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「綺麗事で彩り隊」 by irodorizm

人生、1分1秒でも長く生きたい。

生きる=時間

時間をどう使いたいか?

どう生きたいか?

ずーっと考えてきた。

私は「暇、あーひまだー」って思ったことがない。

世の中には一生ではやりきれないことに溢れていて、何回生きればいいかわからないくらい。それなのに、暇だなんて言ってはいられない。

<<そんな私のことを、過去・現在・未来を行き来しながら綴ります。>>

なんなら時短で生きたい。ヨクバリ。

だから高校の時は3つ部活に入っていたし、
大学では3つバイトを掛け持ちしながら、
軽音部で渉外に立候補。3年間で、4年生を飛び級で卒業して大学院へ。

【渉外になったのは、人づきあいを上手く出来るようになりたくて!】
渉外になってすぐ、春に後輩が入部。それまで2・30人だった規模が、一気に100人越えの多所帯に!それなら周囲の5大学以内で3ヶ月に1回くらいライブができれば十分だったが、それだけの多所帯となると、もっとたくさんライブの機会を作る必要があった。一方、一緒にできる大学が多くないと、スケジュール調整も難しい。課題解決の為、自分なりに考えて動き始めた。
 [結果]
→30大学150人のネットワーク構築 (課題解決の方法)
→1年間毎月ライブ企画達成 (課題達成→部員に発表の機会を提供)
→10大学イベントも個人開催 (できたネットワークを生かすため)
→オリジナルでライブ始動 (個人でも飛躍)

【クリエイターには営業力が必要】(そう、写真家の大御所も仰る通り)
最初は自分にノルマを課して実践。20歳くらいからまるで営業マンでした。
大学のイベントで「知らない顔を見つけたら声をかける、名刺を渡す」
イベントがなければ学園祭は自分で調べ上げて、軽音部の担当者を探し当てる!おかげで、人見知りがほぼ皆無になりました。
もちろん大変なことも多かったけれど、人との距離感の保ち方が絶妙で、リスクは回避する鼻が効いた。肝はどんどん座って行く。

【改革を起こす時は、ときに自分で決断する】
一方、昨年度まで行っていなかった渉外活動を一人で展開したため、身近なところから反発されて理解が得られない時は辛かった。
けれども、人と繋がることで生み出せることの大きさや醍醐味を知れば知るほど、その過程は苦労ではなく楽しみになりました。

いつしか、「彩panの企画は間違いない」と、実力派のアーティストが出演してくれたり、観客が自然と集まったりするようになって、自信がついた。

それでも、部内からの理解が得にくかったことが反省として心残りだった。それを自分自身の課題として就職活動のときに専務(その組織ではトップ、改革派の社長ポジション)に話したら、「もし皆んなからの理解を得られるまで待っていたら、きっと目標は達成できなかっただろう。あなたの判断は正しかった」と言われ、女性初の総合職として採用されました。

【好奇心が満たされる分野で専門性を身につけた】
同時に学部時代も院生時代も「将来の仕事」への意識が強くて、普通の就職活動じゃなくて、社会人との交流も欠かさない。海外の専門家とフォーラム開催など文科省や経産省のプロジェクトに参加して学生ながらに報酬を頂きながらお仕事。JICAインターンシップも、知的財産の専門家として。ここで、ツールとしての英語だけではない専門性が強みになる。
この辺りに、「二級知的財産管理技能士」国家資格を取る基盤があります。
海外のプレゼン講師からレクチャーを受けて、最もプレゼンで大事なNon verbalコミュニケーションが出来ていると評価を受けたのもこの頃。

【夢は現実を見ながら実現したい】
どうしても「クリエイター」を「仕事」にしたくて、芸術系の国公立と併願して受けたのが、実際に入った日本で一つしかない「知的財産」学部。
著作権などを勉強したら、将来「プロデューサー」とか、そう行った仕事に就けるのでは?と、漠然と思った高校時代。
結果、今はクリエイターとして、法律知識もあるのでリスク管理もでき、信頼に繋がるので企業や行政の仕事も受けられます。

▷遊ぶ時間あるの?
普通に友達とご飯行ったり、ライブ後は打ち上げしたり、していました。
全然、ストイックな感じではなくて、意外とゆるく生きてる。
(だから毎日コツコツ、同じルーティーンを続けられる人は凄いと思う。)
(運動は毎日走り続けるより、週1回のダンスレッスンくらいが続く派。)

