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優しさってなんだろう4
真の優しい性格とはなんだ!?、優しいと言われてモヤモヤする!!という考え事の続きです。
前回↓
https://note.com/irohairoha/n/n5fe402d08781
当たり前ですが、いつも優しくあるのは難しい、むしろ不可能な姿です。体調がすぐれない時も、状況的に自分で手一杯の時もあります。
そして、他者のにとって利益でも、自身にとって不利益な状況もまた、相手への優しさだけでは解決しません。
人生や暮らしのためには、自分を優先した方が良いでしょう。
相手のことが気になって自己犠牲的に動いてしまってばかりでは心身がもちません。それでも罪悪感から我慢や身を削る行動に出るのは自信のなさだと思います。
利益が衝突した時は己を優先する。自他の問題を区別して、自分のケアを重んじる。重んじていきたい事柄です。
ですが、相手が求める時に真綿でくるんだ対応をしないならば、他所からの見れば優しくないのでは?と疑問が浮かびます。
実体験なのですが、干渉がすぎて付き合っていられなくなり距離を置いた友人がいました。その友人はある日、顔見知りばかりの飲み屋のカウンターで、酔っぱらって号泣しながら、私について語っていました。三つ隣の席で「ああすれば良いのに。こうすれば良いのに。構ってくれない。」としゃべっています。別件で訪れていたにも関わらず、聞かずとも丸聞こえです。
のちほど聞き役だったマスターに「構ってあげたら?」と言われました。面倒なのでと返答したら納得されました。友達の様子は端から見てもだいぶ困惑するものだったようです。
なんにせよ、自分を優先した結果、優しいどころか友人1名を泣かせました。ニーズに応えず、寂しさや悲しさを引き起こさせたのです。きっと、友人にとって私は思いやりがある性格ではないでしょう。
これは、優しさを求めてくる側がこちらに期待しすぎているからこその問題です。他人はコントロールできないと正しく境界が引けていない相手側の課題になります。
そして同時に、優しいという評価も相手の主観によるものです。 優しい性格も、自分で掲げたプラカードではないのです。
確かに、ひとに優しくあろうと志している部分はあります。何をしたら役立てるか分かっていたり、悩んで途方にくれている人を放っておく罪悪感を解消したくもなります。
ですが、「優しい性格だから」とわざわざ自分を評価しての行いではありません。目指していたとしても決めつけてはいない、むしろそう言われれば違和感のある客観的意見にすぎないのです。レビューがポジティブかネガティブかは問題ではありません。
ならば、善行をして外からなんと言われようと関係ないのではないでしょうか。行動選択はしましたが、性格の診断を頼んだのではないのですから。好きにやれば良いのです。
主観的でない私の見え方はおおいに参考になります。しかしながら、それに振り回されたくないのが本音です。あくまでも、取り入れたければ取り入れるくらいで十分かなと思いました。理想ですが。
そうなれば、他人の言葉を気にしすぎているだけになります。これはいつも越えていきたい山のような課題です。どうしても一言一言を重く受け止めるので、軽くいきたいのです。ただ、これは絶えずある課題で「優しい性格」の問題だけが特別なものではなくなります。
親しい友人からの嬉しい評価は受け止めていく、近しくない人からの評価は聞き流す。重く考えずにいる。プレッシャーやストレスのない捉え方はこんな所かもしれません。受け流すのは苦手ですが、こう思えば少し楽になれそうです。
なんだかポジティブな結論に至りました。だからといって、明日から他者の評価が気にならない訳ではありません。優しい行動も、止めたりはしないでしょう。
一度に解決なんてしないのは仕方ないですね。前向きに諦めます。
書き始め、「優しいも所詮他人の言葉にすぎない」とは、ちっとも考えていませんでした。ただ書き連ね、筆が止まった時に、ふと閃いたのです。思考をアウトプットしたお陰ですね。
少なくとも今は、いくぶん気楽です。 ちょっといい着地点について嬉しいです。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。