【連載小説】第二部 #12「あっとほーむ ~幸せに続く道~」ライバルから本当の家族へ
前回のお話(#11)はこちら
<悠斗>
十二
一時的に引き受ける、とは言ったものの、正直、なんて呼べば良いか分からなかった。おれからすれば「彼女」は三通りの顔を持つ人――彰博の母、めぐの祖母、そして翼の祖母――だからだ。相談すると、「彼女」は「鈴宮君が一番呼びやすいので良いわよ」という。
「母親の出身地の沖縄では、おばあさんのことを『オバア』と呼ぶんですが……」
「なら、それでいいわよ。何だか、かわいらしい響き。気に入ったわ」
「えっ、本当に良いんですか?」
「彰博のお母さんって毎回呼ぶのは長くて大変でしょう? オバアなら三文字で済む」
「わかりました、じゃあ、それで……」
確かに名実ともに「オバア」ではあるのだが、そう呼ぶのにはいささか抵抗もあった。しかし「○○のお母さん(おばあさん)」と呼ぶのも煩わしいと思っていたので、一時ならばと、その申し出を有り難く受け入れることに決めた。
「ねえ? わたしもあなたのことを『悠斗君』って呼んでいいかしら? 彰博が鈴宮って呼ぶから合わせてきたけれど、家族になったなら名前で呼ぶのが礼儀というものよね?」
「もちろん。好きに呼んでください」
おれの返事を聞いたオバアは、嬉しそうに笑った。
「彰博にも、いい加減名前で呼ばせようと思っていたのよ。家族だと言いながらいつまでも『鈴宮』って……。失礼よねぇ?」
「いえ、大丈夫です。それで慣れてるんで」
オバアの申し出を丁重に断る。高校生の時から名字で呼ばれ続けているから、今更名前で呼ばれても正直、違和感しかない。それに、あいつに似た顔の翼からは悠斗と呼び捨てられている。そこへ彰博からも名前で呼ばれるようになったら何だか混乱しそうだ。
「はい、おばあちゃん。めぐちゃん特製の冷茶でーす」
二人で話していると、オバアの前に冷茶が提供された。そのタイミングで翼も戻ってくる。
「出来たての粒あん最中をゲットしてきたぜ。それから、めぐちゃんの好きなニッキ菓子と、悠斗の好きな芋あんのやつ。ちなみに、俺のは水ようかん」
テーブルに広げられた和菓子は、どれも冷茶とよく合いそうだった。全員が席に着いたところで手を合わせる。
「いただきます! うーん、おいしい!」
それぞれが和菓子を本当においしそうに頬張り、笑みを浮かべる様は日常のワンシーンでありながらも格別だ。
「ああ、やっぱりおばあちゃんは、めぐちゃんの笑顔が大好き」
オバアもおれと同じ感想を持ったようだ。めぐの顔をしげしげと眺めている。
「この顔が見られるなら、おばあちゃんは毎日和菓子を買いに行ってもいいわ」
「えー? 毎日食べたら太っちゃう!」
「めぐちゃんくらいの年の子は、ちょっぴり太ってるくらいでちょうどいいのよ。今の子は痩せすぎだもの。ねぇ、つばさっぴもそう思わない?」
「うえぇっ?! お、俺は今のめぐちゃんが一番好きだから……。でも確かに、笑顔見たさに和菓子を買いたくなるばあちゃんの気持ちは分かるかも……」
「えー? それじゃあわたしが食いしん坊みたいじゃないの!」
「実際、めぐは食いしん坊だろ?」
「もう! 悠くんったら!」
「ははっ、そうやって怒った顔もかわいいぜ。な、翼?」
「おいおい、悠斗まで俺をからかって……」
赤面する二人を見て、俺とオバアが笑う。と、そこへ彰博が戻ってきた。
「母さんの布団を持ってきたよ。……鈴宮、どこへ運べばいい?」
「この部屋へ。仏壇はあるけど和室が一番明るいし、庭も見渡せるから」
「了解」
「手伝うよ」
一足先に食べ終わったおれは彰博の後についていって、布団の荷下ろしに手を貸すため、一旦外へ出る。
「そう言えば、お前から下の名前で呼ばれたことってないよな」
布団を運び出しながら、さりげなく話題を振る。彰博は「そうだね……」と小さく呟く。
「……実は、君がめぐと結婚したら、その時は名前で呼ぼうと決めていたんだ――娘の夫を名字で呼ぶのもおかしな話だからね――。だけど、君はそうしなかった。だから僕はこれからも君のことを鈴宮と呼び続けるつもりだよ。……どうして急にそんな話を?」
問われて、オバアが「家族なら名前で呼ぶのが礼儀じゃないのか」と、ぼやいていたことを話した。
「ま、おれに言わせりゃ、呼び方を変えるのは今更感しかないけどな。しっくりこないだろうし」
「あはは……。それを言ったら僕だって、君から名前で呼ばれるようになってすぐは違和感しかなかったけどね。そのせいで、君を名前で呼ぶタイミングを失ったままここまで来てしまった。……めぐとの結婚は、君を名前で呼ぶ最後のチャンスだと考えていたんだけど……」