【同時にいろいろこなすコツ】
それぞれに「集中する」期間がある。テスト前は図書館に缶詰。
マルチタスクなようで、実は集中している時は一つずつ、深く。
そして一気に。
逆に日々を通してやることが一つしかなくて、それに集中しすぎると、エネルギーがうまく使いこなせなくて、から回って、バランスが取れなくなる。一方で、二足の草鞋、その草鞋や車輪が増えれば増えるほど、車体が安定していくイメージがあった。
スケジュール帳はいつも真っ黒で、未だにいつもカラフルだけれども。
意外と時間は作ればあるものだ。

どうしてそんなにエネルギーがあるの?と尋ねられることもあるけど、幼い頃から修行を積んでいるお陰でしょう。心磨いて強くして、エネルギーを貯める方法があるから。本当にありがたい事です。

⏩社会人以降の経歴はこちらに詳しく!!!

改めまして、うえやまあやです!

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いつもは誰かのプロモーションを仕事にしている私ですが、自分のことが後回しになりがちだったので、最近セルフプロデュースを始めました。いろんな方のお力をお借りしています!

あした美人さんに「パーソナルカラー」も見ていただいて、ブルーベースの夏だということがわかりました。そこで、髪色もチェンジ!カラコンも合わせています。数十年、色彩検定の第一線講師としてカラーに携わって来られた方と、本気の色のお話!「彩り主義=irodorizm」も強化です。まだまだ磨くぞー。

あとは身体の中からも!Cranio Works/Tukipisteの横田さんに身体をケアしてもらっていて。病気ではない不調や姿勢や体型が改善し始めています!横田さんは長年オリンピック選手のケアにも携わり、病院のリハビリなど、根本原因から改善してくれます。日常的な習慣も少し変えて月1メンテナンス。

OKマークは、これから自分のアイコンになっていきそうな予感。
「大丈夫!OK!」って背中を押せる人になりたい。

裏方でのお仕事だけでなく、自身の歌い手としての活動や、舞台出演など、表にも出ていければと!!演技は続けたい!モデル側は個性派枠で(笑)

何より、2020にスカウトされたことをきっかけに始まった
声のお仕事も、願ってもいなかったこと!
機会があればどんどん挑戦したい。

新生))うえやまあや、よろしくお願いします!

未来に叶えたいこと

さて、そんな私が改めて、これからの人生について考えている今日この頃です。新たなステージに向かわないとなぁと!

先日、「らしさノート(R)」のFPさんの企画で将来設計をざっくり立ててみた。ライフデザインアドバイザーの柳澤恵子先生。

長野市の女性コミュニティBiotope関連「喋蔵」にて。
(このBiotopeでも、人生レベルの女子トークが聴けて学んでる)
この日とは別に、「長野市に大学院レベルの学びを提供したい」というLEAN IN Manabiにて長期資産形成の勉強もはじめました。

そんな場で改めて自分を語って、「彩panが人生語るのを初めて聴いた」と主宰の方に言われ、案外話していないんだなと。改めて、発信してみます!

3年以内 ◆クリエイターとコラボチーム作り
10年以内 ◇キャンピングカー旅
15年以内 ◆1万人の前で歌う(野外フェス)
15年以内 ◆クリエイターのたまり場作り
20年以内 ◆大学相当の場で講師業
いつでも ◆海外との架け橋

プライベート
◇結婚
◇式はお寺できっちりと
◇披露宴はみんなが楽しめるフェスに
◇出産・子育て

〜以内って目標なので、それより早まるのは大歓迎。きっともっとやりたいことが増えるでしょう。少し余裕を持った目標にしているのは、変に焦ったりしたいように、自分に言い聞かせるため。

(2024.1一部修正)
プライベートは、ご縁やそのパートナー次第なことも半分あるので、そのタイミングで進んでいけたら嬉しいなぁと。何よりそれをきちんと話し合える人と!

もしかしたら、来年や再来年には実現していることもあるかも!!

