【創作大賞2024 エッセイ部門】私の人生①
これは、私がまだ実家暮らしだった頃の話です。
愛情の欠如
私は幼い頃から親の愛情を感じた記憶がほとんどありません。特に妹と弟が生まれてから、母親の態度が一変しました。
母は私に対して厳しく接する一方で、妹や弟には愛情を注ぎ、可愛がっていました。この変化は私にとって非常に辛いものでした。
母親は私に対していつも厳しい言葉を投げかけ、「お姉ちゃんなんだから」と責任を押し付けてきました。
家庭内の不公平
母は私に対してだけ門限を設け、16時までには家に帰るように強制しました。クラスメイトと遊ぶことすら許されず、毎日のように妹と弟の面倒を見ることを強いられました。
家事も同様で、「お姉ちゃんだからご飯の支度は自分でしろ」と言われ、家族のための食事を準備するのが私の役割となっていました。
その一方で、妹や弟には何の責任も課せられず、自由に過ごしていました。
父親の存在と母親の隠し事
父親は仕事で忙しく、家にいる時間が少なかったため、家庭内の状況をほとんど把握していませんでした。その隙をついて母親は父親に内緒でパチスロに行くことが常態化していました。
家計は苦しく、食事の準備も私に押し付けられました。母親は私に対して「お姉ちゃんだから」と言い続け、その責任を過剰に負わせました。
高校生になってからの状況
私が高校生になった時、母親の要求はさらにエスカレートしました。「バイトでもして食費と学費を払え」と命じられたのです。
妹や弟が中学3年生になっても何も手伝おうとしないのに、私だけに過重な負担をかけ続けました。
母親は妹や弟には甘く接し、勉強を強いることもなく、二人はわがままに育ってしまいました。
バイトと生活の苦悩
私は学校とバイトの両立に苦しみました。バイト代が入る度に、妹や弟は「お小遣いちょうだい」とせがんできました。
断ると、「お姉ちゃんだから小遣いぐらいあげれるだろ」と責められ、精神的なプレッシャーに耐えなければなりませんでした。
母親も同様に私に対して厳しく、「お姉ちゃんなんだから」と何度も言い続けました。この状況が続く中で、私は次第に自分の存在意義を見失い、生きることが辛くなっていきました。
家を出る決意
そんなある日、私は自分の心の中で決断しました。「もう私がここにいる意味はない」と。高校卒業と同時に、私は黙って荷物をまとめ、家を出ることにしました。
家を出ることは恐怖でもありましたが、それ以上に自由を求める強い願望が私を突き動かしました。
自立への道
家を出た後、私は一人で生活を始めました。初めは大変でしたが、自由を得たことで心の安らぎを感じることができました。
自分自身で決めた道を歩むことで、自立心と自信を取り戻すことができました。仕事も見つけ、新しい友人もでき、少しずつ生活が安定していきました。
親との距離
家を出た後、親との関係は自然と疎遠になりました。母親からは何度か連絡がありましたが、私に対する態度は変わりませんでした。
それでも私は自分の道を選び続けました。自分自身の幸せを追求することができるようになり、親の期待に縛られない自由を手に入れました。
振り返り
今振り返ると、あの時の決断が私の人生にとって大きな転機となりました。辛い経験を通じて、私は自立心と強さを学びました。
親の愛情を得ることはできませんでしたが、自分自身を大切にすることの大切さを知りました。
これからも、自分の道をしっかりと歩み続けたいと思います。
家庭内での経験は私にとって辛いものでしたが、それを乗り越えることで自立と自由を手に入れることができました。
この体験が、同じように苦しんでいる人々に少しでも希望を与えることが出来ればいいなと思います。
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