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相手の「命の時間」を考えて発言したい

現代社会において、物や空間はそのほとんどが誰かの所有物であり、勝手に使うことが出来ない。ところが時間は、特定の誰かが占有している物ではなく、例えば「十二月八日午後二時」はわたしのモノでもあり、あなたのモノでもあると言える。

加えて、時間は所有物と違い、貸し借りが出来ない。過ぎてしまった時間は戻ってこないし、ぼーっと過ごしている無為な時間を誰かが借りに来ることもない。

このような「時間」だが、物や人との関係においては奪い合う対象となる。例えば昔なら、一台しかないテレビのチャンネル争いなどがそれである。

奪い合いを避けるには、時間の「共有」を考える必要がある。時間は無限(地球が存続する限り)だが、「私の時間」は有限である。それはすなわち「命の時間」とも言える

親が子供の将来を思うあまり、あれをさせよう、これはよくないと押しつける行為は子供の「命の時間」「主体的に行動する時間」を奪ってしまいかねない。自分から「あれがしたい」「これがしたい」と思って体験する時間というのは非常に重みのあるものになるのだから、親や教師は不要な干渉をしすぎないことだ。

(以上、河合隼雄・「物語とたましい」平凡社の「子供の『時間』の体験」を要約して引用)



なぜ、上記の文章を取り上げたかというと、昨日今日と夫の両親が泊まりがけで遊びに来ており、開口一番、兵庫県知事の件で散々愚痴をこぼしはじめたからだ。

こうなることは予想していたのでこちらも身構えていたのだが、あまりにもひどい言いようだったので、夫もついに日頃ため込んでいたものを一氣に噴出させる事態になった。

親は分かっていないのである。自分が愚痴を言うことで相手の貴重な時間を、命の時間を奪っていると言うことを。人の悪口を散々言っている本人も、実は相手の時間を奪っている、搾取している事実に氣付いていない。

無論、このようなことは言わなかったが、常識的に考えれば小学生の子供の前で言うことではないし、そのような話を聞いた子供が彼ら(夫の両親)にいい印象を持つはずもない。もしかしたら、子供こそ敏感に雰囲気を察すると言うことも分かっていないかもしれない。

加えて、悪口は自分に返ってくることも彼らは理解していないだろう。それが自分の体力を消耗させていると知ったらどう思うだろうか(義父母は常に疲れている)。

もちろん、彼らには彼らの正義があるだろうから、こちらも必要以上には言わない。しかし、お互いに貴重な時間を割いて会っているのだという自覚は持ってもらいたいものである。ましてや、死が間近に迫っていると恐怖におののいているなら、命の使い方を考えるべきではないだろうか。



私は以前から言っているように、今日出来ることを限られた時間の中で精一杯生きようという氣持ちで生きている。つまり何十年も先の老後に照準を合わせた人生設計をしていない。魂の状態になったとき「ずっと誰かの愚痴や不満を言っていた人生だった」という感想は持ちたくないし、そんな経験を次の人生に引き継ぎたくもないとも思うからだ。


明日をも知れぬ身。今日も楽しく、笑いながら過ごしましょう!



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いろうた@「今、ここを生きる」を描く小説家
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