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『timelesz project』から考察する、ジャニーズ人気の理由とその功罪

 2024年9月より Netflix で配信されている、『timelesz project』、通称タイプロ。

 「旧ジャニーズ事務所のアイドル初の新メンバーオーディション」、 「現役アイドル自らが審査員を務める」などの、今までにない要素を備えたオーディション番組となっており、「菊池風磨構文」のような話題も生まれています。

 一方で、その視聴者の中心となっているのはやはり timelesz やその前身 Sexy Zone のファンであることも間違いないでしょう。

 しかし、この番組は、既存のファンに向けたコンテンツにとどまるには勿体ないポテンシャルがあると感じています。

 なぜかというと、『タイプロ』は「ジャニーズアイドルのどんな要素が、今の絶大な人気を形作っているのか」ということを、これ以上なくわかりやすく提示している、ジャニーズ/ジャニオタの入門書のような番組だからです。

 そのため、私のようなジャニーズアイドルに全く興味がない人生を送ってきた人たちも、『タイプロ』を観る意味があると思っています。

 『タイプロ』を観ることは、ジャニーズアイドルがどういう意識を持って活動しているのか、ファンが何を求めてジャニーズを追っているのか、さらに言えば、ジャニーズを巡る昨今の騒動で、ファンや事務所がなぜああいう反応を示すのか、について、おそらく他のどのドキュメンタリーよりも正確な理解の助けになるように思います。

 この記事は、私自身が『タイプロ』をどのような目線で観て、その上で、 timelesz、そしてジャニーズとはどういうものであると考えたかについての現時点での個人的な解釈をまとめたものです。

 

前置き

  • オーディションの選考結果やその基準については基本的に触れていません。あくまで『タイプロ』内での現メンバー3人の言動に焦点を当てた記事であることをご了承ください。

  • あくまで個人的な解釈であり、この記事に書いた以外の見方や考え方を否定するものではありません。人によっては読んで不快になる表現があるかと思いますので、そういったものに抵抗のある方はここで読むことを止めるようお願いします。

  • この記事では、「ジャニーズ」「ジャニーズアイドル」などの単語を、ジャニーズ事務所が改名する以前からの活動や、現在はSTARTOに所属せずに独立・移籍したアイドルを含めた、「旧ジャニーズ的なもの」を総称した概念として用いています。また、各メンバーについては敬称略とさせて頂きます。


 

言語化される「圧倒的なプロ意識」

 タイプロを通してまず見えてくるのは、メンバー3人の、オーディションと、アイドルという概念に対しての圧倒的な真摯さです。

 メンバー3人がそれぞれ候補者に求めるものとして「目を惹くもの」「協調性」「想いの強さ」を挙げ、その軸に沿って繰り広げられる質疑応答でのスリリングなやり取りは、メンバー3人がアイドルに求める理想が非常に高いことを示しています。

 予告で話題になった「菊池風磨構文」も、実際には「『女の子が俺のことを待ってる』などと言いながらダンスも全くできなかった上に歌詞を忘れてしまう」という、かなり問題のある参加者に対して苦言を呈す、非常にシリアスなシーンでした。

 他にも、ファンを悲しませる可能性のある言葉選びをした候補者を鋭く詰めたり、timelesz のこれまでの活動を知らない候補者を追い込んだりと、アイドルらしからぬ厳しい表情や言動を見せる様子が映し出されます。

 それは、彼らが候補者、つまり timelesz のメンバーにどのような性質とレベルを求めるかが反映されており、同時に自分自身がどのような意識を持ってメンバーとして活動しているかを反映しているでしょう。

 

 そして、そういったアイドルとしてのプロ意識が、「面接」という場を通じてわかりやすく言語化されることは、タイプロの非常に特異な点です。

 考えてみれば、timelesz やその他のジャニーズアイドルの活動として、彼らのファンではない一般人が目にする機会があるのは、例えば『Mステ』『CDTV』『紅白』などの歌番組でのパフォーマンスや、バラエティ番組へのゲスト出演、または雑誌の表紙や映画・ドラマ主演など、どれもアイドルとしての本業ではない活動です。

 そこでは、「圧倒的な努力を積み重ねている」、「全ての言動でファンを裏切らないことを常に意識している」、といった、彼らをアイドルたらしめる要素はほとんど見えてきません。ドラマやバラエティでの頑張りは伝わってくるにしても、そこでは本職の俳優や芸人と横並びで比較されてしまうので、そこだけを見ても凄さは伝わりきらないでしょう。

