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《創作大賞2024・恋愛小説部門》「Hydrangea」第3章 全部、雨月のため 第2話 屋上でのひととき

第3章 全部、雨月のため

第2話 屋上でのひととき

 休み時間が終わり、授業を行い、鐘が鳴り響いて昼休みになった。
 いつもは職員室で母の手作りのお弁当を食べるのだけど、今日は持ってくるのを忘れてしまった。この年になって母親に弁当を作ってもらうなと雨月には言われたけれど、お母さんの料理はおいしいのだから仕方ない。
 
 せっかくなので普段は行かない購買にでも行ってみようと思い、人ごみに埋もれながら必死にメロンパンとイチゴ牛乳をゲットする。デザートのアップルパイも……と思ったけど、最近少しだけ体重が気になり始めているから、ここは我慢だ。
 
 昼食を腕に抱え歩いていると、ふたりの生徒がぱたぱたとわたしの横を駆けていく。振り返り、「こら、廊下は走っちゃだめでしょ」と注意をすると、生徒たちはニコニコしながら「ごめんなさーい」と大きく手を振って廊下の角に消えた。楽しそうな笑い声が遠くから聞こえてきて、やれやれと息を吐き出す。生徒たちの笑い声を聞いていると、こっちまで笑顔になるから不思議だ。
 
 しかしそんな笑みも、すぐに深い溜め息とともに消えてしまう。
 休み時間に聞いた勝馬先生の言葉が――「そっとしておくのがいちばん」という声が、ずっと耳の奥にこびりついて離れないのだ。
 
「そんなこと……ないと思うんだけどな……」
 
 ぼそりとひとりごとをつぶやく。
 そっとしておいたところで今の状況がよくなるとはちっとも思えない。それなのに、なぜみんな口を揃えてそう言うのだろう。放っておいたら、それこそ雨月はずっとクラスに馴染めずにひとりぼっちのままだというのに。
 ……というか、そもそもどうしてわたしはこんなに気が滅入っているのだろう。自分でもわからない。
 孤立している生徒が雨月だからだろうか。自分の大切な幼なじみがひとりぼっちでいるから、見ていられないのかもしれない。もしこれが他の生徒なら、あるいは勝馬先生のようにここまで悩まずに済んだのかも……。
 
「……ああ、だめだ。ちょっと休憩しよう……」
 
 考えすぎて頭が痛い。このまま悩み続けていたら頭が石にでもなってしまいそう。気分転換に外の空気でも吸いに行こう。そうすれば少しは気が晴れるかもしれない。
 
 ふと、屋上へ行ってみようと思った。この学校は屋上に園芸部のコーナーがあるらしく、一般の生徒も出入り自由と聞いた。最上階を目指して階段をのぼっていくと、大きな鉄製の扉の前にたどり着く。誰かいるのか、扉は薄く開いていて、そこから白い陽の光が差し込んでいる。
 丸いドアノブに手を触れ、押し開ける。きい、と高い声で扉が鳴いた。ひょこっと首だけを出し、あたりを見回してみる。先客がいるのかと思ったけれど、人の姿は見当たらない。屋上へと出ると、さわやかな空気が頬を優しく撫でた。
 
 外の空気はやっぱり気持ちがいい。空もすごく晴れている。わたしはメロンパンとイチゴ牛乳をそれぞれ両手に持って、ぐっと背伸びをした。
 
「来てよかったぁ」
 
 と、ひとりごちたその瞬間。
 びゅう、とうなるような突風が吹きつけた。
 プリーツスカートのすそがふわりと持ち上がり、下着が見えそうになる。情けない声をあげながら、めくれたスカートを慌てて押さえた。
 焦った。屋上の風って、なんでこんな強いんだろう。まわりに誰もいなくてよかった……。

「……なにやってんの、晴花」
  
 わたしの名前を呼ぶ声。
 はっとし、顔を上げる。
 扉からは死角になっている、屋上の隅のほう。……そこには、呆れたような顔つきでこちらをじっとりと見据える雨月の姿があった。
 
「う、わわわっ、う、うづ、うづきっ」

 え、なに、もしかして一部始終見られてた?
 やだ、いるなら声をかけてくれてもよかったのに。
 恥ずかしさで顔が一気に熱くなる。
 
「顔真っ赤だよ、晴花」
「う、うるさいな……」
「あと、スカートめくれてたよ、晴花」
「……やっぱり見てたの?」
 
 ていうか、こういうときって普通は見なかったふりをしてくれるものなんじゃないの? どうしてこの子は堂々と報告してくるの? 鬼なの? 悪魔なの?
 涙目でふるふると震えていると、雨月は何食わぬ顔で落下防止用の鉄柵に寄りかかりながら惣菜パンをかじる。あいかわらずのポーカーフェイスだ。大人のわたしばかりがあたふたして格好悪い。
 
「晴花の下着なんてどうでもいいけど」
「ちょっと待ってどうでもいいってなに……?」
「ここにいたのがおれでよかったね」
 
 ひたすら表情を無のまま変えない雨月。
 どうでもいいって言葉は引っかかるし、認めるのはなんだか悔しいけれど、でも、まあ。
 
「……うん」
 
 小さくあごを引いてうなずいた。
 たしかに相手が雨月でよかったと思う。他の生徒にこんな姿を見られていたら、穴を掘って入ってもおさまらないくらいにきっともっと恥ずかしい思いをしていた。それに比べれば、遠い昔に一緒にお風呂に入ったことのある幼なじみの雨月にだったら、まだ格好悪い部分も見せられる……気がする。あくまで、気がするだけ。見せてもいいわけじゃない。今だってじゅうぶん恥ずかしいし。
 
 ゆっくりと深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。気を取り直して雨月の隣に並んだ。わたしが横に立っても、雨月は嫌な顔をしない。学校にいるときの雨月は尖っているから、少しだけ気を遣う。
 ちら、と横目で見る。どうやら雨月はここでお昼を食べていたらしかった。最後のひとかけらのパンを口に入れると、もぐもぐとハムスターのように咀嚼する。そんな雨月の姿を見ながら、わたしも購買で買ってきたメロンパンを一口大にちぎり、ぱくりとほおばった。ん、おいしい。
 
「うわ、晴花、また甘いもの食べてる」
「いいじゃない、べつに。おいしいよ、メロンパン」
「おいしいのは知ってるけど……メロンパンってカロリー高いよ」
「知ってますぅ。でもいいの、甘いのが食べたかったんだから」
「甘いのが食べたいのはいつものことだろ。しかも飲みものはイチゴ牛乳って……やっぱり子ども?」
「子どもで結構ですよーだ」
 
 ふん、と鼻を鳴らす。
 雨月が呆れた様子で目を細めた。

「今日はおばさんの手作り弁当じゃないんだね」
「ん、忘れちゃったんだ」
「いい加減作ってもらうのやめなよ。あといつまで実家に居座るつもり? いい年なんだから一人暮らししたらいいのに」

 隣でちくちくと文句を垂れる雨月を知らんぷりする。 
 わたしはメロンパンとイチゴ牛乳をそれぞれ手に持ったまま思いきり息を吸った。新鮮な空気に、もやもやと曇っていた頭が冴えていくような気がした。


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