それくらい、緩めの計画。それでいて、やりたいことは明確。

仕事は好きな反面、生まれた性別もあって、仕事と家庭を両立している立派な女性に憧れがあって。リスペクトしかないです。
命がけで出産している女性たち、どんな覚悟で臨んでいるのか。
身体が勝手に母として準備するのか?!正直、そこは恐い。
だからこそ、パートナーや家族からの精神的な支えも必要なんだろうな。

出産って、どう頑張っても産休というか、出産に集中して身体も変わるので、それ以外のいろいろな活動が止まると思うんです。その時までに、またいろいろ再開していけるような仲間づくりだったり基盤を作っておきたい。

そもそも、授かりものなので、出産が叶えば、のお話ですが。

長野は特に、80代越えても当たり前に何足も草鞋を履いている人が多いイメージ。きっと、長寿の秘訣。そういった大先輩の姿を見て、長野移住を決心した。

「夢は、増えていく。」私が長野で感じたキャッチコピー。

仕事はバリバリ続けられなくても、何かしらの社会活動はいくつになっても続けていきたいなぁ。けど家庭や家族も大切にしたいヨクバリな性格です。

今日は1122でいい夫婦の日、家族も友人も周囲を巻き込んで幸せにできる夫婦になりたいなぁ。

クリエイターとコラボ

仕事、直近の募集に特化した記事は→こちらに書きました!

irodorizm、新たなステージへ! 代表プレゼンターの うえやま あや が中心となって活動してきた いろどりずむ}...

Posted by うえやま あや on Sunday, November 21, 2021

クリエイターとコラボ、チームでお仕事の第一弾はこちら!!

一人よりみんな!みんなで出来ることはきっと楽しい!

本気の文化祭を作り上げるように

クリエイターとのコラボのイメージについて。

自分自身がチームで動いて本当に良かったと思う原体験は、高校生の時。

高校一年生で、「文化委員」という名の、クラスの文化祭担当になった。
それが今思えば、初めてのチームビルディングの経験。

折衷案で実現
そこで何をするかの話し合いの時、学校中で人気の「お化け屋敷」にしたいという意見多数。しかし、学校で1組しか通らない。抽選で落選すれば、また振り出し。だったら、もう一つ意見が出ている「迷路」のカテゴリーにして、テーマを『バイオハザード』的にすれば良いのでは?という提案をしてみたことが始まり。

ファシリテーション
さて、無事にカテゴリー勝ちした我がクラス。
初めての文化祭。みんな、何をしたら良いか手持ち無沙汰。
そこで、それまでの半年で、みんなの強みがなんとなく見えていた私は、仕事を想像して、部門立てて、各部門にリーダーを置いてみた。

たとえば、絵を描くのが得意な子に「フェイスペイント」の担当になってもらって、そのグループのお友達とチームを組んでもらう。
力自慢のアメフト部の人たちには、舞台設置など。
他にも小道具担当など、様々な部門を設けて、それぞれの役割や責任の所在が明確になり、みんなが生き生きと動き出してくれたことが本当に気持ちよかった。

信頼して任せて自分も楽しむ
そこで、独りよがりな指示出しではなくて、それぞれの「強み」「やりたいこと」を生かして、基本的には各リーダーに「お任せ」したことが大きかったと思う。

私は途中、剣道部の試合に行く途中に自転車で事故って左腕の骨折・靭帯断裂してしばし入院することになったのだが、その間もみんなは優しくお見舞いの言葉をかけてくれ、より結束が強まったようだった。
(ちなみに、ブラックジャックのような見た目サーファーな外科医に救われて、奇跡的に左腕は動くようになり→その後、剣道二段取得)

みんなに喜んでもらえるサプライズが好き
そんな中で、私自身が当日直前の役割は、「演技指導」だった。
特に、ガイコツの動きが絶妙にウケた。
余談だが、試しにクラス内でテストしてみた時、何人ものクラスメイトが本気で怖がって腰を抜かせてしまった。泣いちゃう人もいた。それくらい、本気だった。自分は肝試しとか嫌いなくせに、「サプライズ」を仕掛けるのは好きらしい。特に笑わせたい。(そういえば、消極的だった小学生時代も、みんなの前で本気の「マジック」を披露して喜んでもらうのが好きだった)

こうして始まった企画は、結果、学校一行列ができるクラスとなりました!!!大成功!!!

現実の仕事は文化祭じゃないよという話ですが、
基礎にある考え方はここにあります!!!!!

従業員満足と顧客満足が両立するチームビルディングを!

青春で感じたドキドキワクワク感を持っていたい!

クリエイターのたまり場?!

