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句作のモチベーション
映画『ブルーピリオド』の主人公が美大受験の修行中に考えていたこの言葉。「俺より上手いヤツはいっぱいいる。でも、俺にしか描けない絵が必ずある!」予備校(?)みたいな教室で講師が生徒たちにこう言っていた。「『1位の絵』じゃなく、『最高の絵』を描くんだ。」と。技術が拙いのは訓練・練習である程度カバーできるようになる。でも絵を描きたいと思うその情熱は、誰かに教わることなどできない。俳句も同じ、と思う。
私が俳句を詠むようになったのは仕事のためだった。俳句を詠んだことのないお客様に、松山の街を案内しながら俳句を詠むコツなどレクチャーし、1時間で一句詠んでいただく、そういうコースが設定されていたから。最初は俳句を格別楽しいとも思っていなかったし、自分の俳句を上手いとは思えなかった。句作のモチベーション、低かったな・・・。
RNBラジオ「一句一遊」に投句し始めたのは俳句研修の中でそうするようにと言われたから。句歴5年を過ぎる頃になって、俳句の面白さがようやくわかってきた。俳句を通じて人とつながる喜びも知った。もっと上手くなりたい、自分の思うままに句を詠みたい、そういう気持ちが次第に強くなった。それは仕事を辞してからも続いた。
投句先を増やしたが、投句した結果がふるわないとかなり落ち込んだ。何がダメだったのか・・・分析して次につなげたくとも、ダメの理由がわからなかった。この頃は自句に対する評価と自分への評価を混同していたと思う。向上心と自己顕示欲、承認欲求と言ってもいい。さまざまな想いと欲望がないまぜになって、私自身を苦しめていた。句を褒められないことが、私自身を否定されることのように感じていた。決してそうではないのに、気づけなかったと思う。
カルチャースクールの俳句講座受講で、直接、師・夏井いつきに教えを乞えるようになって、少しずつ自分の中に指針らしきものができ始めた。季語を深く理解すること、対象をしっかり観察すること、言葉を丁寧に選ぶこと、描写の精度を上げること、どれも時間をかけなければできるようにはならない。さまざまな俳句イベントや、句友との句会など、交流を通じて学ぶことも多かった。亀の歩みではあるが、句作の力がつき、上達した、と思う。句に対する評価と自身に対する評価はイコールではないことも、少しずつわかってきた。
句歴10年、初めて「一句一遊」で『天』をいただけた時、やっと自分の句が詠めるようになった!と思った。他の誰でもない自分が詠んだ句、自分にしか詠めない句。秋の港で見た光景、青い瞬間を十七音に封じ込めることができた!今でも「津島野イリスの代表句は?」と問われたらこれをあげる。
青北風の舟に痩躯のイエスめく 津島野イリス
有季定型の、平明な写生句。突拍子もないことを言わずとも、おしゃれな措辞などなくとも、景が伝わる、しみじみ美しい、そのような句を詠みたい。私が五感で感じ取った何かを十七音で伝えられたら・・・伝わるだろうか?伝わってほしい。いつもそう念じて句を推敲している。結球した句が私の手を離れて、いつかどこかの誰かの胸に届きますように。
今年・2025年で句歴15年になる。鑑賞力をもっと養うことを念頭に、俳句に取り組みたい。詠むだけでなく、読む・味わうがしっかりできるようになりたい。句作のモチベーションを保ちつつ、鑑賞を通じて句友と深く交流していきたい。もちろんプロの句集もじっくり読み込み、学びを深めていきたいと思う。