3歳直前、独歩、やったー!私も生きていけるなって話
PT,OTに通い出して一年弱
ようやくようやく独歩できるようになりました^ ^やっぱりシンプルに嬉しい!!!!
そして何より歩けるよう(といってもフラッフラだけど、笑)になったら、こんなにもあっさりとハイハイは消失するんだなぁ〜〜〜
私としては“まだ歩けない”という引け目から解放された一面がある事を否めないのが実際のところ。まだまだまーだまだ心は鍛えていかないといけないなぁ〜
だって、“まだ話せない”のように、まだ◯◯出来ないが実際たくさんある
まずね、もうね、この視点が私を苦しめているんだよなあ〜〜笑
でもね、じゃあ、出来るに目を向けても、それはその反対に出来ないが浮かび上がってくるんだ、とある人が言ってて、確かになあと思った
出来るというある一定のラインがあって、そこには達してないけどここまでは出来ている、のように、一見スモールステップを積み重ねているのだけど、結局はゴールに向かって頑張れ、みたいな大人の願いが映っていやしないか?
出来てる、出来てない、のチェックリストになってないか?
いやいや、子どもの育ちはそういうんじゃないだろ!!!!と、ようやくもうひとりの私が顔を出す
出来てるかどうかはあくまでもついてくる結果であって、その道のりに大人が見落としちゃいけない大切な宝物がたくさん散りばめられているはずなんだ
その子ひとりひとりの宝物が
うーん、綺麗事のようになってしまいました、笑
でもね、私はそういう人でいたいし、そういう大人として子どもたちに接したい
というかこれらを忘れて結果だけを薄っぺらに見ていく大人ではいたくない
そういう人だと子どもたちに思われて、さらには大人ってそんなもんなんだと思ってほしくない
あなたを信じて見てるよ、と心の中でつぶやきながらも、いつまでも子どもたちと遊ぶ面白さを発見する私でいたい
その為にも私自身の膨大な学びが必要で
今はこの状況がめちゃくちゃ嬉しい!
なぜなら、教わりたいしお手本としたい方々が見つかったから。
これはね、本当に、本当に私にとっては有難い。
霧が晴れていくような、視界が明るくなったような、深く息を吸い込みたくなるような、そんな感じで、私はもう大丈夫、生きていけるって感じています
大袈裟な表現なようで、本当にそうなのだから、自分でも驚いているところ
今まで私は自分の心の声に蓋をして
とってつけたような理由で職を転々とし
何をしてたらかっこよく見られるか、のようなそんなおバカな考えで頭でっかちになっていた
支援員をさせてもらってから
私は生きている感じを味わっている
試して見たい関わりがたくさんあって
子どもたちの反応が本当にいつも純粋で
ぎゅーっと心が動く
だからこそ私も子どもの心が動くなにかを醸し出せる人になりたい
そして我が子にもそんな心で楽しく面白く一緒に学んでいきたい
どんな子どもたちも
大人は学ばせてもらうきっかけがたくさん!
生まれてきてくれて
ありがとう
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