 本当の意味でそれが見えてくるのは、生のライブでのパフォーマンスを目にしたり、ラジオ・インタビュー・ファンクラブでのメッセージなどを追いかけるようになったりして、活動の全体像を把握できるようになった後、つまり「ファンになってから」です。

 しかし、この『タイプロ』ではそういったプロ意識が本人の口から説明され、面接に臨む姿勢を通して直接的に可視化されます。これは非常に珍しく、画期的なコンテンツではないでしょうか。

 

 そして、タイプロにおける「メンバー3人がどういう候補者を求めているか」という問いは、そのまま「メンバー3人がファンから何を求められていると考えているか」とほぼイコールになるので、これは同時に timelesz のファンを増やす活動にもなっています。

 タイプロで言語化されるような特徴を持ったアイドル像を求めている人にとっては、現 timelesz がまさにそれを提供してくれるという、綺麗な導線が引かれているのは特筆すべき点です。

 

オーディションを通じて timelesz の魅力をアピールしている

 タイプロという番組が、オーディション番組の体を取りながら、同時に timelesz の魅力をアピールする番組でもあるということは、制作側も意識して作られているように思います。

 そもそも「菊池風磨構文」のシーンも、オーディションとしては、箸にも棒にも掛からずに落とされた候補者のパートであり、候補者のファンを増やすことだけ考えたら流す必要はありません。

 本来オーディションとしては「レベルの高い候補者の中から選抜された」と思ってもらう方が良く、レベルの低い候補者をフィーチャーすることは、オーディション全体のレベルも低かったという印象を持たれてしまうリスクがあります。

 それでもあのシーンが配信されたのは、もちろんエンタメとしての盛り上がりを意識したということもあるでしょうが、やはり菊池風磨が格好良く見えるシーンを流すことを優先したという面があるはずです。

 

 続く3次審査が、ジャニーズ Jr. が通る試験の伝統を踏襲していることも、もちろん timelesz に入るにふさわしい人材の選抜、経験の共有を目的としているのは前提とした上で、同時に「こういった試練をかつて突破してきた」timelesz 現メンバーのスター性を強調するような作りにもなっているように思います。

 それが特にわかりやすいのは timelesz の YouTube チャンネルに上がっている shorts で、最も再生されているのが「Can do! Can go! 13年ぶりに踊ってみた」というメンバー3人が主役の動画であることです。

仲間探しオーディション【timelesz project】3次審査《全体ダンス 006『Can do! Can go!』/V6》#タイプロ #timelesz_project #オーディション - YouTube

 もちろん舞台裏の動画ではあるとはいえ、オーディションを追いかけることだけ考えたら、このような動画はむしろ新メンバーとの実力差を強調してしまう可能性があります。現メンバーのアピール自体もオーディションの目的に含まれているからこそ、この動画が投稿されているのだと思います。

 

恋愛はNGではないが「隠し通す」もの

 『タイプロ』では、メンバーがいわゆる「アイドルと恋愛」の問題についてどう考えているかが垣間見えることも非常に興味深いです。

 episode 02 では、オーディション参加者の1人・松田が、過去に女性と映っていた2ショットをインスタに残していた点を指摘されるというシーンがあります。

(菊池)事前の調査によると、インスタに女性とのツーショットがあるんだけど
(松田)……はい
(菊池)これは…名前を検索された時に、出てきちゃうと思うんだけど
(松田)あのー…受けた段階でちょっとしてから…
(菊池)消してる?
(松田)はい、消しました
(菊池)そう、そこら辺がやっぱ、あとから入ってもらうっていうところの怖い部分だなと思ってて。
今まで普通のね、男性だったから、そこを否定するつもりは全くなくて、ただ後からね、いろいろ言われてしまうことが我々のリスクだから。
その、松田君本人にとっても、そこら辺がちょっとね……心配だなっていうのはあるかな

 このシーンを最初に観た時、個人的には少し違和感を覚えました。

 この年齢で新たにアイドルになる人、しかも timelesz オーディションを受けようと思う人が、過去に誰とも付き合っていないなんて、そんなわけがないし、視聴者でそう思っている人もいないでしょう。