「ふぅん」
本当は早くからおれを名前で呼ぶつもりがあったと知って驚いた。同時に、間の悪さが彰博らしいとも思った。
「……ここ数年でも、きっかけなら何度もあっただろうに」
思わず愚痴をこぼすと、彰博はばつが悪そうにうつむいた。
「アキ兄、悠斗。布団を運び入れやすいように、居間を片付けておいたぜ?」
玄関で靴を脱ごうとしている矢先、翼がおれたちを名前で呼んだ。
「おう、サンキューな」
テーブルが端に寄せられて広くなった居間に布団を降ろす。そこへオバアが「ありがとう」と言いながら歩み寄ってくる。
「彰博、家とここまでを往復して疲れたでしょう。少し休んでいきなさい」
「いや、僕は自宅に戻るよ。エリーもいるし。それじゃ、また週末に」
そう言って彰博は背を向け、静かに玄関から出て行こうとする。おれはすぐに追いかけてその肩を掴んだ。
「おい、何か言いたいことがあるんじゃないのか? 前にも言ったが、お前はもうちょっと自分を出した方がいいぞ。……おれを名前で呼べないのも、そのせいじゃないのかよ?」
「……どうかな」
彰博はぽつりと呟く。そして少し間をおいたあとで、
「……鈴宮。今日の夜九時にあのバーで落ち合おう。久しぶりに二人きりで飲みたい」
そう言い残して帰って行った。
◇◇◇
仕事を終え、約束の時間に行くと、彰博はすでにバーカウンターの前に座っていた。
「もう飲んでるのか?」
「いや、早く着きすぎたんで涼んでた」
どうやらバーテンダーと話していたようだ。彰博は立ち上がり、隅の二人席に移動する。そこはおれとあいつが長い話をするときに座る場所だった。
「二人でここに来るのはいつぶりかな」
「十年ぶりじゃねえか? お前が誘ってくれないうちにずいぶん時間が経っちまったぜ」
「……あれからそんなに経ってしまったのか」
年若いバーテンダーが注文を取りに来る。それぞれにカクテルとつまみを頼む。が、彰博はカクテルの名を告げると口を閉ざしてしまった。
「……お前が誘ったんだろうが。話があるなら何か言えよ」
ちょっと突いてみたが、効果はなかった。
「……酒を口にしないと、言えるものも言えないな」
「……不器用だなぁ、お前は」
「……鈴宮だって同じだろ?」
程なくして頼んだカクテルとつまみがテーブルに届けられた。乾杯し、ロンググラスに入ったトム・コリンズを半分ほどを減らしたおれに対し、彰博はオールド・ファッションド・グラスに注がれたカイピリーニャを一息で飲み干してしまった。
「……そんな飲み方して大丈夫か? おれたちはもう、若くないんだぜ?」
しかし彰博は答えずに、空になったグラスを握りしめたまましばらくの間うつむいた。ようやっと重い口を開いたのは、おれのグラスの酒がなくなった時だった。
「僕は君を救いたかった。友人としてどうしても。そのためならば、娘のめぐを差し出してもいいとさえ思った。それが結婚話を持ちかけた本当の理由」
予想だにしない言葉に戸惑った。慌ててグラスを傾けたが、酒は残っていない。
「差し出すって……。どうしてそこまでして……?」
なんとか問い返す。しかし、またしても想定外の答えが返ってくる。
「……めぐと君が結婚すれば、カウンセラーとして、友人として、またライバルとしても優位に立てる。そして弱り切った君を救ったのは僕の一言だと威張れる。心の奥底で僕はそんなふうに思っていたんだよ。
……僕はエリーを勝ち取ったときから、君に対して妙な優越感を持っていた。そしてそれを失いたくなくて必死になっていたんだと思う。……君を名前で呼べない理由はきっとそれだ。僕は永遠に君の上に立っていたかった。同列になりたくなかった。……これが真実。どう? こんな話を聞かされてもなお、僕と友人で、家族でいたいと思う?」
その目は挑戦的だった。くしくも、めぐの唯一の恋人になろうと競り合っていたとき翼が見せた表情にそっくりだった。
おれは鼻で笑った。そしてもっと本音を引き出してやろうと、この店自慢のマティーニを二杯注文した。
「おかげさまで、お前が優越感に浸っていた間、おれはずっと劣等感にさいなまれてたよ。それでもおれは、心からお前を頼り、慕い、本当の家族になりたいと願ってめぐを愛そうとしてきたんだよ。……まさか、お前の優しさが偽善だったとはな。翼がお前に、めぐとおれとの結婚を反対してくれなかったら……と思うとぞっとするぜ」
「だろうね。嫌われても当然のことを言ったという自覚はあるよ」
「……お前に一つ、言いたいことがある。友人として、家族として」
