見ようとしてこなかった幸せ。
どうもこんばんは、いろどりにんです。
最近の旅は順調に順調を重ね、毎日楽しく素晴らしい日々が続いてる。とても幸せだ。
順調すぎてむしろ怖いくらい。
それは、いっぱいある訳じゃないけどまだお金があること、
やりたくない事をやらないようにしてること、
挑戦することの楽しさを知ったこと、
こんなただ自分勝手にやってる事なのに応援してくれる人が居るということ、
などなど色んな事が重なっているから、?
今までの自分だったらこんなにいいことがあったら次は悪いことがやってくるって思い込むタイプだったんだけど案外そんなこともなかったみたい。
悪い流れが来てもそれもいい経験だよなって上っ面じゃなく、ちゃんと思えるようになってきたってことにしよ。
ー 世界一不幸だった自分。
昔からアホみたいに考え込む習性がある僕は、幸せについても考えることが多かった。
生まれた環境や、コンプレックス、親との関係、恋愛などの悩みで考えすぎた時は自分は世界一不幸に思えた。
もちろん自分の中の世界なんてたかが知れてるし、周りの境遇なんて知らない方が多いからこそ思えてたんだけど、自分がそう思うならそうだったのだ。
そんなこと考える隙間にも漠然と、幸せになりたいとか
どうすれば幸せになれるんだろうとか
あの人はあんなに幸せそうなのに自分は、、とか
考えてもしょうがないって分かってるのにひたすらに考えてた。
もちろんいつも答えが出ることはなく、悶々として終了。
寝て起きてもなんだかサッパリせず、でもいつの間にか忘れてたりする。
そもそも幸せになりたいって思うことこそが、今幸せじゃありませんと言ってるようなもんで、願うもんじゃないんだけど希望は持ちたかったんだと思う。
そして最近心境の変化として、一時的かもしれないけど幸せになりたいと思うことが無くなった。
そう、十分今が幸せでいっぱいなのだ。
ちなみに幸せアピールをしたい訳じゃないです。
ココ大事なところ。
ー 自分の幸せってなんだっけ?
旅するまでの今までの自分の分かりやすく幸せだなと思った瞬間を振り返ってみる。
主に2つだけしかないけど。
①高校3年の夏休み終わりに病んで家出して別居中の父の家に転がり込んだ時。
②宮古島3ヶ月ニート生活
②は分かるけど①なんなんって。
①は人生で1番病んだ高校3年の夏休みに、現実が嫌すぎて逃げることしか考えられなくて、全部捨てる勢いで家出して頼るとこなかったから別居(ほぼ離婚)してた父親に頼んで住まわせてもらった。
そこでは一緒に住んでる女の人がいて、とても優しく芯があって、言いたいことははっきり言う人だった。
こんな父親にこんないい人いたんや、って思いつつご飯を作ってもらったり、犬の散歩させてもらったりした。
そんな日々が幸せだったというか、
お金も時間も将来も自分のことも全く考えなくていい時間が僕にはこれまでにないほど幸せに感じた。
悩んだ原因にお前(父親)も関わってんぞって思いながらもちろん感謝した。
実家は団地だったから自分の部屋がなく、庭ももちろんなかったし動物も飼えなかった。
でも転がり込んだここには、飼ってる犬も、本来学校に行ってる時間にする背徳昼寝も、縁側で横になって見えた空の青さも、穏やかな日常もあって現実逃避にはピッタリだった。
この家出物語はその女の人に諭され幕を閉じた。
話を聞いてくれたし話をしてくれた。
母親とはそんな真面目な話はしてこなかったから新鮮ではあった。
特に記憶に残った会話は、
「実は私は人が何を考えてるのか見えるんだよね。」
と言ってから
「私、死にたいと思ってる人はすごく嫌い。」
と言われた。
確かに死にたいと思ったから逃げ出したのだがそれを見透かされてるようでヒヤッとした。
彼女は18歳の頃からある難病を抱え、やりたいことが出来ないことが多かったそうで、見るからに健康体でいる自分が死にたいなんて思ってることが許せなかったんだと思う。
優しくも強い口調でダメなことはダメと教えられた。まあもとより死ぬ勇気なんて持ち合わせてなかったんだけど。
もう1つは旅はいいよって話。
昔からよく1人でバイク旅をしていたようで、その時に礼文島の話を聞いた。
北海道にある離島で花は美しく、バイクで走ると最高に気持ち良くて自然溢れる素敵な場所だと教えてくれた。
すごく羨ましくて自分も将来バイク買って行きたいなと思っていたけど、ついにこの間自転車で到達した。
ちょいと脱線して。
話で聞いてたお花は咲く時期が終わり、緑がいっぱいでそれはそれで綺麗だった。
コンビニは1件、温泉も1件、有名なユースホステル1件と、なんにもないようであることにはある。
元々2泊予定で、最終日フェリー乗る前の最後の飯と思ってふらっと寄ったご飯屋さんで地元の昆布漁師さんと運命的に相席になり、そのままバイトさせて貰える流れになった。
約10日間、昆布干して、温泉行って、釣りに連れてってもらって、漁を間近で見せてもらって、みんなでご飯食べて飲んで、スナックのカラオケで歌いまくって、短いけどひたすらに濃くて、豊かさとはこの事かと再認識した。
