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あえて、時間のかかることをする贅沢

ようやく暑さも和らぎ、朝晩は少し寒いくらいになった。一つの物語を完成させたこともあり、冬から春にかけて咲く花や野菜を育てる準備や、夏物の家電の片付けを始めている。


こういう仕事は案外、時間がかかる。氣付くと半日過ぎていたりする。衣替えをしたり、大掃除とまではいかなくても氣になる箇所を掃除したり……。こういった地味な作業ほどなかなか氣乗りもしないので、人によっては、掃除だったらお掃除ロボに、洗濯だったら全自動乾燥機に頼る、園芸なんてそもそもしないかもしれない。

そういう考え方もあっていいと思う。だけど私はあえて、そういう時間がかかることをする贅沢、、を味わいたい。


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「今ここを生きる勇気」(岸見一郎著)の中で、本当の贅沢とは何も生み出さないことをすることだ、と書いてあったのが印象的で、その言葉には上記のようなことも含まれるのではないか、と最近になって思うようになった。

ペンキ画家のショーゲンさんがブンジュ村で聞いた話の中にも、「人間は無駄なことをするために生きているんだ。効率よく生きたいのであれば今すぐ死ねばいい」というものがあるが、「非効率に生きることこそが最高の贅沢だ!」と私は思うのである。

人は便利な暮らしを求め、実際、今までより日常生活(掃除、洗濯、食事の支度など)に時間を掛けずに済むようになった。こうしてパソコンに向かって文字を入力している私もその恩恵にあずかっている。手書きではこうはいかない。書き直せば紙は汚れるし、多くの人に自分の意見を知ってもらおうと思ったら、昔なら出版社や新聞社に持ち込まなければならない。便利になって良かったと思うものは多い。


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しかし、最近では少々行き過ぎているように感じるのだ。必要なものさえも「無駄」と言って省かれていやしないだろうか……。

このごろは小学生の子どもたちのノートも半分くらいがパソコンに置き換わっており、そのせいか握力(指力ゆびりょく??)が減っていると感じる。漢字の書き取りはまだ手書きなのだが、すぐに「手が痛い」と言い出すのである。私なんて、小学生の頃は紙のノートに物語を書きまくっていた(右手の親指の膨らんでいるところが左手の倍くらい筋肉ついてた!)から、手が痛くて書けないと言うことはなかった。

手を動かすことも運動に当たるので、漢字や英単語の書き取りを手で行うと脳に刺激がいき、記憶されるというのが科学的にも証明されているようだ。だから、もしこの手で書く行為がなくなったら……と思うと子供の将来も心配になる。とりわけ、日本語の大切さを教えたい私にとっては。

情報過多の時代では、誰もが物知りになれる。でも「知っているから出来る」と「体験しているから出来る」は違う。子供の話を聞いていると、専門的なことまでよく知っている。しかし、クロールの泳ぎ方の本を読んでも実際に泳げるようにはならない、とよく言われるように、体験しなければその情報が真に活かされることもない。私たちはこの身体を使って生きることが本分なのだから、仕入れた情報はぜひ、手や足を使って活かしていきたいものだ。


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人がどう思おうと、誰よりもまず自分の身体が喜ぶことをしたい。自分のために料理する、コーヒーを豆から挽いて煎れる、自分のために掃除する、自分のために庭に花を植え、種をまく。また、自分の考えを整理するために手で文字を綴り、心を豊かにするためにギターを奏でる(最近始めたばかりなので弾ける曲は少ないけれど)。自分が整った状態でいる時、初めて誰かに優しく出来ると思うから。



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