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恐怖の正体

ドラゴンヘッドという漫画をご存知でしょうか?

※この先ネタバレを含むので気になる方はお戻りください



主人公の学生が修学旅行から帰る新幹線の中、突然トンネル落盤事故に巻き込まれたところから物語がスタートします。

このトンネル落盤事故は局所的な災害ではなく、日本全体(世界全体?)が崩壊寸前になるほどの大地震の影響だったことを主人公はトンネル脱出後に知ることとなり、その後主人公らは生き延びるためにあっちこっちでなんやかんやしていくという、

まあいわゆる「極限状態でのサバイバル」をテーマにした漫画です。

凄く面白くて好きな漫画なので何回も読み返していますし、全10巻と長さも丁度よいのでまだ読んだことの無い方はぜひ一度読んでみてください。


さて、この漫画のオチが結構賛否両論あります。

物語の途中、自分たちを「竜頭」と名乗る作品のタイトルと同じ名前の組織が出てきたり、大地震の後、富士山が本来の場所ではなく遠く離れた場所に移動してしまっていたりなど、いかにも物語の核心に関連しそうな伏線がたくさん出てきます。

しかし最終的に伏線は何も回収されず「なぜこのような大惨事が起きたのか?」は結局なにひとつわからず謎のまま、主人公たちも最後どうなったのか?その生死すらも描かれないまま物語は崩壊する日本をバックに唐突に終わってしまいます。

「オチを放棄してぶん投げた」とか「風呂敷拡げすぎた」とか、オチについて否定的な方の意見はだいたいそのような感じです。

ただ私個人的にはこのオチが大好きなんですよね。


そもそも「なぜ人は恐怖するのか?」というと本質的には「わからないから」だと私は考えています。「わからないもの」「わからないこと」に対して恐怖するのです。

今日本中、世界中が新型コロナウイルスの脅威に恐怖を感じていますが、現時点での日本に限って言えば死者数は100人を超えておらず、毎年インフルエンザで千人を超える死者が出ていることを考えれば数は10分の1以下です。

しかし、それでもこれだけ皆が新型コロナに対して恐怖をしているのはやはり新型コロナ自体にも未知の部分が多く、この先感染数が抑えられるのかそれとも爆発的に増えてしまうのかわからない、日本自体もどうなっていくのかわからない、という、つまりインフルエンザに比べて「わからない」部分が多いからだと思っています。


幽霊なんかも恐怖の代表例のような存在ですが、「なぜ怖いのか?」と言うと「そもそも本当にいるのかどうかもわからない」「いるとしてどういう理屈で存在しているのかもわからない」「人に対して危害を加える存在なのかどうかもわからない」というわからない部分が多々あるから恐怖を感じるわけで、

これが「幽霊の存在が科学的に証明されました!」となり「幽霊というのはホログラムみたいなもので、生きている人間に危害を加える可能性はゼロです!」と証明されてしまったらその怖さは激減するでしょう。

別の例では、ゴリラが割と最近まで未確認生物(UMA)扱いだったのは有名な話ですが、ゴリラの存在が知られてない時、近くの原住民は「森の中に巨大な人間が住んでいる」とその存在に恐怖していたそうです。

今ゴリラを見て恐怖を感じる人はほとんどいないですよね。
それは「ゴリラってこういうもの」「森の賢者と呼ばれていて基本的には優しい」ということが広く知れ渡っているからですね。


ビジネスなんかでもこれは同じだと思っています。
何かやろうとした時に恐怖を感じたりするのは「やってどうなるかがわからない」からであって、しっかりとリサーチ、準備を行い「9割9分うまくいくだろう」という確信があれば実行するのにそこまでの恐怖は感じないと思います。

恐怖の正体は「わからないこと」であり、逆に言うと恐怖を消すには「よく知ること」だということですね。


話を戻して、ドラゴンヘッドですが、これが漫画の中で「今回の大惨事の原因は核兵器実験の失敗による影響だった」とか「○○という組織の陰謀で人工地震がおこされたのが原因だった」とか「この事態を解決するためには○○をするんだ!」とか詳細に説明されてしまえば、

伏線は回収されるのでスッキリはするでしょうが、作品全体に流れていた独特の恐怖感、閉塞感、絶望感の様なものは一気に失われてしまうでしょう。

そもそも主人公はただの学生なのに、そんな日本、世界崩壊の核心に迫っていくような展開は私的には逆に不自然に感じます。
実際にそのような状況に私達が遭遇したら、何もわからないままただ翻弄される、という方が自然です。

むかしPSで初代バイオハザードが発売されてプレイした時、もうめちゃくちゃ怖かったんですが、物語、作品が進むに連れて「アンブレラの陰謀が」とか「T-ウイルスがうんちゃら」とか判明していき恐怖感がなくなって興醒めしていったのを思い出します。(ゲームや物語自体は面白いんですが)

なにか急に想像の余地がなくなってスケールが小さくなったように感じちゃうんですよね。

また、初め怖かったゲームや映画でも、何回も見たりやっているうちに当然恐怖感は薄れてきますが、これもやはり「ここでこうなる」とか「こいつはこうやって対処すれば大丈夫」とかが「わかってきた」からということですね。


なんとなく漫画でも映画でもゲームでも「伏線は回収されなければいけない」「全ての謎は作品内で説明されなければいけない」みたいな風潮があるように感じますが、

個人的には決してそんなことはないんじゃないかと思っているので、特にホラー関連の作品に関してはドラゴンヘッドの様に盛り上げるだけ盛り上げてどんどん投げっぱなしで終わらせてしまえば良いのにと思っています。

作品を見終わった後にそれを独自に考察しているブログとか見るのも大好きなので。


以上ホラー、オカルト好きの戯言でした。

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