ソース原理に救われた2024年の幕開け
年末の母の事故に続き、年明け早々に親戚に不幸があったりで
忙しかったな〜。もう15日なんて信じられない・・・。
でも、忙しさに流されずに自分のペースでいられたのは
1月2,3日に体験してきたステファンのワークショップのおかげかと思います。
自分の声に素直に生きることを模索中のお仲間へ役立つといいなと思いつつ
その体験を書いておこうと思います。
・ソースプリンシパル(原理)とは?
・何が良かったのか?
・今後の可能性
こんなことについて書いてみようと思います。
*ソースプリンシパル(原理)とは?*
直感やアイデアから、いかにして活動が産まれ育まれていくのか?
多くの事例から、過去から脈々と共通しているその現象を、
ピーター・カーニック氏が言語化したものと聞きました。
同じようにソース理論に響き、実践・提供しているお弟子さんたちが、さらに彼らの経験・視点からソース理論を伝えている書籍も大変参考になります。
ちなみに私はこのステファンのワークショップに参加しました。
本には主にこんなことが書いてあります。
*プロジェクト、プロダクト、組織、誰のもの?*
単なる直感やアイデアが命を持って動き出す時、誰か1人が最初の行動を踏み出しています。
その最初に踏み込んでいった人をグローバルソースと呼び、そのイニシアチブの発揮によってグローバルソースだけが、それらの進んでいく領域、方向性を感覚的に意識・認知できるようになります。
またその境界線のようなものをクリエイティブ・フィールドと呼びます。
企業の場合だと創業者かな?とイメージしますが、ソース理論的には創業者とは限らないとも言えます。
あるいは、代表が交代したものの、先代の影響が強すぎる場合などは、ソースの継承ができていないのでは?と見立てるようです。
言ってしまえば、直感やアイデアが形になり始めとき、その所有はいち個人に属するものではない、ということなのかもなあとゆるく理解したのですが、それはなんだか仏教っぽくて面白い。
*グローバルソースの役割は巫女さん?*
グローバルソースの役割は、その曖昧で正解がわからないフィールドに常にアンテナをたて続け、
多くの取捨選択を決定し、また助けてくれる仲間たちへ次のステップを明確に伝えていくことを担います。
強く引っ張るリーダーシップと違う点は、ソースは常に葛藤の中にいて、周囲のサポートのおかげで次のステップがやっとわかる程度で、とてもフラジールで繊細な存在であるということです。巫女さんのような役割を担っている感じがします。
*これらを読んで思うこと*
目に見えないもの、結果がわからないこと、へ踏み出し、居続ける。
ネガディブケイパビリティの極み。
これまでは、過去の事例、実績、周囲が納得しうる理由、何より失敗しないかどうか?
そのあたりを中心に決断を進めてきたであろうことのは疑いようがありません。(心がそれを求めていたかはさておき)
その真逆が西洋からやってきたわけです。言語化ありがたい。
本来はその感覚はアジア的だったり、女性的とされているもののように感じております。ふふふ。
なお、ここまでの解釈はあくまで私個人のものであるという点をご理解ください。もっと知りたい!という方はぜひ書籍やワークショップへどうそ。