どこを切り取っても自然豊かで美しい島で、観光よりもそこに住む人と一緒に過ごすことが理想だった僕にはこれ以上ない経験だった。
人口が少ないからこそ一人一人が主役のような、存在感があって生き生きしていて、どことなく強い生命力を感じた。
そしてまた帰りたいところの1つになりました。
そして②も、同じような事だと思う。
実家暮らしでイタリアンレストランの仕事を辞めたあと宮古島に移住してそこから半年間、農業のバイトをして遊びで金を使うこともなかったのでお金が溜まっていた。
お金があるのでこの先何をしようか考えながらダラダラ過ごした。
毎日のように昼前に起きてご飯食べて、綺麗な海に潜りに行き、夕方は夕日を見ながらウクレレを弾いて歌って、帰ってご飯を食べてダラダラして寝た。
何にも縛られず、自分が生きるだけなら余裕なお金があって、社会から見たらクソみたいな毎日だったけどただ幸せだった。
しかしこの2つの幸せは、縛りがあったからこそ、不自由があったからこそ何もしない中に自由と贅沢さを見出したために感じれたもので、逆を言えば縛りと不自由は必要という事実にも繋がったような気がした。
不自由だからこそ自由を求めちゃうよね。
ー見ようとしてこなかった幸せ。
話は変わって、高校ぐらいの時に読んだ誰かのブログで、息をすることにも幸せを感じると書いてる人がいた。
んなアホみたいな話をまともに受け入れられるわけがなく、
そんなんで幸せになれたらみんな幸せじゃねえか!
って当時は正直思った。
その人はその当たり前(息を吸うこと)が当たり前じゃないと心から思えたから幸せに感じれたのは分かる。
例えば病気で自力で呼吸も出来なくて人工呼吸器をつけている人を目の当たりにしたり、死んだら呼吸すら出来ないと考えたり、魚なんて地上で呼吸出来ないから呼吸できる私幸せとか。
最後のは冗談だけど、そう思えるきっかけがあったりするんだと思う。知らんけど。
自分が生きている間にそこまでの境地にいけるか、
いや、多分実際に自分がその立場にならないと本当の意味で理解できないと思う。
だから今の自分には難しい。
まだまだ捻くれてるし。
自分の当たり前と他人の当たり前を比べて、自分の当たり前の方が優れているから幸せだって、それってある種の優越感じゃないの?って思ってしまうし。
例えば、飢餓の子供たちを見て、かわいそうに、自分はご飯が食べれてるだけ幸せなんだ。と、
ホームレスを見て、自分はこうならなくてよかった、家があるだけ幸せなんだ。
って結構紙一重というか。
同情と軽蔑はもちろん違うんだけど。ニアー。
あの人より幸せ=あの人より不幸
が成り立ってしまうんだよね。
もう誰かと比べた時点で敗北決定みたいな。
昔は特に幸せそうな人を見る度に、あの人はきっと愛のある家庭で環境が良かったんだ。とか
努力してる人を見る度に、あの人は努力できる環境と努力する理由を見つけられて恵まれてたね。とか
負の感情しか産めなかった。
言い訳ばかりで、何もしてこなかった自分を守る為に、タラレバ小僧になってた。
努力する方法も意味もわからず、そんな頑張る必要あるの?そこまでするんだったら別にやんなくていいかな、自分とは違う世界の生き物だ、ってぐらい線引きしていた。
もちろんゼロじゃない。
人それぞれ確かにスタートラインに差があって、こんな差埋められねえよってやる前から諦めたり、逆にやる気湧いてきたー!って人もいる。
そこに、環境や親が関連してくることも知っている。
実際に人生に悪影響を及ぼす家庭環境の人を見聞きしたし。
でも本当は五体満足、特にアレルギーもなければ目も特段に良く、大きな病気にもかかってない自分ってものすごく幸せなんだよね。
これは、良いとこだけ集めて自分に言い聞かせてるんじゃなくて、やりたいと思ったことに真っ直ぐ飛び込める心身の状態であった事がものすごく恵まれてるってやっと実感できたから。
今まで人の話(例・病気でやりたいことが出来なかったなど)を聞いても、やりたいことがなかったから自分が恵まれてるって思えるタイミングがなかった。
自分のマイナス面ばかり気にしていたからやりたいことを見つける思考すらなかった。
そうやって考えてると、今まで悲観して見ようとしなかった幸せな部分が不思議と繋がって見えてきた。
宮古島に移住する時も友達が背中を押してくれたから。
その友達が出来たのは、普通に学校に行ける状態だったから。
→幸せやん。
宮古島に移住した理由は、自分がゲイで結婚を要望してくるヒステリックマミーとの二人暮しから逃げ出したかったのが7割、好奇心に任せて飛び出したいのが3割。
逆に自分がゲイじゃなかったら、好奇心だけに身を任せて飛び出すことはあの時できなかったと思うし、そんなに出ていきたいってなってなかったと思う。
だからあの時とびだせたのも今旅ができてるのはゲイであるおかげ。
そして、健康に生まれたおかげ。
つまり、ヒステリックマミーと父親の精子のおかげ。(?)
