いした。
「……って言うか、寒くね? 誰だよ、窓全開にしたやつは!」
今ごろ気づいた悠斗は布団をかぶり直した。あまりの鈍感ぶりにまた笑いがこみ上げる。
「めぐちゃんだけど。送ってもらえないって怒ってたぜ?」
「……えっ? もうそんな時間? ってお前、仕事は?」
「休む。この体調じゃ無理っしょ。バイクだって駅前に置いてきちゃったし、家にあったとしても酒気帯び運転で捕まる気がするもん」
「あっ、バイク……!」
諸々のことを思い出したのか、悠斗は額に手を置いた。
「あー、色々めんどくせーなぁ」
「仕方がないよ。あとで気分転換に二人で歩いてとりに行こう。……手を繋いでってもいいよ?」
「はぁ……?」
悠斗は完全に呆れている。
「またまた子どもみたいなことを……」
「いいじゃん、別に。あと、悠斗と仲良くするのはめぐちゃんも公認してるから」
「マジかよ……。あーあ。その子どもっぽい人格も早いとこなんとかしねーと。……ま、愛情に飢えてんじゃしゃーない、手ぇ繋いでやるか。今日のお前は五歳児な」
「わーい」
「やれやれ……。だけどその前に水だ。水を持ってきてくれ……。このままじゃ、散歩どころか台所にだって行けやしない」
「オーケー、オーケー。五歳児だって水くらいは汲んで来れるから待ってて」
これじゃあどっちが子どもか分かりゃしないな、と思いながらも今はこのやりとりを楽しもうと思う。これが俺たちにとって一番気楽な接し方だから。
(続きは、こちら(#16)から読めます)
💖本日も最後まで読んでくださり、ありがとうございます(^-^)💖
あなたの「スキ」やコメント、フォローが励みになります。
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