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成田popランで人生最速を出したがランナーは卒業しました。

成田popランで
人生最速を出したが
ランナーは
卒業しました。

1987年11月
千葉県成田市で
行われた
成田popランの
ハーフマラソンに
出場しました。

ランニング2戦目でした。

初戦は
神奈川マラソン大会
20kmでした。

1時間20分を目標にしたら
1時間17分で走れました。

成田popラン
ハーフマラソンの
目標は
それを破ることでした。

23才でした。

若いからなのか
自分の性格なのか
スタート前から
燃えていました。

目標は
トップ選手をどこまで
肉眼で見れるかでした。

スタート前
周りの選手を見ると
ユニホームに
企業名などが書いてある
選手ばかりでした。

当時は
インターネットは
全く普及していません。

1人で、
練習していたので
トレーニング方法も
わかりませんでした。

自分の実力も
全く検討が
つきませんでした。

とにかく
無我夢中で
走るだけでした。

スタートから
思いの外
調子が良くて
前の選手を
クリアして
いきました。

折り返しまで
トップ選手が
肉眼で見えました。

戻ってくる選手を
数えていたら
1000人くらい
参加者がいて
20〜25位くらいでした。

その時
いけるんじゃないと
スピードアップしました。

13kmくらいまでは
本当に絶好調でした。

しばらくして
体に変化が現れました。

直感で
ヤバいと思いましたが
手遅れでした。

太ももが
硬直して
完全に失速しました。

15kmから
ゴールまでは
地獄でした。

太ももの筋肉が
硬直して
激痛でした。

1kmのタイムが
6〜7分位でした。

激痛と戦いながら
無我夢中で
1時間18分でした。

ランニングの
ベストレースでした。

大会の数日後
千葉県旭市にあった
ビックバンスポーツクラブに
入会しました。

1週間位したら
トライアスロンチームの
先輩2人に勧誘されて
入門しました。

ランナーは
2戦で
卒業しました。

成田popランの
アクシデントは
トライアスロン大会で
生きました。

波崎トライアスロン大会です。

スイム  2km
自転車  90km
ラン  21km

ランをスタートして
2kmあたりで
太ももが
硬直してきました。

成田popランが
脳裏に浮かびました

これはヤバい。
ゴールできなくなる。

ちょうどよく
エイドステーションが
見えました。

レース前
トライアスロン雑誌に
足がつったら
梅干しが良いと
書いてありました。

目をこらしていたら
梅干しが山積みに
置いてありました。

両手にいっぱい
梅干しをつかんで
ムシャムシャ食べました。

硬直して
激痛だった太ももが
すぐに治りました。

今でも
本当に不思議でした。

足がつったら
梅干しがお勧めです。

トライアスロン選手は
3種目やるので
ランニングオンリーの
トレーニングはしません。

私の人生で
一番ランニングが
速かったのは
成田popラン
スタート〜13kmまでの
区間でした。

自分でも
あの時は
速かったなと
懐かしくなります。

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