 その上で、例えば今後オーディションに松田が合格して、過去の恋愛歴を掘り返されたとしたら、むしろ事務所や timelesz メンバーは「グループに入る前の恋愛は本人の自由です」と守ってあげるべきではないのか、なぜそれをリスクとして突き放してしまうのだろうかと。

 

 しかし、菊池風磨のこの発言を噛み砕いてみると、「恋愛歴があること」と「恋愛歴がないかのように見せること」は全く別の話で、両立可能なものである、と考えていることがわかります。

 菊池風磨はここで、恋愛歴そのものを問題視しているのではなく、それが事前調査で簡単にバレてしまうという、隠し通すスキルの低さを指摘しているのです。

 「リスク」という予測可能な反応に対して使われる言葉を選んでいること、そして同席するメンバーがそこに疑問を示していないことから見ても、ジャニーズに所属するアイドルにとっては「恋愛歴を隠し通す」ことが最も重要で、それはわざわざ説明するまでもなく当たり前のことだと考えていることがわかります。それこそが彼らにとっての「プロ意識」なのです。

 実際、ジャニーズのファンがアイドルに対して求めていることも彼らが理解している通りだからこそ、推しているアイドルの熱愛報道のニュースが出た時に「裏切られた」というような反応を見せるのでしょうし、

 逆に「ある程度の年齢まで熱愛報道のなかったメンバーが結婚すること」にはそこまで強い反発が起きにくいのも、「実際に付き合っていたかどうか」ではなく「隠し通そうとする」姿勢を何よりも重視する考えが(自覚的かはともかく)ファンの根底にあるはずです。

 また、その理屈を呑み込めば、二宮和也が未だに一定数のファンから叩かれ続けているのも腑に落ちます。恋愛そのものの有無ではなく、ファンやグループのためにそれを隠そうとする姿勢をアイドルとしてのプロ意識であると定義するなら、「匂わせ」はその対極にあるわけで、アイドル本人の行動ではないとしても絶対に許せないという感覚になってしまうのかもしれません。 

 

「リアリティショー」的演出と距離を置く『タイプロ』

 「タイプロ」が他のサバ番に比べて特徴的な演出がもう1つあります。それは、参加者の過去やキャラクターを伝えるシーンがかなり少ないことです。

 いわゆるリアリティショーであれば、参加者の普段の生活に密着するシーンであったり、どのような思いを背負って来ているかを視聴者に見せることで感情移入しやすくする構造を取りがちですが、『タイプロ』はそうなっていません。『バチェラー』シリーズのような個人インタビューシーンの演出は多少挟まれますが、それも回数としては多くなく、参加者のインタビューよりも現メンバー3人の個別インタビューの方が断然多めです。

 まだ候補者の多い3次審査であり、もしかしたらここから明かされることもあるかもしれませんが、この演出が意図的なものだとすれば、「将来的にメンバーになるかもしれないアイドルのプライベートや過去をむやみに明かすべきではない」という考えに基づいているのではないでしょうか。

 考えてみれば、SMAPや嵐のような国民的アイドルであっても、そのプライベートはあまり想像しづらく、メディアの前に見せる姿は常にセルフプロデュースというフィルターを通したものでした。数年前までインターネット上に写真さえ載せさせないという徹底したメディア対応も、自分たちの見え方を完全にコントロールしたいという意思によるものでしょう。

 ジャニーズアイドルは「本当はどんな人間であるか」を決して見せません。メンバーも、事務所も、そしてファンもそれを求めていないのです。

 その中で問われているのはあくまで「どう見られたいか」。だからこそ、ちょっとした言葉選びや、グループの歴史の軽視に対して異常なまでに厳しい。

 「本物の景色を掴みに来た」という候補者に対して「本物の景色とは何ですか?これまでの僕たちの活動は本物ではないということですか?」と詰める菊池風磨の迫力は、彼らがそれほど言葉選びに重きを置いている、というよりも、アイドルの本質が言葉選びにこそあると考えていることを示唆しています。

 「本物の景色」という言葉を使った候補者も、自身のアピールのために弾みでそういう言い方をしただけで、これまでの timelesz の歴史が本物ではないと本気で思っているわけではないし、そんなことはメンバーも当然わかっているでしょう。

 それでも、実際に発した言葉と、それを視聴者にどう受け取られるかが全てであって、「本当はどう思っていたか」などという、後から何とでも言えることは、アイドルとしては意味がありません。

