嘘八百、或いは出鱈目
私は完璧主義だ。
普段の生活はいい加減極まりないけど、それがレポートとなれば、美術系の宿題となれば、楽器の練習となれば、noteとなれば、ひとたびそれが適当なものだと許されなくなってしまう。
それを”作品”という一括りにして考えるなら、愛があって、拘りがあって、いいのかもしれないけど、私は決して天才ではない。なかった。
平凡な人間にとってそれは在り来たりな悩みなのかもしれないけど、これまで私は22年間生きてきて、世の中の才能のある人達を見て自分にもそういった何かがあるような気がしてきたけど、決してそうではなかった。
アーティストのように音楽の才能はなかったし、
アニメーターのように絵の才能はなかったし、
シナリオライターのようなセンスもなかった。
というか、そもそもそれ相応の努力をする才能がない。
そんな芸術方面を生業としようとする人間には、それ相応の努力ができる力がある。
人を見て、憧れて、無理かもしれないと足踏みしてきた私にそちら側に行ける資格はない。
結局よく分からない人生にはなってしまったけど、それでもいずれ何か芸術方面で大衆に受け入れるようなものが作れる人間になりたい。
きっとここまでなら口だけで、平常通りだけど、それなら私はきっちりと生きることをやめる。
特筆するほどの才能を持ち合わせていないにも関わらず、烏滸がましくもこんな悩みを抱えてしまう私は、自他ともに認められるほどに真面目なのである。
だからきっと完璧なものに惹かれてしまうどころか、完全性に囚われてしまっている。
それが悩みの種になり得るなら、足踏みの原因となるなら、きっとそんなものはやめてしまった方がいい。
「きっちり生きようとするから辛いんだぜ。」
気にしても大して何にもならないことの方が多いのである。