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幼少期編①


幼少期編はじまりはじまり〜!

初めましての方はこちらの記事から
読み始めるのをオススメします。

とはいっても
あまり記憶はないのだけれど。笑

[解離性障害]の症状の一部で
[記憶の欠落]が起こる[解離性健忘]という症状があるから。

なんとか覚えている事を
書き連ねて行こうと思う。

ここでは幼稚園の出来事が
メインに書かれるので
割と平和な内容だと思います。
それでも私自身の幼少期の様子は既に怪しいのですが
読み進めていくうちに分かるかと。

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1番最初の記憶は
幼稚園頃の時のこと。

入園する為に園長との面談と
絵から答えを出すテストをやったのを覚えている。
未だにあのテストの答えは分かってない。
合っていたのかすら分からない。

結果的に通っていたので
面談とテスト的には合格だったんだと思う。

家からそう遠くは無い距離だったし、ママチャリで送り迎えしてもらってた。

大学付属の幼稚園だった為か
数の数え方のお勉強の時間もあったし
外国人教師による英語の時間もあった。

お弁当の日と給食の日があって

お弁当の日は母親の手作り。
アスパラベーコンが苦手で食べられなかったのを
[1個だけ頑張ろう?]って励ましてくれた先生がいたのを覚えてる。

給食の日には
マクドナルドのハッピーセットが出る幼稚園だった。
多分今のご時世には考えられないと思う。カロリー的にも栄養的にも。
当時は結構あったのかな?


ハンバーガーは好きだけど
私はピクルスが苦手だった。
でも
大体のお友達がピクルスを抜いてた。笑
酸っぱいキュウリの良さが分かるようになるのは中学生になってからのお話。

お昼寝の時間には
寝巻きに着替えて
予め布団カバーが縫い付けられた自分用の布団を自分で運んで敷く。

覚えている寝間着は
赤いタコウインナーの顔つきワンピーススタイルの寝巻き。
…可愛くなかった。笑

とはいえ、実家では寝間着に着替える習慣はないし
魔法少女や戦隊モノ、
夢の国のプリンセスも
知らなかった女児なので
周りに弄られようが何とも思わなかった。

そんなこんなで
みんなが思い思いの位置に布団を敷いていく。
そこで起こるのが

[𓏸𓏸ちゃん/くんの隣がいい!]戦争。

私も有り難いことに、何度か経験がある。

無意識ながらの淡い恋心のような物なのか、寝る前の何とも言えないほんのりとした寂しさから来るものなのか。

お昼寝の時間までは眠くなかったのに
いざお布団に入ってしばらくすると
ちゃんとお昼寝しているのが不思議だったなぁ。

今は布団持ち込みじゃなくて
簡易ベッドを置いている所が多いらしいね。
それもちゃんと寝られるし睡眠中の事故防止にもなっているらしい。
時代の進化はすごい!!


ちなみに
実家で昼寝してた記憶は無いです。
ただ、大人の手のひら大ぐらいのサイズの白い犬の小さなぬいぐるみを持って寝ていたのは覚えてる。
いつの間にか無くしてたけど。


話を少し戻して…

この頃には既に自分自身の存在と知能が不安定だったと思う。
不安だらけで過ごしてたような気がする。

ひらがなも読める
自分の名前も読める

なのに
[自分のお名前シールの所に座ってください]の号令で
自分の名前の席には行けるが
[合っているのか、間違っているのかわからない]ので
キョロキョロしながら挙動不審になっていた。
みんなが座って、ようやく[合っている]と分かり落ち着く。

間違っていれば先生が誘導する…なんて考えはなかった。
そもそも大人に怒られたくないから。

それはお遊戯会の練習でも似たような事があった。

ピアノに合わせてチアガールが持っているようなカラフルなポンポンを
振り付けに合わせて動かす…というもの。

先生の言ってる通りにすればいい、だけの事が私にはそうはいかない。

まず、カラフルなポンポンを
[どれを取ればいいか、選べばいいのか分からない]
指定されている色は無い。
好きなものを取ればいいのに
[これでいいのかな?間違っていないかな?]と不安に思っていた。

その次に
[みんなが歌ってる歌が分からない]
僅かな記憶を辿ると教育番組か童謡の類だった気がする。
分からなかったのも
無理は無いと今では分かる。

実家ではテレビ権を父親が握っていて
教育番組をあまり見てなかったし
ましてや両親と童謡を歌う、
なんてことした事がなかった。
3年後に生まれる妹と一緒に
教育番組をずっと見る子になったのはまた別の話。

そして
[今動いてる動作が合っているのか分からない]
みんなと違う動きをすると[自分は間違っているのではないか]という不安があった。

この幼稚園の年中〜年長時期には
既に[自分の行動への不安、自信の無さ]が出ていたように思う。

これだけ幼稚園の出来事を書いてるのに
私には2.3日の出来事のようにしか覚えていない。
解離性障害の種がもう植えられていたのかもしれない。

練習したお遊戯だって
披露した記憶が無い。

担当の先生も
一緒に遊んだ子も
顔も名前も覚えてない。

なのに
いつか登園中に母親が漕ぐ自転車の後ろに乗っていて
ふと道端に目をやると
自動車に跳ねられて息絶えたであろう
茶トラ猫の姿は覚えてる。

なぜこんなに幼稚園時代から
記憶が曖昧なのか
それはこの時既にいくつか家庭の闇があったから。

後日、またお話しようと思う。
また見てくれたら嬉しいです。


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ここまで読んでくださり
ありがとうございました。

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リコリス @No_Date070263

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