 だからこそ、タイプロは一般的なリアリティショーのように「どこまでリアルでどこからフィクションか」という問いで惹きつけることはせず、「視聴者に見えるものは全てリアルである」という前提で作られているのではないでしょうか。

 

オーディション候補者との認識のズレ

 ただ、『タイプロ』がそのような構造下で行われるオーディションであることを、果たして参加者は理解して受けていたのか、というと、若干の疑問が残ります。

 timelesz の現メンバーの年齢を踏まえると、応募者の多くは20代後半の、おそらくアイドルになるという夢を一度諦めた人も少なくないはずです。彼らはタイプロを、「自分の夢を叶える最後のチャンス」だと思って受けていたでしょう。

 そして、他のアイドルオーディションやサバイバル番組であれば、「このアイドルに入ることでどんな自分になりたいか」という夢を語ることが肯定されます。

 参加者にとっては一度しかない自分自身の人生であることは、審査員も視聴者も全員わかっていて、その中で「ファンとグループのために来ました、自分にどんなメリットがあるかは考えていません」というのは、むしろ表面的で嘘っぽく見えてしまうからです。

 だからこそ、正直に「自分の夢を叶えるために来た」というポジティブなタイプの候補者の方が歓迎されるはず、という目論見を持ってオーディションを受けに来た候補者も少なくなかったのではないでしょうか。「EXILEに憧れている」というような発言をした候補者もおそらくその一例でしょう。

 しかし、『タイプロ』はそういう振る舞いを求めていませんでした。 timelesz のメンバーとファンが新メンバーに期待しているのは、「自分は timelesz と secondz のためにこれからの人生を捧げることができます、そのために来ました」と、少なくともカメラの前では一切下りずにそう言い続けられる、職業アイドルとしての覚悟だったはずです。

 ただ、ジャニーズアイドルがそういうものであると完全に理解していた人は、熱心なファン以外では多くなかったはずです。もちろん以前からのファンが応募すべきという前提はあるにせよ、ファンの女性比率が圧倒的に多い上に即戦力を求めるオーディションである以上、全員にその理解を求めるのは難しかったでしょう。

 その認識のズレと、そういう前提知識を説明しなくても当然共有できているはずだという候補者への期待の高さが、2次審査の面接の空気を想定外に重くしたのではないか、とも思います。

 

 また、この認識のズレは、『タイプロ』における手法がそのまま一般社会で通用するとは限らないことも示しています。

 採用難が進み、転職が当たり前になった現代において、組織に対するリスペクトや忠誠心を建前であっても求めすぎることは、むしろ優秀な学生に敬遠されるリスクの方が高いと思います。

 あくまでジャニーズという特殊なビジネスにおけるフィルタリングとしては適切であるでしょうが、『タイプロ』で取られている手法は普通の就職活動に置き換えると圧迫面接に近く、これを「就職面接や組織開発のお手本になる」という切り口で紹介しているメディアやライター、インフルエンサーは、ちょっと価値観がズレているのではないかと個人的には感じています。

 

「プロ意識のない人間」に対する冷たさの表出

 前項で「圧迫面接」という言い方をしましたが、『タイプロ』の候補者に対する面接中のメンバーの厳しい態度は、もちろん彼らのプロ意識の表れとして賞賛されるべきものではありますが、一方でオーディションとしては少々やりすぎていると捉えられてもおかしくない場面もありました。

 「菊池風磨構文」の相手はさすがにフォローのしようがなかったとしても、「本物の景色」のような言葉選びのミスをした候補者に対しては、それを晒し上げるような指摘ではなく、何が間違っているのかを説明してわかってもらうような接し方も、人によってはあり得たはずです。

 もちろん、タイプロのあの場面において、timelesz メンバーがそうすべきだったとは思いません。ただ、ああいったシチュエーションにおいて、高圧的で厳しいスタンスを取る、そしてそのシーンが放送されることにこそ、timelesz とジャニーズの本質があるとも感じます。

 

 episode 04 の冒頭では、全体ダンスとして候補者に『Can do! Can go!』の振り入れを行い、立ち位置変更を繰り返しながらも30分間踊り続けさせ、疲れ切った候補者たちに向けて、現時点での暫定順位をお互いに完全に見える形で発表した上で最後にもう一度踊らせるという指示を菊池風磨が行います。

