男のくんしょう
今日、僕の歯が抜けた。「乳歯」だってママが言ってた。ママと一緒にグラグラゆらしてたら、コロンと落ちた。ちょっと痛かったけど、歯が子どもから大人になるんだよってパパも言っていたからがんばったんだ。
「わたる、歯が抜けたらな、しばらくチョコレートは食べちゃいけないんだぞ」
まさきにいちゃんが言った。
「なんで?にいちゃん」
「あたりまえだろ。新しく生まれる大人の歯はまだ弱くて、チョコを食べると虫歯になっちゃうんだよ」
「大人なのに?」
「そうだよ。だから、わたるはしばらくチョコ禁止な」
まさきにいちゃんは、とっても物知りだ。いつも僕にいろんなことを教えてくれる。雨が降ったあとの水たまりの渡り方とか、夜、トイレに行くときにおばけに出会ったらどうしたらいいとか。にいちゃんの教えてくれたとおりに水たまりを渡ってみたら、長靴が泥だらけになったけど、それは男のくんしょうなんだって、にいちゃんが言ってた。夜のおばけにはまだ会ったことはないけど、できれば会いたくないなって思ってる。おばけは大きな声が苦手だから、「ママ~っ」って大きな声で叫べば逃げていくって。
「大きな声なんて出ないよ」
僕はきっとおもらししてしまうだろうと思う。
「大丈夫だって。おばけに勝てば、それは男のくんしょうだ」
にいちゃんは、男のくんしょうが大好きなんだな。
にいちゃんは正しい。だから僕は大人の歯が強くなるまで、チョコレートはがまんすることに決めた。
「どうして食べないの?大好きでしょ?」
おやつのチョコクッキーを食べない僕に、ママは不思議そうに聞いた。
「男のくんしょうのためなんだ」
チョコをがまんすることが男のくんしょうだって、にいちゃんが言ったんだ。にいちゃんは、僕の背中をぽんと叩いて、僕の分のクッキーを食べた。
乳歯が抜けて歯がない子は、小学校の同じクラスにたくさんいるけど、みんなはチョコをがまんしないから、生えてくる大人の歯は弱いままだ。僕の歯は強くなるんだ。だって、くんしょうなんだもの。
抜けた歯は屋根の上に投げるんだって、パパが教えてくれた。にいちゃんもずっとそうしてるって言ってた。
「屋根の上に投げると、丈夫な歯が生えてくるのよ」
ママが言った。あれ、チョコを食べないと強くなるんじゃなかったっけ、と僕は思ったけど、黙ってた。
カレンダーに「大安」って書いてある日の夜に、パパとママとにいちゃんと僕は、えんがわから庭に出て、みんなで屋根を見上げた。
「わたる、思いっきり歯を投げなさい」
パパに言われて、僕は力いっぱい屋根の上に歯を投げた。小さな歯は、真っ暗な中に見えなくなった。
「わたるの歯が丈夫になりますように」
ママが言った。
「丈夫になれ」
僕も叫んだ。そして心の中で、「チョコがいっぱい食べられますように」とつぶやいた。
「わたるの歯は男のくんしょうだな」
まさきにいちゃんが嬉しそうに言った。僕はにいちゃんが大好きだ。