烏瓜咲いた屍臭は黄檗色
母の最期に間に合わなかった。
家族のだれも、その瞬間に立ち会えなかったのだ。早朝、電話で危篤が知らされ、父と妹は病院へ向かった。母の病室へ入るために防護服を急いで着ていると、看護師から「もう急いでも間に合いません・・・」と。
遅れて姉が病院に到着し、ひとまず家へ連れて帰ろう、という話がまとまった時でさえ、私はその場に居なかった。離れて住んでいると、こういうことがある。LINEで通夜と葬儀の段取りを聞き、葬儀には間に合うように、なんとか出棺の前に葬祭場へ着けるように、それだけ思って行動した。
棺の中の母は、長患いの末の死だったにもかかわらず、穏やかに、かつ健やかに、見えた。私はコロナ禍もあって、長く母に会っていなかった。いや、コロナ禍の前からだ。最後に会えたのは7年前?か。
私の中で、母はいつも、ちょっと困った人だった。あけすけな物言いをする人で、その言葉には少なからず傷つけられてもいた。悪気のない女ではあったが、愚痴っぽいのには辟易していた。母の死は、ようやく病苦から解放される「救い」と私には思えた。
小さな骨壺に収まった母を連れて、皆が家に戻り、葬祭場では食事もできなかったから、仕出しのお弁当を となる手前で、私は久しぶりの生家に一種異様なニオイが満ちているのを嗅ぎ取った。お線香のニオイではない、初めて嗅ぐニオイだ。そして、突然気づいた。そうか、これがいわゆる「屍臭」か。
烏瓜の花が咲く頃だった。夕闇に白くレース状の美しい花弁を広げる花。母は、あれに絡めとられたのだと感じた。屍臭は、白ではなかった。もっと濃い、妙にのっぺりとした、苦いもの・・・黄檗色が似合うと思った。
そうしてこの句は成った。
私の中に、母は多くの俳句を遺して逝った。時折母の口癖やしぐさを思い出す。そのたびに私は句を詠むのだろう。良きにつけ悪しきにつけ、母は特別な存在であり、私が今この世に在るのは、母がいたから、なのだ。
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