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『記念日』


「お兄さん、何か悩んでいるでしょう?」
部活帰り、まだ17時だというのにすっかり日は落ち冬を感じる家路に少女が現れ僕に一言そう言った。
「特になにも。」
暗闇からすっと現れ目があった瞬間は驚いたが、彼女のその意味深長な表情が魔女の手下か悪魔か、はたまた天使のように見えてそれが現実的ではないとわかっていながらもそう考える方が楽しいと思った。
「そうかそうか。」
彼女はうんうんと何度も頷き闇の中へ消えた。

翌日

「お兄さん、何か悩んでいるでしょう?」
部活が少し早く終わり16時。この部活は遅くても17時、そこで弱さを感じる。まあ僕にとってはそれが魅力だったのだけど。
「特になにもないよ。」
「じゃあ、なにもないことを悩みだと思わないの?」
「そんなに悩みを欲した事はない。」
オレンジのギラギラと痛い日差しが彼女を照らしていた。
「そうかそうか。」
また彼女は何度も頷くが彼女を消し去る闇はまだない。
彼女は3歩だけ歩き、そして振り向き僕のことをじっと見つめた。僕がそれにつられて一歩踏み出すと彼女はまた歩き始めた。
彼女に連れられた先は近所の公園だった。僕のように面倒くさそうに誰かに連れられた犬が2匹、のそのそと歩いている。
彼女はブランコを選び勢いよく漕ぎ出した。僕はブランコを囲む柵に腰掛け正面からまじまじと彼女を観察した。小学生くらいだろうか。親は1人で遊ぶ彼女を注意していないのか。いや、そう考えるのは楽しくない。
「なに見ているの?」
「キミは魔法使いかなにか?」
「?」
彼女はゆっくり首を傾げ僕を見つめた。急に恥ずかしくなり先に目をさらしたのは僕だった。
「何か悩んでいるでしょう?」
「僕がもし悩み事があったとして、キミはそれをどうしたいの?」
「話を聞きたいだけだよ。」
その彼女のその無垢な眼差しは、冗談でも遊びでもなくまっすぐ僕を見つめているのだが、あまりにも鋭く何も言わずとも見透かされているような気もした。僕にこれといった悩みがあればの話だが。
「彼女がいない…こと。」
「他には?」
「これといってやりたいことがないこと。」
「うんうん。」
「お金がないこと。」
「はあ。」
いつのまにかブランコから降りていた彼女は地面に指で僕の言うことをメモしているように見えた。
「それでどうしたいの?」
「どうもこうも別に…ないけど。」
彼女は大きくため息をついたあと、汚れた指で僕を差し
「何も悩みが無いなんて変な人。」
そう言い、地面のメモを足で乱雑に消し、僕が悩みを悩む間に落ちた日を追いかけるかのようにまた闇へ消えた。

なんとなくその日から彼女のことを気にするようになった。あくまでも僕の中で彼女は魔女かその類なので無事に家に帰れたか…なんてことは全くだが、だからこそ何のためにここへ来たのか、僕に何を伝えたかったのか。何か意味のある出会いだったのにも関わらず僕がその意味を見つけられなかったことを後悔していた。
毎日の家路は彼女が現れないか期待をしていた。最後に会った日は16時だったことから、長引きそうだなと思う日の部活はサボるようにもなった。そんな学校生活のせいでクラスメイトからは「彼女ができたのか」と茶化されるようになり、今まで無縁だった生徒指導室にも度々呼び出されるようにもなった。それらがすべて面倒になり、とうとう学校までも休むようになったが家でひたすら寝ていることにも飽きて僕は面倒な学校生活をだらだら続けることを選択した。

冬が過ぎ春が来て、日が伸び16時、17時なんてまだ昼間かと思わせるような明るさだ。
新しい学年になったことをきっかけに僕のさぼり癖は学校中に知れ渡り、僕のことをよく知らない人だらけのこの学校で学校一の不良と思う人がちらほら増えてきていた。目が合うだけですっと逸らされ、「不良」という言葉につられただけの後輩の女の子が僕に近づこうと声をかけてきたことだってあった。
今日も面倒で部活には出なかった。すっかり幽霊部員だ。桜の木が自分で咲かせた花を気だるそうに背負っている。
「お兄さん、何か悩んでいるでしょう?」
桜の木が風に負け花びらをいくつか手放した。
「キミが突然消えてしまうから僕は悩んでしまったよ。」
「ほう。」
「僕は僕である必要がない。誰も僕のことを知らないし、僕だって僕を知ってもらおうとしていない。」
「ほう。」
「僕が僕を続ける必要性が見つけられない。」
桜の木が手放した花びらはふわふわと空を舞うが地につく前にどこかへ消えた気がした。
「そうかそうか。」
彼女はうんうんと何度も頷いたのち目いっぱい手を広げて新鮮な春の空気を吸い込んだ。
「お兄さんが生きているのってお兄さんの為?」
「?」
「私はそうは思わないな。そもそも誰の為にもならずのうのうと生きる人間を神様は作らないよ。」
「・・・僕は誰かのために生きているということ?」
「さあ、わからないけどね。」
「キミはやっぱり悪魔か天使かそのあたりだろう?」
「それって失礼だと思わないの?」
彼女は小さな背中に背負ったリュックをおろして開き、空に向かって大きく八の字に動かした。
「それ何しているの?」
「花びら掬ってんの。」
彼女のリュックに入っていたノートやら筆箱がばさばさと落ちているが気にしていなさそうだ。満足気にリュックの中身をじっと見つめながら彼女は
「まあ、悩み事出来てよかったね。」
と言った。
「いいことではないだろう。」
「そうかな、ようやく人間らしくなったと思ったけど。」
彼女は落ちたものをすべて拾いリュックに詰め込んで桜の花びらとともに消えた。二度と会うことはないと、もう見えない後ろ姿から感じた。

夕方、家に帰ると小さなケーキと少し背伸びをした贅沢な料理が並べられていた。
「ああ、今日か。」
両親が、僕が生まれてくるずっと前に決めていた何でもない記念日。毎年必ずこの日は誰かの誕生日と同じくらいに祝うのだが、なんせ何でもない記念日だから僕は大概忘れてしまっている。家に帰る間に寄ったコンビニで買った肉まんが邪魔をする。もし彼女がここにいれば喜んで全部食べ切っただろうな、とふと思った。

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