人生どうでもいいやって思ったからこそ、
何やってもいいんだと幅が広がって、新しい世界を見れた。
人に言えないような穢れた事をしたからこそ
真っ当に生きる大事さを知り
ダサくてもいいから真面目に生きようと思えた。
やりたいことが分からず、無気力で自分の意思が無く楽に生きられる道ばかり探していたからこそ
努力できない苦しさと楽さ、努力出来る楽さと苦しさの両方を知れた。
人に拒絶されるのが怖くて心を開けなかったからこそ
勇気を出して心を開いた時に受け入れてくれる人が居たこと
貰った言葉や涙の温かさに言い表せないほど生きる喜びを感じれた。
人を悪気なく無意識のうちに傷つけ傷つけられ、今も自分の意見が誰かを傷付けてないか心配で言葉にするのが怖いからこそ
言葉と行動に気をつける意識を持てたし、こうして言語化しようと藻掻くこともできた。
経験全てが今の幸せにガッチリ繋がってるこの感覚。
うん、ものすんごく面白い。
悩みの原因が実は幸せの種だったりするもんなんですね~。
誰かと比べると確かに劣っている人生。
でも、この経験と感情は自分だけのもの。
どんなことも未来の幸せに絶対繋がってるって分かればこっちのもん。
もしも、順風満帆で問題ない人生だったら手に入れられなかった(手に入れる必要の無かった)かもしれないものに価値を感じれたならば、この先何とかなりそうな気がする。
ー死ぬということ。
初めて会って話した時からなんとなく惹かれたのは、生きる姿勢や取り組み、人間性が他に類を見ないタイプだったからかな。
個人的な付き合いは数えられる程度だったかもしれない。
今見返したら一緒に撮った写真無かった。笑
けど、この旅をする上で親身になって話を聞いてくれてアドバイスもくれた、とても愉快で大好きな人でした。
旅が無事終わったら良い報告をするのが楽しみだっただけに本当に残念でなりません。
勝手に自分が境遇を重ねて、自分らしく生きている姿がかっこよくて憧れていて、もっと話したかったなって。
なんでもっと話を聞かなかったんだろう。
また会えるって、これからもっと仲良くなれるって勝手に思っちゃってた。
元々死のリミットを決めてたと、亡くなってから初めて聞いた時に妙に納得したのは、今思えば命を燃やすように生きていたように思えるからかな。
死のリミットを決めることが生きる希望になってたのかな。
今更だけど、もっと知りたかった。
ただ、本当に出逢えて良かった。
自分は、こんなに面白くて素敵な人が居たということを死ぬまで憶えておくことしか出来ないけど、今は安らかに。
呑気にラーメンを食べてる時にみた訃報。
ショックでご飯が喉を通らないことはなく、冷静にしっかり完食しつつもう会えないという事実よりどうしてという疑問ばかり浮かんできた。
最後に会えるならと、旅の途中で沖縄へ飛んでいく中で色々と想像した。
生きてる間は幸せだったのかな。死ぬほどの思いってどんなものだったのかな。未練なく生き抜けたかな。
そして最後に顔みた時にやっともう会えないんだと実感した。
こんな顔して寝てたのかなって思うくらい安らかに眠っていたけど生気はもちろん無く、起きそうな気配も無かった。
こんなに間近で直視しないと実感できないなら尚更会えてよかったし、会う機会を作ってくれたことに本当に感謝しかない。
自分をメインに死を考えると天国なんてある訳ないじゃんって思っちゃう所あったけど、身近な人が死んだ時に初めて、どうか天国がありますようにと思うようになった。
どうか天国でも笑って過ごして居ますように。
昔書いていた、死ぬまでにやりたい100リスト。
全然書けなくて後半クソくだらないことしか書いてなかったけど、自分ってやりたいことそんな無いんだって拍子抜けしてた。
ほとんど内容覚えてないけど、今でどれくらい達成出来たかな。
いつか必ず来る死ぬ日。
これも完全に理解するのは死ぬ間際かもしれないけど、それまでに何ができるんだろう。
何がしたいんだろう。
ボーッとするのも大事だけど、燃える何かに全力で生きてみたい今日この頃でした。
最後まで読んでくれてどうもありがとうございました。
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