自分の会社をもし作るなら?を考えたとき、浮かんだのは、オフィスではなくて、カフェのような形態。

打ち合わせはそのカフェでできる。

そして、飲み物だけじゃなくて、フードも出せるのが特徴。食大事。

そこで、こだわりの出汁が効いたスパイスカレーを提供したい。最強。

コーヒーの薫りと本があればなお良い。

イベントができるスペースがあって、

撮影スタジオや音楽スタジオもある。

クリエイターが思い思いに制作コラボが出来る空間。

仕事だけじゃなくても、そのうち本気の趣味が増えていく。
来るたびに、挑戦したいことが増えるような場所。

時代が変われば、撮影技術も変わって、機材も変わって、みんなの趣味嗜好も変わっているかもしれない。

それはそれで良くて、時代に合わせながら、何か生み出せる場所。

そして、人と人との交流ができる場所。

そんな場所に居たいと願う。

それが空き家リノベーションなどで資源も有効活用して

周りには緑があふれていて、健康にも良い場所ならなお良いな。

癒しスペース万歳。

あぁ、だから、人が活発に交流する動!と、静かに癒される静の場所が二つあれば良いのか。想像するのは自由だ。

1万人の前で歌う

今まで幼いころから歌ってきて、
「1千人の前で歌う」目標は達成したので、次は
「1万人の前で歌う」を目標にしている。

幼稚園児の時から、ラムネマイクを片手に小田和正さんの「ラブストーリーは突然に」を歌う動画が残っている私。
祖母は、石川さゆりさんの振り付けもするくらいで、カラオケに行ってはマイクの使い方を指導されていたなぁ。その時はピンとこなかったけれど。

歌を本気で始めたのは高校1年生のとき。
中学までは歌は好きでも1曲も歌いきれないほど、声量がなかった。
アーティストがどんな表現で歌っているのか聴き込むタイプだったけれど。

「そんなんでボーカルできるんか」
と同じ軽音部の同期に言われたのが本当に悔しくて。
毎日毎日、ボーカルのための腹筋背筋をして、本やDVDでボイトレを勉強して。毎日、家で母にダメ出しをしてもらいながら歌い続けて。

ただ、歌えるだけじゃなくて、ステージで、誰かに届ける歌は何が違うのか?意識して歌い続けた。自己陶酔しないように。

高校生バンド大会で生のステージを見に行った時、プロでもない10代のみんなが本当に上手で、ステージングにも心奪われた。どうやったら自分もそうなれるのか、ひたすら足を運んで研究した。

そんな中に、誰もが知っているあの「絢香」さんも、ボーカルの卵として出演していた。そんなメジャーデビュー前の「夢を温める街」大阪では、今をときめくアーティストさんにたくさん出会っている。良いものを見る目は、その時から養われていたのかも。目利きの自信がある(笑)
(5年前に大阪から長野へ移住)

さて、高校1年生の時に目標にした高校生バンド大会。
そもそもバンドメンバー探しに1年かかる。当初から私がスカウトして、その後ずっと支えてくれた女性ベーシストとデュオで活動。
部活内では完全になめられていた私たちだけれども、1年経った時、自分が掛け持ちしていた剣道部の方でメンバーが見つかり、芋ずる式に七人バンドになった。そこでは、バンドでみんなでセッションする楽しさとか、グループで活動することの楽しさを、1年間だけど味わえた。

ただ、もう一歩先の目標に向かおうとする時、仲良しメンバーだけでは成し得ないものがあった。ちょうど皆、それぞれの方向性で動き始めた。

1千人の前で歌うを達成する出会いが、高校3年生の春にあった。
絶対音感持ちの後輩が、入学・入部してきてくれたのだ。
それも、私たちの歌を聴いて。私の歌は「移動ド音感だね」と。一音目が合えば全部合う、逆に一音目を外すとそのキーで歌ってしまう。そんなことまで教えてくれた。逆に、一音目が安定すれば、オケがなくてもアカペラで音が取れるようだった。

そこから、本格的にコンテストを目指す本気のバンド結成。先生も含めて学内で交渉して、進学校で受験勉強優先の雰囲気の中、バンドメンバーも本気で説得して。なんとか夏に達成した、コンテスト参加。その日は千秋楽で、立ち見も含めて1千人が来場。場所は、大阪城ホールのお隣、IMPホール。

