【連載小説】「好きが言えない 2」#24 母の想い

 すべて消してくれることを願っていたのに、既読になったメールがまるごと返ってきた。想定外だ。しかし頼み事を引き受けてくれた水沢の前で、「やっぱり見ない」という選択肢は残されていなかった。

 彼の力強い言葉に後押しされ、僕はようやくメールの文章と向き合う決心をする。
 水沢が表示してくれた、未読だった一番古いメールの中身が目に飛び込んでくる。映し出された文章を読んだとき、僕は目を疑った。

 それは、キャプテンになったことを祝福するものだった。信じられない。あれほど僕の野球継続を反対していた母が、キャプテン就任を知って「おめでとう」だなんて。
 続くメールを読む。ここでも野球に関する内容だ。どんどん読んでいく。そのどれもが野球、野球、野球……。

 胸が苦しくなる。どうして……? いつから母は僕の野球継続を受け入れ、認めたのだ? 僕はこの三年間、ずっと母を拒み続けてきたというのに? 母は拒まれてもなお、僕にメールを送り続けてきたというのか?

「嘘だ、嘘だ、嘘だ……! こんなの、嘘だ……!」
 僕はスマホを地面にたたきつけて叫んだ。僕の中の母とメールの中の母とが一致しない。その差をどうしても受け入れられなかった。

 こんなにも僕の野球を応援してくれるなら、なぜあのときあんなふうに言ったんだ? 父の死の直後。僕が一番落ち込み、野球を必要としていたあのときに。
 僕はあのときほど母に受け入れてほしかったことはない。今ではない、あのときそうしてほしかったんだ……。

「うああああっ……!」
 内側にため込んできた想いが涙とともに吹き出した。もはや自分の気持ちをコントロールすることができない。わき上がる感情のままに泣き叫ぶ。

 どのくらいそうしていたか分からない。声も涙も涸れたとき、ようやく我に返ることができた。急に羞恥心がわく。僕は頭を抱えてベンチに座り込んだ。

「……気が済んだか?」
 水沢は静かにそう言った。素の僕を見ても何も言わず、ただそこで見守ってくれたことが何よりもありがたかった。

「やっと、落ち着いた。君のお陰だ。ありがとう」
「お前が苦しむ姿をずっと見てきたからな。別になんてことはないよ。……それより、叫んだら腹減ったろう? 家に帰って飯にしようぜ」

 公園の時計を見ると、普段の夕食時はとっくに過ぎていた。彼には空腹を我慢させてしまった。本来なら僕が配慮すべきなのに、彼は相も変わらずさりげなく振る舞ってくれる。その優しさが僕を余計に感傷的にさせた。

 僕は家までの道すがら、独り言のようにつぶやく。
「君は恵まれているな。最初からずっとお母さんに野球やることを認めてもらえて」
「……孝太郎だって同じだと思うよ。さっきのメール、見ただろう?」
「……僕は三年間、まともに親と話してない。もう忘れたよ。話し方も接し方も」

 僕の言葉に、水沢は少し間を空けてから続ける。
「話すったって、俺だってまともに話しちゃいないけど。ただ……そうだな。親はいつも、俺のこと気にかけてくれてんだなぁとは思う。だから、好きなことさせてもらってる以上は本気で頑張ろうって気持ちで野球やってるよ」
「そうか……」
「でもさ。世話焼きすぎだろうって思うことはあるぜ。俺たちもう、守ってもらわなきゃ生きていけないような子供じゃないんだし、ちょっとは放っておいてくれって思うよ」

 守ってもらう、と言う言葉を聞いて麗華さんの歌の歌詞を思い出した。そして再び胸が熱くなる。

 あんな歌詞を書く麗華さんもまた、両親の愛情をたっぷり受けて育ってきたと分かる。あれは麗華さん自身と言うより、母親視点の歌詞だ。だから僕は苦しくなって逃げ出したのだ。母親からそう言われているような気がして。

 水沢の家に着くと、彼の母親が出迎えてくれた。何かを言いかけたようだったが、僕の顔を見るなり表情を変えた。そして何度かうなずいた。
「……さぁ、お腹すいたでしょう? すぐに食べられるから、手洗いを済ませていらっしゃい」
「あー、腹減ったー」
 水沢は先に靴を脱ぎ、さっさと洗面所に向かった。

「……いつも、ありがとうございます」
 残された僕は玄関先でそう言い、一礼した。

 当たり前のように迎えてくれること。何も言わずにいてくれること。他人なのによくしてくれることに感謝の気持ちがわいてきたのだった。それを聞いてもやはり彼の母は、
「お礼なんていいのよ。だって家族みたいなものでしょう?」
 と言って靴を脱ぐよう促した。

 家族。麗華さんも同じことを言った。血のつながりがなくても、僕らはそういう関係なのだろうか。
「何も考えなくていいの。疲れたときはね、とにかくおいしいものを食べるのが一番!」
 立ち尽くす僕を見て、水沢の母はそう言った。急に肩の力が抜け、空腹を感じる。母親とはこういう存在だったかもしれない、とぼんやり思い出した。

 ~*~

 よく眠れたからだろうか。目が覚めると僕を取り巻く空気が軽くなったような気がした。窓から差し込む真夏の日差しさえ心地よく感じられる。住む世界が変わったように思えた。
 電車に揺られ、学校に向かう。今日も半日、炎天下での猛練習がある。
 「甲子園出場」は僕が野球をする動機だった。けれども昨日の出来事のせいか、今はそこまでの憧れを感じない。あんなに行きたいと切望していたのに。

 キャッチボールが始まる。球がミットに収まる音が気持ちよく青空の下に響く。僕と本郷クンは互いに調子の良さを実感した。
「ナイスピッチング! 最高に球が走ってるよ」
「さ、最高って……。まだ一球しか投げてないのに褒めすぎですよ、部長。そんなふうに言われたらおれ、調子に乗っちゃいますって」
「調子に乗ればいいじゃないか。君はその方がいい投球ができる」
「えーっ!」
 本郷クンは驚いている様子だったが、はにかみながらも嬉しそうだった。こんなふうに声をかけたのは初めてだから無理もない。僕でさえびっくりしている。

 続く野上クンとの投球練習でも彼の力強いピッチングに満足できたし、大津クンのリードの仕方を見ていても、やはり才能があると感じられて嬉しくなった。
「グラウンド全体が見えるようになってきたね。キャッチャーは広い視野が大事だ。次の試合では最初にマスクをかぶってもいいくらいだよ」
「部長、本気っすか! おれ、試合に出たいっす!」
「野上クンにも試合を経験させたいから、二人を先発で起用できないか監督に打診してみよう」
「ありがとうございます!」
 大津クンが喜んでいるのが分かった。本郷クンには褒めすぎだと言われたが、僕は心から彼らの技に満足している。

 今した話を、僕はさっそく監督に伝えた。
「永江がそう判断したならそうすればいい。わしも、今のチームなら誰を試合に出しても問題ないと思っている」
「では、彼らにはそのように伝えておきます」
「……ところで、例の宿題の進捗はどうかな?」
 まるで明日の天気を尋ねるかのように監督は言った。

 目に見える形で進められるものではないから、ここまでできましたと見せることもできない。僕は少し考えてから、
「僕なりの答えを出せそうな気がしています」
 とだけ答えた。監督はこんな返答でも嬉しそうにうなずいた。
「そうか。最近の君は調子が良さそうだから、きっとすぐに答えを見いだせると期待しているよ」
 本当にすぐに答えが出せるだろうか……。期待が重く肩にのしかかった。


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いろうた@「今、ここを生きる」を描く小説家
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