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【教育】ジェンダーレス、そしてエイジレスへ

秋晴れの三連休、皆様いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、大久保です。

私たちは療保園いろはという児童発達支援施設を東京都で2店舗運営しています。そこではいわゆる’縦割り保育’ということで、年齢もバラバラなお子さんが毎日10人程度集まるのです。曜日によって性別も年齢も様々ですが、それぞれのお子さんがそれぞれの遊びを一緒の空間で楽しんでいます。
その空間の中には誰かと比較するということがありません。
なぜなら、性別や年齢すらもその子の個性となるからです。



現在の日本の教育システムの課題

私たちは生まれた日を誕生日とし、1年後の同じ日が来ると「1歳」となります。1日24時間365日は皆平等。その次の年は「2歳」、「3歳」「4歳」…。
「6歳」で4月を迎えると小学校に入ります。「12歳」の4月には中学生になります。これがなんともよろしくない。というのも、1日24時間の中で、時速50Kmという平均速度の子もいれば、時速80Kmの子も、時速20Kmの子もいるということが配慮されていない点です。車で考えてみると明確ですが、目的地に早く着くのは、時速が早い車です。ではゆっくりな車は?と言いますと、もちろん目的地に着くには時間がかかるのです。これを発達段階で置き換えてみましょう。
『トイトレは2〜3歳で始めましょう』という定型文があります。これはあくまでも、既に走れる装備の車が完成していて、50Km以上出せる場合を前提としています。現状の日本の教育には、集団生活を前提とした速度度外視の基準に基づいて保育や教育が設定されています。(全て、ではないですが)

しかし、近年の国際的な関わりを通し、多様であることを肯定する風潮ができました。日本の世の中は様々なジェンダーや人種、個性を(やっと)認める社会になっていきましたが、日本に生まれ初めて関わる教育機関が、「年齢」に捉われ、いまだに男女分けをして並ばせる教育をしている、ということです。

そして現れた、#発達ゆっくりさん

「最近、発達障がいって増えましたよね?」といろんな方がおっしゃられます。しかし実際のところ、昔から個性的な子はあなたの近くにもいたはずです。心身的な障がいだけではなく、内面的な特性が集団生活に適応できないと、何かしらの病名がつくそれが今の社会です。子どもだけではなく、激務でメンタルのバランスを崩せば、適応障がいやうつ病の診断が出て、休職の指示がでる、といった感じです。
しかし、病気とまで言わずとも、50Km出せるはずの車がどうにも進まない。「なぜうちの子はゆっくりなんだ?」と押してみたり、アクセルの点検をしてみたり、ガソリンを変えてみたりご家族はいろいろとトライされています。ただやはりゆっくり、そして現れたのが、こちらの#発達ゆっくりさんです。(個人的にはグレーという表現よりも良い表現だな、と思ってます)
ただこのゆっくりさも、個性。良い意味でそれを認められる社会への一歩になったらいいな、と思い私たちは日々発信を続けています。

実は困ってる早い車たち

それでは困っているのはゆっくりさんだけか?というとそうでもないのです。実は50Kmの平均値に対して80Kmとか100Km出せる車たちも実は困っているケースがあります。どういう子?といえば、ドラえもんでいうとデキスギ君。50Kmの課題は彼らには簡単すぎる場合があります。簡単な課題は、彼らにつまらない感覚を与え、意欲を減退させてしまいます。集団生活の中では待つことが多く、ただ時間が経つのを、終わるのを待つのです。幼少期のこのような経験はその先の人生への期待よりも、周りにうまく解け込み目立たないように過ごす術を覚えることとなります。

期待する未来

それでは速度の違う車たちを年齢以外にどう学校や幼児教育施設にまとめるか、という疑問が出てくると思います。それには年齢以外の尺度が必要になります。その尺度によってこの子は時速何Kmなのかということを明確に見極め、速度に応じた教育を提供していくことが必要となります。(そこが難しいんだけどね)具体的には発達速度が早い子には、出し惜しまず興味があるならどんどん先の課題が与えられるべきですし、ゆっくりの子には速度に合わせたゆっくり取り組める環境が与えられるべきです。「年齢」にとらわれるのではなく、必要であれば2回年中クラスをやっても良いだろうし、幼児期の間に小学校の学習を履修しても良いと思うのです。私はこの「エイジレス」が日本の教育の新しいスタンダードになれるよう、児発にとどまらず学校という場を創りたい、そのために今は児発という小さな施設から、このエイジレス生活に取り組んでいます。

みなさんは明日の教育に何を期待されますでしょうか?


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