そこでただ出演するだけではなくて、「日常生活を歌のために」過ごしていたので、声は、もう、カラオケマイクが耐えられない程に磨かれていた。

コンテスト出演前にプロに習える機会があり、「ボーカルを優先したアンサンブルを作るように」とハッキリ仰って頂く程。

いよいよ本番、私の歌が入る第一声から、会場がざわついた。
(優しい歌い出しにも関わらず、空気が一変したからだ。)

その音声が、観客で見てくれていた家族のビデオカメラに残っている。

その後、関係者に、歌の道に進むようにスクールを勧められた。

一方で、当時特にスクールに通うと個性や良さがなくなってしまうという意見も強くて、結局、行かないことにした。

そこからは、大学に入ってからも独学で歌い続けた。
ライブに出演した数は、100や200は超えている気がする。
それでも、高校生の時ほど毎日は歌えなくなって、いつしか声量は足りなくなっていった。それでも表現力でカバーして、ありがたいことに、周囲の大学からの評価もいただいていましたが。

オリジナルバンドもついに組めて、バンドメンバーが動けない時はソロ活動も始められて、ライブハウスでチケット販売してプロとして活動。その頃に、いまメジャーで活動しているアーティストさん達とも一緒にライブイベントに出演できた。楽屋で語ったことが、今でも励みになっている。

そこでもう一つ思ったことが、やっぱり誰かとチームで活動していきたいということ。そうだと自分一人で歌っているより、「カメラ」を持っている方が、誰かとコラボできると気づいた。それが、今の仕事につながっている。

さて、そうやって裏方に専念し始めると、予想通りスピードが早くメジャーアーティストさんを撮影できるまでになり。大阪でやれることは大体経験ができた。その頃に長野に移住して、フリーランスで開業できて、今に至る。

その数年間は、誰かの為に本気で考えて、誰かを輝かせるプロモーションに専念していきました。そろそろ、自分自身の目標にも挑戦したくなってきたのです。そこで、この11月頭に、ライブ再開しました!!!

うえやまあや(irodorizm)at Sonne祭

(撮影:月原はるな)

この9月にご縁を感じる再会が叶って、その機会に再始動できたボイトレ。

自己流で伸び悩んで、喉を痛めない歌い方が分からずに歌えなくなっていた自分を救うような、先生に出会う。そこから喋り声も調整できるように。

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あと、ダンスも始動!高校生で3つ掛け持ちしていたもう一つは、ダンス同好会!大人になってからはジムのヒップホップ教室に通うだけでしたが、ダンスレッスンも受けられたので、この度、もう数十年ぶりに人前で踊りました!観客のみんなも楽しそうだったのは、きっと、一緒に踊ってくれる人もいたからですね。きっかけをくれたのもその方。感慨深い再スタート。

さぁ、ここからまた地道に活動して、1万人のいる野外フェスで歌おう!

「明日が来なけりゃいい」を無くしたい

「明日が来なけりゃいい」。そう思ってしまったことがある。
仕事でどうしても八方塞がりになって、だけど当時は辞める選択肢は浮かばなくて、自分自身を潰されてしまうような環境に身を置いて、逃げ場もなくて。

ずっと、「明日を夢見て」がテーマで生きてきて、
みんなもそうなってほしいと願う私が、まさかだった。

人間の脳には、限界があるようだ。

原始時代から構造が変わっていなくて、特に永続的なストレスには弱いらしい。ちゃんと充電しないと、身体も心も動かなくなる。

生真面目に生きる人ほど、頑張る人ほど、そうなってしまうのだ。

これを経験してはじめて、恐いものなしだった私の価値観が変わった。
人の気持ちにも、もっと寄り添えるようになった。

本当に辛い経験も、今では感謝している。

そのとき幸いにして、救われた理由はたくさんあるけれども。
具体的には、漢方で治してくれる仕事のストレス専門の先生が自宅近くに開業してくれたこと。そこで、ストレスとの向き合い方やメンタルトレーニングを学んだ。中でも、「アサーション」を知れたことが大きかった。

誰も我慢をしない方法で、自分の主張も叶えるコミュニケーション。
ストレスは大体、他者との関わりから生まれるから。
これが出来るようになると、本当にストレスフリー。
無駄なことで悩まなくてよくなる。

ストレスが最も少ない分野が林業であることも知り、自然の中で暮らしたい欲が高まった。

倒れる人の特徴やその前兆もわかるようになったので、そうならないようにサポートしたいな。

あと、「生きているだけで儲(もう)けもの」をもっと浸透させたい。
日本中に広がる、現実逃避思想、あの世に自動的に極楽があるという考え方には疑問を呈したい。
そもそも、極楽とは、仕事や社会活動をしないでひたすらに「仏道修行」が出来る場所。その場所も実は架空。それを本当に信じますか?