 この演出自体の是非はともかく、メンバー自らこのように候補者をあえて追い込むスパルタ的な演出の中心に立つことが、アイドルとしてのイメージダウンに繋がる可能性がある、と制作側が少しでも懸念していたなら、ここの役割にはメンバーではなく他の審査員を配置していたでしょう。

 そうではなく、このシーンを見せることが菊池風磨のイメージにとってプラスに働くという判断の下で配信され、そして実際にネガティブな反応も多くありません。

 つまり、あのような演出を見て引いてしまう人をファンにするつもりは最初からなく、その真剣さをポジティブに捉えられる人のためのコンテンツがジャニーズアイドルなのです。

 もちろん、他のメンバー2人はそこまでではないので、ある程度バランスを取った上で菊池風磨にやや極端な役割を担わせている面はあるにせよ、一連の発言にブレーキをかけるメンバーがいないことや、ダンス審査に登場した大倉忠義の立ち振る舞い、そしてそれをフィーチャーする番組側の演出姿勢から、根本的にはそういった価値観がジャニーズの間で共有されていることは確かでしょう。

(菊池)3日間という期間は短いですし、厳しいです。ただ、それを乗り越えるのがうちの会社のタレントなので。というか、うん、まあ、正直僕たちにとっては短くないんですよ。丸一日あったらホントに大喜びですよ

 「3日間で課題曲を習得して発表する」3次審査に苦戦する候補者の姿を受けての菊池風磨の episode 05 でのこの発言は、まさにそういった、彼らがどういうスタンスをカッコいいと考えているかをより直接的に表現しているように思います。

 

 記事冒頭で、タイプロは「メンバー3人がファンから何を求められていると考えているか」を可視化している、と書きました。

 それは同時に、「ファンから何を求められていないと考えているか」を可視化することも意味します。

 彼らが思い描く理想のアイドル像に、「失敗した人間をなるべく傷つけることなく優しく導く配慮」は含まれておらず、むしろそこで冷たく振る舞える厳しさこそが、ファンから求められるプロ意識だと、彼らは考えているのではないでしょうか。

 ここではどちらが正しいという話をするつもりはありません。timelesz やジャニーズの、アイドル活動に対する圧倒的な意識の高さと、その真摯さがない人間に対する厳しさが切り離せない関係にあることは筋が通っています。

 まして、timelesz に加入するかもしれない候補者にもその価値観への順応を求めることは必要な儀式ですし、それを求めるファンがたくさんいるからこそ、実際にこれだけの人気を得ているという事実もあります。

 ただ、ジャニーズのアイドルとファンが、そういった「アイドルとしてのプロ意識」を神聖視し、そうでない考え方の存在を受け入れない価値観が強固に共有されていること、そしてそれをはっきりと表に出しても良いと考えていることと、

 SNS上で候補者への誹謗中傷を止めるよう運営から注意喚起が行われるほどの、意識の低い人間に対するファンの攻撃性の高さが存在すること、もまた、切り離せない関係にあるでしょう。

 

終わりに

 繰り返しになりますが、私はタイプロは本当に良い番組だと思っています。これまではディープなファンしか見る機会のなかった、ジャニーズの今の規模の活動を成立させている価値観が、かつてないほど明確に表に出ている番組であることは間違いないです。

 この記事ではどうしてもネガティブな面も書いてしまっていますが、これは本当に好みの問題だと思っていて、例えば、私の場合は同じ男性アーティストならアイドルよりもロックバンドのような、あまり大きくない単位で意思決定を行い、自分たちが何をしたいかを常に優先して活動している方が安心して応援することができます。

 しかしながら、そういう活動方針では見えない景色があるのも事実で、それがドームツアーを成功させることであったり、地上波で冠番組を持つことであったり、巨額の予算を自身のライブ演出に使えることであったりするわけで、事務所からのバックアップを受けて大々的に活動する以上、そこに重い責任が生じることも必然でしょうし、それを否定するつもりはありません。

 有料部分では、ここまでの流れを踏まえた上での、もう少し踏み込んだ感想を書いています。

 近年のジャニーズを巡る騒動との繋がり、『タイプロ』を評価することの意味、ジャニーズアイドルのイデアとしての timelesz …など、無料部分に入れづらかったことをいろいろ書いていますので、興味のある方はご購入いただけたら嬉しいです。(各項のタイトルは冒頭の目次から確認できます)

 

「アイドルとしてのプロ意識」の絶対視は何を招くのか

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