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《創作大賞2024・恋愛小説部門》「Hydrangea」第3章 全部、雨月のため 第3話 先生としての提案

第3章 全部、雨月のため

第3話 先生としての提案

「やっぱり外の空気っておいしいね」

 空を見上げながら雨月に言う。
 
「そうだね」
「空青いねぇ」
「そうだね」
「雲白いねぇ」
「そうだね」
 
 と、てきとうにうなずいてから、雨月がひとこと。
 
「晴花のパンツみたいに白いね」
「言わないで!」
 
 気にしてたのに。ていうか、しっかり色まで見てるし。そんながっつり見えてたの……?
 再び顔を真っ赤に染めると、雨月がぷっと吹き出す。それから、ころころと楽しそうに笑った。
 ……なんだ、学校でもちゃんと笑えるんじゃない。そりゃ、笑ったネタがわたしの下着だっていうのは少し癪だけど。それでも、雨月も学校で笑えることを知ることができて、わたしは心底ほっとした。
 
 学校での雨月の笑顔は貴重だ。二ヶ月間近くで見てきて、雨月が教室で笑ったところはまだ一度も見たことがない。それどころか、友だちと話している姿さえも一瞬だって見たことがなかった。
「自分は空気だ」なんて言っていた彼に、初めは考えすぎじゃないかとも思ったのだけど、クラスの雰囲気を見ているかぎり、雨月が空気として扱われているというのはどうやら本当だったらしい。当の本人は気にしていないと言っているけれど……わたしのほうがつらくなると言ったら、雨月はどんな反応をするだろう。
 
 正直、学校での雨月の様子を見ていると、わたしは胸が張り裂けそうになる。他の子たちは、あんな楽しそうな毎日を送っているのに、どうして雨月だけ自分の殻に閉じこもるように過ごしているのだろうと思ってしまう。わたしは、できれば雨月にも、楽しい高校生活を送ってほしい。学生時代に過ごした日々は一生の宝になるから。
 どうにかしてあげたいけど……きっと、雨月にとってはありがた迷惑なんだろうな。

 ちらと隣に目をやる。
 広がる街の風景の、もっとずっと先を見ているような瞳。
 わたしは、その横顔にそっと話しかける。
  
「……雨月はいつもここでお昼を食べてるの?」
 
 雨月は返事をせずに、ただこくりとうなずく。
 
「そう。……じゃあ雨の日は?」
「空き教室を探す」
「毎日ひとりでお昼の時間を過ごしてるの……?」
 
 小声で問うと、雨月は目を細めてわたしを見た。
 
「他に誰かいると思う?」
 
 それは……。うん、そうだよね。
 わかっていたことだ。それなのに聞いてしまった。想像をまったく裏切らない答えに、どうでもいいと思えない心はやっぱりまた苦しくなる。
 
 雨月はあいかわらずだ。ちっとも変わっていない。
 わたしはなにも言えなくなって、代わりに今開けたイチゴ牛乳を、ちゅうと吸った。
 
 どうにかして雨月を楽しませたい。
 卒業するとき、高校生活をここで送れてよかったって心から思ってもらいたい。
 ……どうしたらいいだろう。
 
 ふたりのあいだにじわりと重い沈黙が落ちる。
 それから数十秒後、わたしははっとして、
 
「そうだっ!」
 
 と声をあげた。
 
「ねえ、いいこと考えた。明日からわたしもここで一緒にお昼を食べていい? どうかなっ」

 名案だとばかりに目をきらきらと輝かせて、隣の雨月に視線を向ける。するとそこにはわたしとは対照的に、あからさまに嫌そうな顔をする彼がいた。口に出さなくても瞳が完全に「それっていいことか?」と物語っている。
 ああ、まったく、雨月はてんでなんにもわかっていないんだから。ふたりでお昼を食べるのは絶対にいいことに決まっている。そうすれば高校生活のいい思い出にもなるし、おいしいごはんを分け合えるし、そしてなにより楽しい! そんなこともわからないなんて、雨月はまだまだおこちゃまだ。
 
「どうかなって言われても……なんていうか、あんまり」
 
 雨月は首をかたむける。全然乗り気ではない彼の態度にむっとして、わたしは頬を膨らませた。
 
「なによ、嫌なの?」
「べつに嫌っていうんじゃないけど……」
 
 煮えきらない態度の雨月は、ブラックの缶コーヒーのタブをぱきりと開け、ゆっくりとそれに口をつけた。
 
「おれはいいけど、晴花がまずいと思う」
「わたし? なんで?」
「こんな場所にふたりで一緒にいると変な目で見られるよ。どこで誰が見てるかわかんないし。よくない噂されたら困るだろ」
「よくない噂ってなに?」
「それは……いろいろあるだろ、そんなの」

 なぜか視線をそらす雨月。
 わたしはそんな彼の顔を覗き込む。
 ……なんかちょっと顔赤くない? なんで?

「……と、とにかく、変なこと言われても嫌だし、やめといたほうがいいと思う。おれみたいなのと一緒にいるところを見られたら、なに言われるかわかんないよ。……おれと違って晴花は人気者だから」

 苦い顔をしていたから、単に雨月が嫌なだけかと思っていたけど……もしかして、わたしの心配をしてくれているのだろうか。 
 なんだ、そんなこと。
 わたしはにっこりと笑う。
 
「大丈夫、わたしのことなら心配しないで!」
「いや、でも……」
「気にしない、気にしない! 噂されても堂々としてればいいじゃない。一緒にお昼を食べるだけだもん、なにも悪いことしてるわけじゃないんだからさ」
 
 ね、と意見を押し通す。
 雨月は終始乗り気ではなかったけれど、それ以上拒否したりはしなかった。
 
 そうだ。なにも気にすることはない。
 だってこれも、全部雨月のため。雨月に幸せになってもらうため。
 これは、先生としての正しい判断だ。
 心配性の雨月はまわりの目を気にしてああやって言うけれど……わたしはきっと、なにも間違ってはいないから。


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