一度目の妊娠
――あれは小学校6年生の夏休み。
1ヶ月間、生理が来なかった。
***
2歳頃から続いていた「秘密の遊び」は、その後もずっと続いていた。
そして、歳を重ねていくにつれて、だんだんと異常さに気付いていった私は、行為を気持ち悪いと感じ始めていた。
学校で性教育が始まったのは小学校4年生の頃。初潮を迎えたのもちょうどこの時期だ。ついこの前まで子供だって思っていたのに、胸だってぺったんこだったのに、みるみる膨らんだ。妊娠できる身体になったのだ…。
薄々、性教育の内容が、普段兄からもたらされるものと同じなのではないかと感じ始めてきた。
それに加えて、学校に居る異性が気になったりもしたので、そういうことするならその子がいい…とも感じていた。
それに、幼い頃は遊びの延長線上に行為がある、という状態だったが、段々と「私という女を抱く」という意思が目に見えてきていて、気持ち悪くてしょうがなかった。
「濡れる」ようになったのも小学4年生だった。インターネットを覚えるのが早かったので、兄が官能小説を見せてきて、いけないものを見ているとは思いつつも気になって見ていた。性描写に対して、体は反応して、別に性器に刺激がなくても濡れるようになっていた。
小学6年生の夏頃、スポーツブラでははち切れそうになるくらい胸が大きくなった。
母から、「もう大人の下着にしたほうがいいかもしれない」と言われ、ランジェリーショップに連れて行かれた。なんとEカップもあった。そんなに大きいわけないと思っていたので本当にびっくりした。
普段の行為のせいで大きくなったのだとしたら本当に気持ち悪いと思った。性的な事はもっと大人になってから、ゆっくり知っていきたかったのに。どうしてこうも早くに知ってしまっているのか。ああ気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い。
日中は生理中だろうがなんだろうが、親が出かけると、行為を始めるのが暗黙のルールだった。それでいて、帰ってくると急いでやめる。夜はコソコソと私の布団に入ってきて行為が始まり、親が寝室に入る頃まで続く。
そんなある日だった。
来るはずの生理が来ないのだ。真っ先に、「妊娠した」と思った。どうしよう、どうしよう…。
父が、母が、病院で妊娠してしまった事実を医師から告げられ、ひどく傷つく様子が目に浮かんだ。
不安を抱えたまま、一月ほど経った頃。9月の終わり頃だったと思う。
あまりの腹痛で学校を休んだ。
下腹部が痛いのだが、尋常じゃなく痛い。あまりの痛みに、日中一人で苦しみ藻掻いた。
呻いて玉の汗をかいた。
そしてなにかがドロっと出てきたと思った。
経血かな?
そう思い、トイレに行った。確かに出血していたが、様子がおかしいのだ。
陰部の間から何かが顔を出している。赤黒い何か。とても長かった。恐る恐る引っ張ってみると、内臓のような体組織のようなものだった。
なにこれ?と思い、よく見てみると、血管が通っていた。とてもグロテスクで、「生命体」だと悟った。
嗚呼、私、流産、したんだな………
流れる水を眺めながら、思う。
また妊娠する可能性がある。今度は取り返しのつかないことになる恐れもある。
後日、保健室の先生から、悩んでいることはないかとアンケート用紙が配られた。
私は「夏に生理が一月来なかった」と一言書いた。
しばらくしてコメント付きで返却されて、「まだ成長途中だから、生理の期間も一定ではないので安心してね。でも、また一月以上来なかったら相談してね。」とのことだった。気軽に相談できたらどれだけ良いか。妊娠してしまったSOSを出したいが、これが精一杯だった。
後に調べたが、あの日の出来事は「化学流産」というらしかった。
毎日のようにある行為。また妊娠するのも時間の問題だと思い、危機感に震えるのだった。そして案の定、私はもう一度妊娠してしまうことになるのであった。
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