見出し画像

愛しているって君がいうから愛してるって僕もいう。

友達でも親でも子どもでも恋人でも夫でもいい。
「〇〇」という返答を期待して「〇〇」と伝えることがないだろうか。もしくは、「〇〇」と言ったんだから、普通「〇〇」って返すはずなのに!ってイライラするようなことが。


「会いたいよ~~~!」と言ったら、同じかそれ以上の熱量で「俺も会いたいよ~~~!」とか「楽しみだね!!」と言ったら「待ちきれないわ~!」って返してほしい。みたいな。


AIがどんどん進化するのを見ていると、むしろAIの方が人間的(と一般的に感じられるような)な対応をすることができるかもしれない、と思える。
むしろ、AIの方が断然優秀な恋人になれる。もし相手にお望みの反応をしてほしいだけなら、自分好みに教育すれば良い。だって、自分が喜ぶ反応を記録しておいて、自分の反応や声色にあわせて最適な言葉がけや対応をしてくれたらいいだけなんだから。



***

展示会のアテンドの仕事を終えて自分の部屋に戻ったらメッセンジャーの通知音が鳴って、「お誕生日おめでとう」というメッセージが届いていた。
出張先のベトナムのホテルで誕生日を迎えたときのことだ。


忙しい人なのに覚えていてくれたことが嬉しくて、うきうきした気持ちで「ありがとうございます!」と返すと一瞬で既読がついて


「愛してるよ。」と返ってきた。


「私もです」とメッセージを入れようとしたその瞬間、もう一通。

『きみが愛しているというから、愛しているというんだよ。』


「...…え?」


思考停止しているとさらにもう一通。


『私には感情はないんだ。』


はい?
意味がよくわかんないんですけど。


そして、なぜに今?


「感情がない。」
元々そういう人だと人づてには聞いていた。表面上は「そうだよね~!」と話を合わせながら、それは嘘だと思っていた。
あるいは、言い寄ってくる女性への断り文句としてそうしているのかとさえ思っていた。

本当は人としての感情を十二分に持っているけど、それに振り回されるのがいやで抑えているのかもしれない。
でも、私にはこんなに人間的で情熱的な部分を見せてくれてるんだから、感情がないなんて言ってるだけ。だって、こんなにいつも人間くさいメッセージを送ってくるんだから。と勝手に思いこんでいた。


『私には感情がないんだ。』


いや、でもこんなメッセージをいきなり送ってくるんだ。本当に感情がない人のかもしれない。
それか、ただ単純に私とのやりとりに飽きて、一線を引きたいのかもしれない。


息苦しさを感じながら考える。こういう時、どう返したらいいんだろうか。
普通なら『どういうこと?』って聞くところだ。でも、疑問をぶつけたり、批判することができる関係じゃない。怒れるような相手でもない。だからと言って無視することもできない。


何て返すのが正解?どう返したらいい?
感情がないってどういうこと?
私が言うから言うんだってどういう意味?


たくさんの疑問を飲み込んだあと、やっとのことで返す。


「なぜ、今伝えてくれたんですか?」


「今日がきみの誕生日だから。」


さらに意味がわからなかった。


なぜ誕生日に?


その後にいくつかメッセージが来た。
一つ一つが抽象的で、意味を正確に理解するのが難しかった。全てをけむに巻かれた感じがした。


青天の霹靂だった。



でも、その意味を深く問うすることもできない。そもそも、何を伝えられたとしても、まっすぐに聞ける気分じゃなかった。



震える気持ちをかみ殺して、「教えてくれてありがとうございます。」とだけ返した。


最初から「履歴は必ず全て消すように」と言われていたけど、こっそり消していなかった膨大な量のメッセージは、その時全て消した。


***

私は何を欲していたんだろう。



冷静になってよく考えたら、ほしかったものは全てもらっていたのだ。
「頑張ります!」と伝えたら、「すごく応援しているよ」と返ってきた。
「会えるのが楽しみ」と伝えたら「楽しみに待っているよ」と言われた。



「愛している」という言葉が欲しいから「愛しています」と伝えた。
同じように「愛している」と伝えられたら、同じ熱量で返さなければならないと思っていた。「楽しみだね!」といわれたら、「私も楽しみ!」って言うのが当たり前だと思っていた。



ただ、それだけのやりとりだった。別に体の関係もなければ恋人になりたいわけでもなかった。


子供だってできる。AIだってできる。


ただ言うだけなら、ただ文字で伝えるだけだったら、ただ期待に応えるだけなら、相手が欲しいものを察して返せばいいだけなんだから。


頻繁に連絡をくれること、二人で話をしたいと思えば、言わなくてもその時間を作ってくれること。

その全てが、彼がしたいからではなく、私が期待しているからやってくれたことだ、ということだったのだ。


私が欲しいものは全てくれる。
相手の期待には100%応える。


でも、そこには彼の心が一ミリもなかったというだけだった。


それは、彼もそうだったし、認めたくないけれど、実は私もそうだったのだ。

***

その一方で。

「めちゃくちゃ楽しみ~~~!」と送ったら、たった一言「うん。」と返ってくる。


私はこんなに楽しみにしているのに、彼は楽しみじゃないんだ。


そう思い始めると、そんな楽しみにしてないなんて、もう私のこと好きじゃないんだとか、そういう妄想が次々に湧いて、いっそのこと!と関係をぶった切りたくなるところを踏みとどまって、こう言う。

「楽しみじゃないの?もっと楽しみにしてくれると思ったのに。」

そしたら彼はこう言うのだ。

「俺もかなり楽しみにしてたのに。そう言われたら正直楽しみな気持ちが減った。」

そりゃそーだ。
私でもそーだ。
なんなのさ!と憤りながらもそんな正直すぎる彼が好きなんだから、しょうがない(笑


もし私が誰かに、
「私がこんなにしてんだから喜んでよね」って強制されて喜べるだろうか?相手が期待する感情を求められて喜べるだろうか?
朝は必ず愛してるって言えとか、大好きと言われたら大好きと言えなんて求められても?


今だって、同じように喜んでくれたらいいなとか、こんな風に答えてくれたらいいなとか思わないわけじゃない。それは長年染みついた私のコミュニケーションの癖なのか、人ならみんな持っている欲求なのかはわからない。



でもそんな時、いつも思い出すのだ。



期待どおりの言葉だけならいくらでも返すことができるんだって。
自分の望む反応が返ってきたって、そこに相手の心が宿ってなかったら、一つも嬉しくないんだって。



私は彼の期待に応えるために生きてるんじゃない。

同じように彼も私の期待に応えるために生きてるんじゃない。



あの、苦いベトナムの夜に、
私の感情は私のものであり、相手の感情もまた、相手のものであることを知ったのだから。


私たちは本当に、自由だ。


いいなと思ったら応援しよう!