「……何?」
「もう、強がるのはやめろ。少なくともおれの前では素のお前で居ろ」
「…………」
彰博は沈黙した。その間にマティーニが運ばれてきておれたちの前に置かれる。
「ぬるくなる前に飲めよ」
そう言って先に口をつける。彰博はおれを一瞥し、表情を変えないまま目の前のカクテルを一口含んだ。
「……分からないんだ、僕にも。素の自分の出し方が。そもそも、本来の僕がどんな人格だったのかさえ忘れてしまっている。……出しようがないんだ」
ようやく本音らしき言葉を聞けてほっとする。おれはもう一度カクテルを口にしてから言う。
「……お前は職業柄、過去に目を向けるんじゃなくて未来を見て生きる人生を、自分でも実践しているのかもしれない。だけどな、人は過去の積み重ねで出来てるんだよ。だからどんなに過去から目を背けようとも、前だけを見て歩もうとも、ここに立っていられるのは間違いなく過去が、生きてきた歴史があるからなんだよ。
……もしかしたらお前は、チェスしかしてこなかった十八年の人生を無価値に思って、その後の三十年を、映璃や多くの悩める人のために捧げてきたのかもしれない。だけど、よく考えてみろよ。チェスに打ち込んできた十八年があったから高校時代、お前はチェス部で映璃と出会ったし、うまくやってこれたんじゃないのか? チェスがお前の十八年を支えてきたから、その後の人生も頑張って来れたんじゃないのか?」
「…………」
「お前の奉仕の精神は立派だよ。おれには真似できない。だけどそろそろ誰かに、背負った荷物のいくつかを預けてもいいんじゃないか? ……おれは、お前とは心の底から家族になりたいと思ってる。そのためだったらお前の荷物だって持つ。いや、持たせて欲しいんだ」
「この僕に価値があるのは、誰かの心を癒やし、支えているからだ。人の役に立てているからだ。それを君が肩代わりしてしまったら、僕の価値は半減してしまう」
「だからって、背負いすぎなんだよ。何でもかんでも自分で解決できると思い込みすぎてる。本当は柔なくせに、頑張りすぎ」
「…………」
彰博は再び黙り込んだ。逆に、強い酒を飲んだせいで勢いづいたおれの口は止まらない。
「人には頼れって言っときながら、お前自身がちっとも人を頼ってない……。おれにはそう見えるんだ。どんなに頑丈な大木だって、大勢で寄りかかったらいつか倒れてしまうものさ。確かにお前には包容力があるし、頼られることにも慣れているんだろうけど、自分の力にも限界があることを知るべきだ」
「…………」
「お前が言ったんだぜ? 人は弱い。だから頼っていいんだって。……それはお前にも当てはまることだろ。カウンセラーにも心の支えは絶対に要る。そしておれは……おれたち家族はお前の支えになりたいと思ってるよ。あとはお前が寄りかかるだけだ」
「……ふふっ」
彰博はくすくす笑ったかと思うと、腹をかかえて笑い出した。
「な、なんで笑う?」
「僕の負けだよ……。いや、君に言った言葉が丸々自分に返ってきたことを思えば勝ちなのかな。ま、どっちでもいいか。とにかく君の想いは、言葉は、僕に届いたよ」
そう言って残っていたカクテルを飲み干すと、グラスをおれに差し出した。
「これまでずっと、弱くって情けなくって泣き虫だった君の面倒を見るために頑張ってきたけれど、もうその必要はない……よね?」
「あ、ああ……」
「だったら今日は、僕の面倒を見てもらおうか。へべれけになるまで飲ませてよ。帰れなくなったら君が僕んちまで送ってよ。ってことで、もう一杯」
「お、おう……」
何だ、情けなかったのはやっぱりおれの方か、と思ったけど、彰博がようやくおれを頼ってくれたことが素直に嬉しかった。
「おれはもう大丈夫。長い間、負担をかけさせたな。これからはお前の好きなように振る舞っていいぜ。おれが、家族がちゃんと支えてやるから」
「……ありがとう、悠」
「おっ?」
「信頼の証に、そう呼ばせてくれないかな……」
違和感があると思い込んでいたが、実際に名前で呼ばれてみると意外なほどにすんなりと受け容れられる自分がいた。
「お前にそう呼ばれるの、ずっと待ってたんだぜ」
おれは早速店員を呼び、ウィスキーのロックとチェイサーを注文した。
「マティーニを飲んだあとで何杯いけるか、勝負しようぜ!」
「……君にだけは負けないよ」
馬鹿な争いを始めたおれたちの様子を、カウンターの向こうの店主があきれ顔で見ていた。
(第12話の続きはこちら(#13)から読めます)
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