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《初めてのブランコと優しいひとつぶの涙》
テーマ/ブランコ
書く習慣アプリ2月1日に投稿した内容に加筆
修正して、Note用に少し書き直しました。
おやあ?っと気づいてみれば、私って50代後半なんだなあって、自分の歳に対する感覚に虫食いの穴でもあるのかしら。
〝感覚年齢〟って言葉があるけど、私としては左胸にICD(植込み型除細動器)を植え込んだ46歳(2013年2月14日)のときから時計の歯車の回転速度が10分の1くらいにゆっくりと回っているような感覚。
実年齢ではもう10年(3652日)と2日を過ぎようとしているのに、感覚ではまだ切り上げて366日(正確には365.4日)しか経っていない計算になる。
つまり今の私の感覚年齢は47歳なのだ(笑)……なんという能天気かしら。
そんな感覚年齢でアラフィフな私でも、ブランコを見かけるとつい、否、ついというか絶対乗りたくなる。
幼いころから好きな乗り物だった。初めて乗ったときのことを、オトナになっても夢に見ることがあるくらいだ。
その夢には決まって母親の印象というか雰囲気がつきまとっていた。……だから、母親との思い出でも夢に見ているのだ、というくらいに思っていた。
◆◇𓏸✧︎✼••┈┈••┈┈
40代前半くらいだったか、脂が乗り切ってバリバリ仕事をこなしていた頃に、職場の同僚と仕事帰りに飲んでいたとき
「なんでそんなにブランコが好きなの?」
と聞かれたことがあった。そのときはなんでだろう?と深く考えたことはなかったけれど、そう聞かれてストレートに思ったことは
〝空に吸い込まれるくらい高く漕ぐのが気持ちいい〟
そんな感じの理由。……なのだけれど、
ICD植込み手術をした辺りから、なんだか心に引っかかるものを感じていた。なんでこんなにブランコが気になるのかと。
その気掛かりの解明のためだけではないけれど、7年ほど前(確か2017年)に東京の自由が丘にある有名な占い館で鑑定してもらったことがある。そのときに
「あなた……小学校へ入る前、特定は難しいけれど、そのくらい幼かった時期に家族以上に想い慕っていた歳の近いお姉さんのような人がいたでしょ?」
と言われて、ドキッとした。
私は一人っ子だったから、まるで兄弟姉妹のように近所の子供たちとよく遊んでいた。その中でも一番仲良かったのが2歳年上のヒサコ姉ちゃんだった。
「二人でよく一緒にブランコに乗って遊んだりしてますよね?浮かんできたイメージとしては、二人で抱き合うくらいの近さで何かに乗って揺れている感じを受けたのですけれど……」
そう言われて思い出した。
どうして忘れていたんだろう……何かきつく閉じていた蓋を開けたときのように昔の出来事が飛び出してきた。頭の中でグルグル、グルグルと螺旋を描くかのように。
◆◇𓏸✧︎✼••┈┈••┈┈
そうだった。
私が初めてブランコに乗ったのは、ヒサコ姉ちゃんの膝の上に座って、後ろから片腕をまわして私をしっかり抱きかかえてくれながら漕いでもらったんだ。
確か、そこに私の母親が血相を変えてやってきて
「ヒサコちゃん!落ちたら大ケガするでしょ!」
みたいなことを言って、ヒサコ姉ちゃんを叱った……
ヒサコ姉ちゃんは漕ぐのをやめて、ブランコに座ったまま、しばらく私を後ろから強く抱きしめながら
「ごめんね、ごめんね。もし落としたりしたら大ケガさせちゃうところだったね……」
と言って……そしたら、私の頬に雨が当たったんだ。でもそれは雨なんかじゃなくてヒサコ姉ちゃんの涙だった。ヒサコ姉ちゃんの泣いている顔を見たら、私も悲しくなって一緒に泣いたんだ……ヒサコ姉ちゃん悪くないのに。楽しかったのに。
そんなことがあっても、
その後も親には内緒で私はヒサコ姉ちゃんと一緒にブランコに乗って遊んだんだった。
揺れながら見上げた空は広くて水色で眩しかった。
そんな空に吸い込まれるくらいに漕いで、そのときのヒサコ姉ちゃんの笑う声も、頬にあたる優しい風も、私には心地良かったんだ。
一緒によく歌っている『あめふりくまのこ』をそのときも一緒に歌いながら。
○音だまHealing🌸ちゅりさんの優しいアカペラの歌声を聴くNoteは ⇒「あめふりくまのこ」
私がオトナになっても見ていたブランコの夢は……
優しいヒサコ姉ちゃんとの思い出の夢だったんだ。
私はこの優しい思い出をきゅーっと抱きしめて、もう絶対に忘れたりしないから。