逃げればいいってもんじゃない。

時には、危険な場所から回避して、仕事より身体を優先せして辞めることはとっても大切だけれども!

それは、どう生きるか真剣に考えること!

決して、人生から逃げちゃいけない。
適当にやってて逃げ続けて、良いところいけるなんて、
そんなの、生きてるこの人生の間でも、道理にあってない。

だったら正当に努力して、みんなで幸せ掴みたい。

どんな悩みでも、どんな運命でも変えられる、方法もある!
生きてさえ、いれば!

___

「働き方」に真剣に向き合った。

人事考課の仕組みが自分には合わなくて、組織よりフリーランスを目指して、経験を積むために、学校にも行き直して人との繋がりやネットワークを再構築して、また一から目標の業界のアルバイトなどから始めた。

どうせ命を削るなら、やりたいことしか仕事にできない。

そう思って、たどり着いたのが、長年続けてきた音楽と、気づけば無意識に撮り続けてきた写真。

好きなことを仕事にするとしんどいって話を聞くけど、仕事はしんどいものという前提の話。

自分で作った仕事なら、ストレスも自分持ち。仕事は時間つぶしや生きるためだけのものじゃない。生きている時間のほとんどが仕事。

だったら、興味のない仕事と真剣に向き合うことは出来ない。
身体に悪い環境では働きたくない。

ステータスより名声より、誰かに評価されることより、
自分の身体や心が大事。評価は、後からついてくる。

一方で、自分の親が喜んでほしいと、優等生になりたい自分がいた。
それも一度、「子供が幸せならそれでいい」んだって思い直して、自分の人生を、生きようと思った。せっかく大学院まで行かせてもらった恩に報いるために硬い仕事に耐えていたけれど、リーマンショックでの就職難や311など社会の変化の波に飲まれて、身体を壊してしまったので。

周りからのアドバイスと尊敬するアーティストがCM曲を歌うカメラをはじめて購入して、次の日に撮らせてもらえたライブの照明があまりにも綺麗で、しびれる。「光を撮りたい」そう思って、ライブカメラマンになる。そこから人生、再スタート。

キャンピングカー旅

これはもう、憧れですね。きっと実際はフカフカのお布団で眠るより大変なんだと思うけれど。なぜか憧れちゃう。好奇心が旺盛なので、幼い頃から「入ったことのないこの道を通って帰ってみようかな」そんな時に冒険心がくすぶられて、何気ない住宅街の路地までワクワクしたものだ。

それでも冒険には危険もつきもので、自分を護るのも大切で、いつしかむやみに冒険することはなくなった。

じゃあ、一人じゃなくて、パートナーや家族と一緒に(子供がいれば、逆に自分が全力で護る側になるのだけれど)、旅してみたい。

いろんな景色を見て、主に自然とたわむれて、いろんな土地の考え方に触れたり見たりして。朝焼けや夕焼けを見て寝起きして。キャンピング飯を作る。その土地土地で出会った方と、歌や踊りをコラボしても楽しいな。

きっと全国どこでも世界中でも、音楽は共通言語だと思う。

今までも、音楽で人と言葉にできない繋がりを持てた。

日本語歌詞のオリジナル曲を、出会ったばかりの海外のクリエイターに聴いてもらった時、「Passion!!」と言われたのが忘れられない。祖母を思って書いた、日本の歌謡曲だと言われるバラード曲が、海外の人にも熱量が伝わったのだ。

いろんな土地を見る以上に、いろんな人に出会いたいんだな、と感じる。

長野移住も、風土や環境はもちろん、ストレスフリーに長寿に生きる人々の姿に惹かれたのだ。きっと世の中には、デフォルトの街や東京暮らしなドラマでは知る由もない、いろんな生き方をしている人が居る。

