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優しさってなんだろう?3
優しいと言ってもらえるけれど、それは本当なのか、考えてみる3回目です。
前回↓
https://note.com/irohairoha/n/n597764d06d92
優しさに大きな影響を与えること。それは「自分に優しくできているか?」です。
自分を許容できない人は
他人のことも許容できない。
これはつくづく思います。
他者の心を推しはかるあまりに己の身を削る。これは、一番身近な人である自分に優しい行為とは言えません。好き嫌いはともかくとして、一番付き合っていかなくてはならないひとりをないがしろにすることは優しさとは程遠いのです。
自分が嫌いだから大切にできない、そういう場合もあるでしょう。ですが、人は優しくしてくれる人を慕うものです。これは自身にも通じる話で、苦手でも優しく対応していれば、苦手さは軽減していくものです。
また、一番身近な人物である自分を人として大切に対応できなければ、根本的に人の扱いが雑になります。他の人を尊んで生きようとしても、無意識に周り全ての人間に良くない行いをしてしまいます。
これは我慢が限界に来た時に顕著にあらわれるようです。ストレスが溜まりすぎて、自身を省みない行動に出るとき、それは自分以外にも悪い影響を与えかねないのです。暴飲や夜更かしは、健康を損ね、心を損ね、周囲の利にならない行動の引金となります。日々のちょっとした愚痴ならともかく、ストレスにたえきれず当たり散らせばもっと分かりやすい形の自他共に良くない結果と言えます。
つい他人に気を遣うお人好しな人物にとって、最終的に人を大事にできていない噴火したような状態は望まぬ姿ではないでしょうか?
自分を慮れば、みんなを尊べる。ならば、自分に優しくできない原因は?
要は自信がないのが理由です。価値が見いだせない己を大事にしようとするのは、無意識の選択では難しいのです。
価値を感じないもの・人に、思い入れを持って対応しようとはできません。何に関しても、誰でもです。これは対象が自分だったとしても同じになります。
私はまだまだ自信がありません。謙遜を通り越した卑下をしてしまいます。能力や価値を低く見積もって、他所からの評価とズレが生じます。そのズレが人に失礼な対応をもたらす日もたびたびあります。
それなのにどうして他者に優しいと言われるのでしょう?単に歪んだ優しさ・我慢にすぎないのでしょうか?疑問が浮かび、「優しい」のラベルを手渡されても、自分に貼れないでいます。
現在の私にとっては、自分が優しいかどうかよりも、自信をつける方が大事な課題です。
などと言いつつ、他人への思いやりは自分を尊重と連鎖しているのですから、難しいものです。こんがらがってきます。
自分は優しいんだと認めて褒めるのも、自信につながるかもしれませんね。
もう次回も少し続きます。読んでいただき、ありがとうございました。