チャレンジレースは自分の課題に挑戦することでした。
トライアスロンシーズンに
入りました。
ずいぶん昔の話です。
私は、1988〜1999年まで
トライアスロン選手でした。
1989〜1995年頃
私の開幕戦は
潮来トライアスロン大会でした。
5月下旬に
大会がありました。
所属チームは
セカンドウィンドです。
チームメイトはもちろん
地元のトライアスリートは
ほとんど参加していました。
自分のトレーニング状態を
確かめる重要な大会でした。
ライバルの仕上がり状態を
確かめる
大会でもありました。
トライアスロンを始めて
3年目だったと記憶します。
トライアスロンシーズン
2年目も全く
ダメダメ選手でした。
トライアスロンのレース中
つぶれるのが怖くて
ペース配分していました。
ゴールすると
全く、追い込んでいないのが
わかりました。
俺は何をやっているんだと
自分に、
がっかり😞しました。
これではいけない。
3年目の
潮来トライアスロン大会は
自分の限界に
挑戦する大会にすると
決心しました。
大会当日
今日は
つぶれるまで、追い込むと
決心しました。
スイム、バイク
とにかく追い込みました。
ヨレヨレの状態で
ランニングに入りました。
Uターンのコースでした。
前の選手をとにかく
追いかけました。
折り返しを過ぎて
もう完全に
潰れていました。
今日の課題は
潰れても頑張るでした。
とにかく
もがいて
ゴールしました。
タイムは
全くダメダメでした。
でも
ガス欠状態まで
追い込めました。
気分は、最高でした。
この大会をきっかけに
限界の99%まで
追い込めるようになりました。
私にとって
重要な大会になりました。
私は
1994年に
アイアンマン整体センターを
開業しました。
1996〜1999年は
仕事の関係もあり
波崎トライアスロン大会
1本でした。
サラリーマン時代は
5〜9月を
トライアスロンシーズンと
考えていました。
1ヶ月に1大会出場を
目指して
申し込みをしました。
30年以上前は、
今より大会が
少なかったです。
私は
トライアスロン大会の
抽選に落選することが
よくありました。
5大会に、申し込むと
2〜3大会が出場できる
そんな感じでした。
5月 潮来トライアスロン大会
9月 波崎トライアスロン大会
これは
定番でした。
1993〜95年は
アイアンマンJapanに
出場できたので
3大会は、レースプランに
入っていました。
トライアスロン入門時
6〜8月は
スケジュールを考えて
5〜6大会に
申し込みをしました。
2〜3大会に
出場できました。
私の
トライアスロン入門時
1年で、3〜5レースでした。
私は
9月の第2日曜日に
開催される
波崎トライアスロン大会が
メインレースでした。
地元なので
たくさんの応援団が
来てくれました。
いいところを見せようと
とにかく、追い込みました。
1993〜95年は
アイアンマンJapanと
2レースが
メインレースでした。
それ以外のレースは
チャレンジレースでした。
チャレンジレースは
自分の課題に
挑戦することでした。
私の場合は
自分との闘いでした。
私の
トライアスロン選手時代
オリンピックタイプには
5つの壁がありました。
1 2時間30分の壁
2 2時間25分の壁
3 2時間20分の壁
4 2時間15分の壁
5 2時間10分の壁でした。
最後の壁は
もう少しのところで
クリアできませんでした。
トライアスロン選手は
自分の壁は
必ずあります。
高い参加料を
払っているので
もったいないと
思うかもしれません。
もちろん
メインレースは
戦略を考えて
参加して下さい。
パワーアップするためには
毎年、1レースは
チャレンジレースを
作りましょう。
自分の限界だと思った壁が
アレ❓と思うくらい
簡単にクリアできることが
あります。
自分の壁より
1分位、良いタイムを
壁にすると
以外と簡単に
クリアすることが
できます。
レースは
どんなトレーニングよりも
自分を、
パワーアップしてくれます。