これからはもっと、「地方創生」なんて言葉が必要ないくらい、自分に合った暮らしをカスタマイズするのが当たり前になる。働き方も、生き方も。

2020から奇しくも始まり一気に広がったリモートワークも、きっとそれらを後押しする。パソコンとネットワーク一つで、どこでも仕事ができる時代が到来。ワーケーションは流行りで終わらずに、憧れのライフスタイルとして、それもまた当たり前になる。それらを後押しする仕事もしたい。

大学相当の場で講師業

こうやって色んな活動を「経験」した上で、その知見を生かして誰かの役に立つ視点を持ちたい。一方的な知識共有や自己啓発的なノウハウ本を書くのではなくって、一人一人に合わせたライフプランを後押しできるような。

楽しく夢を見られるような役目を。

いまは少子化で大学の競争も激化。
もしかしたら数年後は、大学の概念も変わっているかもしれない。
だから、大学相当の場で、講師業ができたらいいな。

大学が良いと思うのは、専門性を持って教えられるから。
もちろん、高校生のキャリア教育で社会人を呼ぶ企画とか合ったら、それも良いかも。もっともっと、小・中学生であっても。

(ちなみに、若い時から先生業は経験。大学でもバイトの一つは個別指導の塾講師でした。勉強の仕方がわからない人が知って人生が開けたり、自分の魅力ややりたいことに気づくきっかけを作れたらいい)

主に学生さんの将来の夢を応援したい。

私はとにかく学校が好きなので、関われたら幸い。

今までも、専門学校の講師としてはキャリア支援を行ってきた。
今も、スタートアップ支援の専門家。広報分野。
知的財産の国家資格あり。

教授じゃなくて、あくまでも非常勤講師くらいなイメージ。実務家として。
若い人も社会人も、堂々と夢を語って実現できる世界作りに関われたら。

老若男女が夢を堂々と描けるように。

今は最も若い0歳から3歳から居る、保育園と専属契約で撮影を担当。
こんなに小さい時から「何になりたい?」って聞かれるよね。

振り返れば、私も、幼稚園の時からクリエイターになりたかった。

海外との架け橋

これだけ多くを語った私ですが、小学生時代は人に道も聴けない消極的すぎる子でした。そんな中、ターニングポイントは海外経験でした。

当時Nikeが流行っていて、「ナイキタウン」「Stand By Me:木の上の秘密基地があった映画の場所」に行けると聞いて、アメリカ留学を決意。飛行機にも乗ったことない少女が、オレゴン州へ、初めましての生徒や先生たちに紛れて、1ヶ月ホームステイ。

四人兄弟の長女なのに、学資保険を工面して渡米させてくれた親に感謝と「なんでも積極的にチャンスを掴まなければもったいない」というマインドが働く。結果、一度もホームシックになることなく、性格が180度変わり積極的に!!!

まさに開眼し、それまで見ていた景色や悩みが小さく見える。

そのとき山の上で過ごした経験が、今の長野移住にもつながる原体験。

おかげさまで海外に縁があり、体当たりEnglishでコミュニケーションが取れるので、それらを生かせることはやっていければと。

現に、↑コラボで挙げたWEBディレクションも海外規模です!!!!!

富士と桜が綺麗に見える最高峰の場所で、海外(通訳)サポートもさせて頂いています。地球の裏側から求めて来られる、日本で最もオススメの場所!
是非ともご案内したいです。そこでの出会いが今にもつながっている。

なんだか英語で話していると自分のアイデンティティに近い部分に気づけることもある。言語って不思議だなぁと、つくづく思います。

言語と人格は直結する気がするし、環境によって言語も変わるそうな。
面白いですね〜

世界は広い、英語に限らず、いろんな言語が話せると、もっと世界は広がるだろうな。

海外の人と話すのが、純粋に好きです。いろんな世界を知れるし、日本だけでは内面に閉じこもりがちな心がオープンに開かれて、いつも気づけない自分の本音が見えることもある。不思議な感覚。

グローバル化といっても、去年からの時世のように行き来が簡単ではなくなることもある。だけどインターネットでもう、世界は繋がっているので、どんな形であれ、何か世界のために、地球のために、出来ることがあるなら!

「綺麗事で彩り隊」

実現できればいいな。

私に共感して、「綺麗事」も本気で伝えていける方。
そんな人たちとチームになって、綺麗事で彩り隊を結成しよう。

そんな人々で世界が彩れば!!!

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